9.孤独な正義

 頭痛に襲われ目を開くと、岩肌が剥き出しの天井が視界に入った。薄暗い空間に、寒気を含んだ湿気と水気が全身を覆う。


 身震いをして身体を起こすと、スノウが傍らで地べたに腰を下ろしていた。


「やっと起きたか。時間が掛かったな」


 素っ気ない口調で言うスノウは、気分が沈んでいるのか、いつもより増して表情に生気を感じられない。


「――ここは」


 頭痛に耐えながら、健二は今まで見ていた夢の記憶を辿る。


 夢と言っても恐ろしく現実的な夢だった。自分がその場のその空間にいて、実際に体験したような感覚だ。その夢が試練だったということを思い出した。健二はふと気になる。


 夢に出てきていたクラスの担任。あの声は、明らかに以前にも夢に出てきた女の声だった。そして、女が試練の最後に口にした言葉。スノウのことを心配していたことからして、女がスノウの師匠である先代の精霊王のアンメイザということがわかった。


「スノウの師匠って赤毛の人」


 健二の突然の問いに、スノウは面食らったような表情をする。


「ああ、そうだが。なぜ君がそれを知っている」


「試練の中で似た人が出てきたんだよ。前に見た夢でも同じ声の人が出てきてたし、同じ人だと思う。それと、君によろしくって」


 健二の言葉に、スノウは衝撃に撃たれたような驚愕の表情を浮かべる。


「私によろしくと言っていたのか」


 落ち込んでいたスノウの表情が、少しだけ晴れたのがわかった。表情から、スノウがアンメイザに対してどれだけ敬愛の念を抱いているのかがわかる。


 スノウは落ち着かない様子で健二に詰め寄る。


「師匠に会ったのか。他には何か言ってなかったか」


「いや……その、君の師匠だっていうことは最後に知らされただけで、それまではわからなかったから。よろしくって言われただけだよ」


 スノウが詰め寄るのに耐えきれず、健二は視線を逸らす。スノウの視線がアンメイザの言葉に飢え、ただの一言さえも聞き逃すまいと、子犬のように目を大きく見開きこちらを見据えている。それが、哀れに思えた。


「そうか。君は師匠に会えたのか。私も会えるのであれば――」


 スノウの低い声で言う。暗い表情に落胆で肩を落とした姿に、健二は罪悪感を覚えた。まるで、欲している者の手に届かないものを目の前に、それをかざして見せびらかしている。そんな意地の悪い自分を端から見せられている気分になる。


「まあ、いいさ。私にとっては君がどうなろうと、私の意志を貫くだけだ。それより、私は君が無事に試練を切り抜けられるとは思っていなかったから。正直驚いているよ」


「君は試練のことを知ってたの」


 健二の問いにスノウは、当然だ、と言うように頷く。


「当然だ。師匠には様々な助言をもらっていたからな。全てを知っている。トルマン村で、そのことを話すつもりだったが、ああなってしまったからな。君のことは気の毒に思うが、試練は全ての候補者が揃わなければならなかった。この世界のために、私は他の者の犠牲など惜しまない。君がどうなろうと、私にはどうでも良い事だ。くれぐれも、私の邪魔になるようなことがないようにな」


「君が王になりたいんだったら、俺は邪魔する気はないよ。俺はただ死にたくないだけだから」


 健二は内心で思っていたことを口にする。王の候補者が、自分以外にもいるのだとすれば、その者が王の器としての素質を示せば良いだけのことだ。


「そうか。それなら利害は一致するな」


 スノウは安堵した様子で、肩をすくめる。


 健二はスノウが、なぜそれほど精霊王に固執するのかがわからなかった。王として世界の均衡や物質の全てに干渉している精霊を把握し、理さえも変えてしまいかねない力。その力をコントロールするというのは、重大かつ重責を伴う役目だ。


