叔母スザンヌ・ラロシェル




 番外編ナンシーの次は、おばさまコンビの片割れであるこの私しかいないでしょう。キャスの叔母スザンヌでございます。


 キャスは夫マルタンの姪で、私と彼女は血が繋がっておりませんが、娘のように可愛がっています。特にキャスがロリミエ大学に入学してからはロリミエ郊外の我が家に住んでいるので、彼女の両親よりも近い存在と言えます。


 私がマテオに初めて会ったその日は初秋にしてはまだ暑かったのを覚えています。夕方早くに丁度帰宅したところで、我が家に電話がかかってきました。


「ウィ、アロー?」


「マテオ・フォルリーニと申しますが、マドモアゼル カサンドラ・デシャンのご家族の方でしょうか?」


 どこかで聞いたことのある名前でしたが、直接の知り合いではありません。


「はい、カサンドラの叔母でございます」


「私は彼女にサンダミエンでお会いした者です」


「サンダミエン……ああ、あの子が子守りに行っていた別荘地ですわね」


「はい。カサンドラさんと直接会ってお話がしたいのですが、御在宅でしょうか?」


「今日はもうすぐ帰ってくるはずです」


「ご迷惑でなければ今から伺ってもよろしいですか?」


「そうね、いらっしゃっても構いませんよ。えっと、フォルリーニさんでしたっけ? 電話番号だけでなく住所もご存知なのですね」


「はい、存じております」


 電話を切ってから、フォルリーニとはロリミエでも有数の建設会社を経営している一族の名前だと思い出しました。


「まさかね、イタリア人なんてここロリミエにはゴマンと居るもの」


 マテオは三十分くらいで着くと言った通り、呼び鈴がその頃に鳴りました。私が扉を開けると、黒いシャツを着た三十前後の男性でした。電話口の落ち着いた低い声から、もう少し歳のいった人かと思っていました。我が家の向こう側に路上駐車されてある青い車で来られたのでしょう。


「お入りください。カサンドラはまだ帰宅しておりませんけれど」


「丁度良かったです。先に叔母様にお話もありますから」


「まあ、そうなのですか?」


 とりあえず居間にお通ししてアイスティーをお出ししました。


「電話でも申しましたが、私、こう言うものです」


 名刺を渡されました。


「すみません、私の方は仕事で必要がないので名刺がございません」


「いえ、構いません」


 やはりあのフォルリーニ一族の方でした。建設会社の人が我が家に立ち退き要請でもしに来たのでしょうか。この辺りに高層マンションかショッピングモールでも建てる計画があるとは初耳です。


 彼の容貌からすると建設会社とはただ表向きの肩書で、もしかしたら本業はそっち系の人間かもしれません。主人の留守中に不用意にこんな人を招き入れてしまったことを大いに後悔しました。


「け、建設業の方が、しかもロリミエでも有数の大企業の方が一体何のご用件なのでしょうか?」


 それでも、土地の買収なら彼が対峙するのは夫のマルタンと私の筈です。まだ学生のキャスとイタリアンマフィアの地上げ屋の接点が今いち不明でした。


「カサンドラさんと正式に交際をさせて頂きたいのです。もちろん、彼女が了承してくれたら、ですが」


 彼は真剣な顔つきでそう言い、頭を深く下げました。


「交際ぃ?」


 素っ頓狂な声が出てしまいました。突然予想だにしていなかったことを言われて、私の方がどぎまぎしてしまいます。


「な、何でまた……」


「カサンドラさんとはサンダミエンで知り合いました。うちの別荘の隣にカサンドラさんが滞在されていましたから。彼女と最初に仲良くなったのは私の伯母でした。それから私にも紹介されたという形です」


「そうでしたのね」


「私はカサンドラさんと親交を深めていっていたと思っていたのですが、少々誤解が生じてしまって……彼女は私を置いて一人でロリミエに帰ってしまったのです」


 キャスが元気がなかった理由はどうやらマテオが原因のようです。彼と会話を続けるにつれて、彼は見た目を大いに裏切って、誠実でその上少々ナイーヴな好青年だということが分かってきました。