「何で君は王になんかになりたいの」


 健二はスノウに疑問をぶつける。すると、スノウの表情が僅かに険しくなった。聞かれたくないことを尋ねられ、苛立っているのか。スノウは静かに口を開く。


「この世界を真の意味で平和へ導くためだ」


「平和へ導くため。何でそれが精霊王と繋がるんだよ」


「世界を導くには力が必要なんだ。従わせる者に、有無を言わせない力。それが無ければ、真にこの世界の者たちを導くことはできない」


「でも、君がそうする必要はないだろ。国同士が解決すれば、それで済むんじゃないのかよ」


 そう言った健二の言葉を聞いた瞬間、スノウが突然、弾けたように笑い出す。何がおかしいのかわからない健二は、ただ困惑するしかなかった。


 笑い終えたスノウの表情は、先程に増して更に険しかった。不快感を抱いている、と言うより憤りを感じている、と言った方が良いのかもしれない。


「国に平和的な解決を探ってもらうだと。笑わせるな。君はどこまで能天気なんだ」


 スノウが吐き捨てるように凄む。これほど苛立ちを隠そうとしないスノウを見るのは、初めてだった。スノウは興奮した様子で言葉を継ぐ。


「この世界はいつも戦争ばかりだ。各地で小競り合いが絶え間なく続き、無駄な意地の張り合いや権力者のつまらない利益のために、無数の命が散っている。国に働き掛けたところで何になる。私の両親は国に殺された。国の高官の見栄のために、私が住んでいた街は戦火に呑まれた。その高官にとっては、国を守るための尊い犠牲だったのかもしれない。だが、私にとっては、街が全てだった。一人の意思ひとつで、街は敵を誘き寄せるための囮にされた。私を守るために、母は私を守ろうと私の身体の上で息絶えた。父も街を守るため戦ったが、ただの街の商人に兵法の何たるかなどわかるはずもなく、犬死に同然の最期だった」


 スノウの憤慨した様子に、健二はただ唖然としていた。自分の考え無しの発言が、スノウの感情の地雷を踏み抜いてしまった。このままでは、収拾が付かなくなりつつある。


「あれから何十年も経ったが、それでも世界は変わる気配などない。むしろ、戦火は拡大するばかり。街や村で平穏な人生を営んでいる者たちが、戦火によって命を落としている」


 スノウはひとしきり捲し立てたあと、大きく息を吸う。


「そんなことを知らずに、無責任な発言だったよ。なんて言ったら良いか……ごめん」


 健二の言葉にスノウは沈静化したように、落ち着きを取り戻したように言う。


「いや。君はこの世界に来て長くない。知らないことは多い。私こそ済まない。君に当たったところで、どうにもならないというのに。怒りにまかせて八つ当たりをしてしまった」


 スノウが申し訳なさそうにして言う。




 ふと健二は試練を終えたこと思い出した。


 恐ろしく現実的な夢では、自分がいた世界の学校が試練となっていた。スノウの試練の場合はどんな場面だったのか。


「スノウの試練はどんな内容だったの」


 健二はそれが気になりスノウに尋ねる。


「私の場合は……」


 スノウが言い掛けたとき、その言葉は遮られた。


『試練の内容は他言してならない。試練は資格者の内面を映し出し具現化したもの。それを明かせば、己の弱みを見せたも同然なのだ』


 いつの間にか現れた守護者たちが、二人の前に立つ。頭に響く不快な声が、久しく聞いていなかった気がする。不快ながらも、懐かしく感じるこの声質が絶妙に琴線に触れる。不快感を覚える一方で、癖になりそうな心地良い声でもある。


「試練はもう終わったのか」


 やっと現れたか、と言いたげな様子でスノウが言う。スノウの言葉に、守護者たちは返答しようとはせず言葉を発する。


『お前たちは王の候補者としてここは招かれた。だが、王の資質を備えているかは別の話だ。この世界の秩序を保ちたければ、その素質を示せ』


 それだけを言うと、靄を掛けるようにすっと姿を消す。


「――さあ、これからどうするか」


 スノウは話を切り出す。守護者が、何の説明もなく姿を消したことで、その場に取り残された二人は互いを見合う。


「ここから出ないと」


「私たちは来たのではなく、あの者たちによって導かれた。自分の意思で出て行くことは可能なのか」


 健二の言葉にスノウは首を傾げる。


「それじゃあどうすれば」


「無駄とは思うが、出口を探す他ないだろうな」


 スノウはため息交じりに言う。


 試練が終わったせいなのか、ため息が安堵しているもののようにも聞こえる。表情も穏やかで落ち着いている。健二自身も、試練から開放され、身体が軽くなったような気がする。


「試練は終わった。私は王になるための準備をしなければならないが、君はこれからどうするつもりなんだ」


「わかんないよ。自分が何をしたいのかなんて考えたことなんてないから」


「まあ、焦ることもない。ゆっくり考えれば良いさ。ところで、君は王都に帰るのか。君が望むなら、私のところへ来てもらっても構わないぞ。元の世界へ戻るというのであれば、それが良いかもしれない」


 スノウの言葉に、健二は言葉を詰まらせる。スノウの計らいに感謝したところではあるが、女王からは、精霊の泉に向かい何かしらの情報を持ち帰るように、と言われている。


 泉での出来事は、唐突に試練が始まり、過ぎ去るように終わってしまった。試練の内容を女王に報告しなければならない。それだというのに、カトラリアに背を向け、女王への報告を怠ったってしまえば、女王への期待を裏切ることになる。


「それはできないよ。女王にも今回のことを報告しないといけないし」


「そうか……まあ、どうするかは君が決めるべきだ」


 スノウは残念そうな表情を浮かべたが、納得したように頷く。


 これで試練を終えたということにはなるが、健二の中には疑念があった。守護者たちが試練を終えたあとに言っていた、世界の秩序を保ちたければその素質を示せ、という言葉が、何かを暗示しているような気がしている。




 健二はスノウのあとを追うようにして、樹海の出口を探すため、木々の間を抜けて歩き続ける。


「ところで、健二。世界を導くにはどうしたら良いと思う」


 ふと思い付いたようなスノウの唐突な問いに、健二は戸惑う。何を意図しての問いなのだろうか。王の素質について議論を交わしたいのだろうか。


「さあ、急に言われても」


「いいから。君の率直の意見を聞かせてくれ」


「俺が思うのは、皆が仲良くするのが、一番ってことかな。そのためには、お互いのことを知らないといけないし尊重し合わなければならない。お互いに主張があるとおもうけど、色んな形で折り合いをつけたり、妥協したりして色んな意見を持っている人たちが、協調していけるように考えることだと思うよ」


 健二は何となく、自分が思っていた理想の世界を想像して言った。これはあくまで、理想論に過ぎないが、こんな世界があれば、と思う。


 そんな健二の言葉を見下すかのように、スノウは鼻で笑う。その表情は、先程の穏やかな表情から再び険しく憤りが籠もっている。


「君はつくづく甘いな。そのような考えで、世界が導けることなどと思わないことだ。第一、人は他人のことなど理解できない。人はいつでも、自分が一番大切なんだ。所詮、他人は他人でしかない。他人が不幸の中にあっても感傷に浸ることもなければ、興味すら抱かない」


「それだとしても……」


「人は力でしか支配も先導もできない。理性は持ち合わせていても協調性、感受性に欠けるのが人という生き物だ。だが、動物と同じように、強者に対しては服従という賢いこともできる。この世界は、永きに渡り様々な国、人種が争い続けてきた。だが、それもこれ限りだ。私がこの世界を導く。精霊王の力を駆使し、この世界から争いをなくす。手始めに、魔法使いの粛正からだ」


 スノウの言葉を聞いて、健二は背筋が凍るのを感じた。力で他者を強制的に従わせる、という考えが、スノウの中にあったということを知ってしまい、落胆を覚えたのと同時に、それを実行しようとしていることへの畏怖の念からだ。試練を終えた直後に言っていたのは、ただの虚言だと楽観していた健二だったが、今の言葉を聞いて、それが本心なのだと嫌でも気付かされる。