「貴方や伯母さまのことはキャスから何も聞いていませんのよ。ただ、うちに帰って来て新学期が始まっても心ここにあらずで様子が変だとは思っておりました。主人はそこまで気付いていないようですけれども」


「私もロリミエに帰ってすぐにでもこちらに伺いたかったのですが、急な出張が入ってしまい、帰宅したのはつい二日前のことなのです」


「キャスももう二十二歳で、立派な成人です。恋愛でも進路でも、私や主人の許可は必要ありませんわ。いくら私どもがロリミエでの親代わりとは言え。それでもフォルリーニさんはまず私にご挨拶をしに来られたのですね」


「カサンドラさんによると、実の御両親よりも叔父様と叔母様には色々話せるとおっしゃっていました。それに、何となく周りから固めていった方が上手く行くかもしれないと思いました」


 確かに真面目で奥手なキャスにはそれが有効な手立てかもしれません。


「まあ、中々の策略家ですこと」


 そこでキャスが帰宅してからは皆さまもご存知の通りの展開です。レストランに行って話し合った二人は晴れて恋人同士になりました。


 ところでその後、帰って来た夫にマテオのことを報告すると一笑に付されました。


「君はマフィアに建設会社に地上げ屋、不動産屋の区別もつかないのか、ハハハ……」


 さて夜の十時頃にマテオに送られて帰ってきたキャスを私たちはもちろん窓からばっちりと観察しておりました。趣味が悪いと言われようが、車から降りて家の前で堂々とイチャイチャラブラブしている方が悪いのです。キャスはマテオにしっかりと腰を抱かれ、名残惜しそうにキスをされています。


「いつまでも小さな女の子だと思っていたのになあ……」


 マルタンがそうしみじみと呟いております。


「時が経つのは早いわね、マルタン」




 その翌日、再びマテオから電話が掛かってきました。


「ブオナ セーラ、スザンヌ。マテオです。お陰様でカサンドラさんに交際を申し込むことができて、受け入れてもらえました」


「ええ、おめでとう。私たちも今朝の彼女の顔を見れば分かったわ。今キャスに替わるわね」


 流石に昨晩帰ってきたところをちゃっかり観察していたとは言えませんでした。


「いえ、その前にお願いがあります。今週末、私の所にカサンドラさんをお呼びしてもよろしいでしょうか? えっと、その、泊まりがけで……」


 逐一私に報告してくるマテオの律義さに、安心感を覚えます。


「ご自由にどうぞ。もう子供ではないのですから私たちの許可は要らないわよ。マテオさん、貴方はどちらにお住まいなの?」


「ダウンタウンの西、ルヴェールセンター近くです」


「あの子の大学もバイト先も近くて便利だわ。この家へは地下鉄とバスを乗り継がないといけないから、夜遅くなる時は心配なのよね。これから日が短くなるから特に。貴方さえ良ければいくらでも泊めてやってちょうだい」


「私の方は全然構いません」


「朝一番の講義が入っている日も貴方の所からの方が朝ゆっくりできていいわね」


「おっしゃる通りですね。私の住所と電話番号をお教えしておきます」


 ついでにキャスの携帯電話の番号まで教えてもらいました。




 それからも私たち夫婦はマテオの伯母さまのナンシーにと共に、若い二人の仲を応援、というかマテオの画策に協力する係となりました。


 特にプロポーズ大作戦の時は私も大いに暗躍しました。キャスを説得して旅券申請をさせ、うちに保管していたその旅券をイタリア出発前のマテオに渡したのはもちろん私です。これは別に悪用でも窃盗でもありませんよ。マテオがキャスに求婚することはキャスの周りのほとんどの人間が知らされていたのです。




***今話の一言***

ブオナ セーラ

こんばんは


スザンヌ叔母さまにはコワーい地上げ屋だと最初思われていたマテオくんでした。そしてやはり、叔父さんと叔母さんは二人でしっかり窓辺に張り付いてマテオとカサンドラのイチャイチャラブシーンを観察しておりました。

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