「魔法使いが何をしたっていうんだよ。何でそんなことができるんだ」


「魔法使いは、この世界で最も影響力のある種族だ。故に、各地で権威を振るっている。それだというのに、彼らは自身の責務を果たしてはいない。人々を統治することを疎かにし、自身の利益にばかり固執し貪る。挙げ句の果てには、他の種族とつまらないことで縄張り争いをするが如く戦争ばかり。これの何が動物と違うというんだ」


 スノウの表情は荒く激しい怒りで歪んでいた。激しい感情をぶつけられ、健二はただ圧倒されるばかりで、返す言葉が見つからず口を噤む。


「君が言っているように、私としても互いが理解し合える平和が、理想であると思っている。私の師匠も君のような志を持ち、世界の平和のために奔走していたのを間近にいて見ていたからな。君の考えが理解できないわけではない。だが、人は度し難い。同じ過ちを犯しては、悲劇を繰り返す。それでも師匠は、平和のために奔走せずにいられなかった。そんなとき、弟子であるあの女に裏切られたのだ」


 スノウの言葉を聞いていた健二は、アンメイザの最期について聞いたとき、懐疑的な不信感を抱いた。女王はアンメイザの死に関して、あまり語ろうとはしなかった。だが、女王がアンメイザを裏切るようなことがあったとは思えない。根拠はないが、それは否定しなければならない。


「それは違うと思うよ。女王はアンメイザを裏切るようなことはしないよ」


「なぜ断言できる。それを証明できるのか」


 健二が否定したことが気にくわなかったのか、スノウは健二を睨み付ける。


「いや、証明はできないけど」


「だろうな。君はそう思いたいだけで、あの女の本性を知らない。君は騙されているんだ。だから、私は君を誘っている。あの者たちに洗脳されてはいけない」


 口論をしている間に、二人はいつの間にか森を抜け出していた。


 薄暗かった風景が突如は拓け、見上げると快晴の空が広がっている。


「どうやら抜けたらしいな。意外だな。もっと時間を掛ける気でいたが……まあ、早く抜け出せたのは幸いだ」


 そう言うと、スノウは手近にあった岩陰に腰掛ける。


「君も座ると良い。誰かに引率されてきたんだろう。この森は入り口がひとつで、出口もひとつだ。待っていれば、見つけてもらえるだろう」


 スノウがそう言ったとき、遠くで何かの気配を感じた。群衆の行進によるものだということに直ぐ気付いた。


 気配の方へ視線を向けると、そこには想像を絶する光景があった。


 砂埃を巻き上げながらこちらへ向かってくるのは、重装備を身に纏った五十騎ほどの騎馬だった。地響きは、徐々に増し地響きを思わせるほどに増大する。


 地響きの大きさに、思わず耳を防いだ健二を横目に、スノウは怯むことなく騎馬へ向かっていく。


「待ってよスノウ。あの人たちは誰」


 状況が理解できず、不安で仕方ない健二は縋るようにスノウに言い寄る。


「あの者たちはスエーデン王国の騎馬兵だ。私の隣に立っていれば、君に危害は及ばない。付いてくると良い」


 それだけ言うとスノウは行ってしまう。


 スエーデンは、人族を中心に形成されているカトラリアの南隣に位置する王国で、現在はカトラリア王国と戦争の最中にある。


 健二の中で一気に緊張感が高まる。カトラリアと敵対している国が、なぜここにいるのか。そもそも、スノウとの繋がりは何なのか。そんな疑念が湧いている間に、騎馬の兵団が健二の前で止まる。


 スノウの元に一騎の騎馬が駆け寄ると、馬上から一人の兵士が降り立つ。


 兵士はスノウのもとまで来ると、頭に被っていた兜を取ると片膝を突く。


「お迎えに参りました」

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