番外編

伯母ナンシー・フォルリーニ




 皆さんこんにちは。コメ スターテ? 番外編のトップを飾るのはもちろんこの私、マテオの父方の伯母であるナンシー・フォルリーニです。主人公の二人が出会えて、愛を深めていけたのはもちろん私の功績であります。マテオは一生私に頭が上がらないことでしょう。


 私は若くして結婚し、その夫が早世してしまい、残された子供二人を苦労して育て上げました。未亡人となって苦労したとは言え、経済的に恵まれていたのはありがたいことでした。別荘近くの公園で会ったキャスには私の身の上も少し話していました。


 突然ですがここで『貴方の心に不法侵入』豆知識講座の時間です。


 本編では触れられませんでしたが、ヴェルテュイユ国は完全夫婦別姓制度をとっているので、結婚しても姓が変わりません。どうしても配偶者の姓に変えたい場合はもちろん可能です。しかし、わざわざ裁判所に申請しないといけなくて面倒なのです。


 ですから私は旧姓のまま、ナンシー・フォルリーニです。通称の夫の姓で呼ばれることも最近はなくなっていました。マテオの母親ルチアも本名は旧姓で、書類上ではフォルリーニではないのですね。


 第三十八話ではマテオがキャスの左手の指輪をラモナたちに見せながらドヤ顔でこう言っていました。


『キャスはもうすぐお嬢様からシニョーラ・フォルリーニになる』


 確かにキャスはマテオと結婚したので通称はフォルリーニ夫人となるのですが、本名は変わらずデシャン姓のままなのです。


 ですから実はこの物語の中で正式にシニョーラ・フォルリーニなのは私だけなのです。


 そして夫婦の子供はどちらの姓を名乗らせても、両方を名乗らせても良いのです。ですからマテオとキャスの間に待望の二世が生まれるとその子の苗字はフォルリーニ、デシャン、フォルリーニ=デシャン、デシャン=フォルリーニという四種類が考えられます。




 本編開始時の少し前、私はサンダミエンにあるフォルリーニ家の別荘にしばらく滞在していました。珍しく甥のマテオも数日後に訪ねて来る予定でした。


 私の知る限り、マテオは仕事ばかりしていて、特定の女性と長く付き合うことがなかったのです。連日仕事に終われているマテオが早く人生の伴侶を見つけることを願ってやみませんでした。


 私のもう一人の甥であるドメニコは性格はマテオと似ても似つかず良い意味で力が抜けていて、世渡り上手なのです。私は長男であるマテオの方が心配でした。


「ラモナ、マテオはここへも仕事しに来るようね。何のための別荘やら……はぁ……」


「私が口を挟むことではありませんが、ナンシーさまのおっしゃる通りでございます」


 別荘地のあるサンダミエンはロリミエよりも少し涼しいのです。


「八月半ばにボードゥローに取引のために行くのですよ。その前に涼しいサンダミエンに寄って在宅で集中的に仕事を片付けるつもりです。仕事の合間には自転車でアップヒルの練習もできますしね」


 先日マテオと電話で話した時はこんなことを言っていました。折角の短い夏だというのにマテオは仕事と鍛錬のことしか考えていません。


 私がキャスに初めて会ったのはあの別荘の近くの児童公園でした。私は普段着には本当に質素なものを着るのを好みます。何度でも洗濯して着古された着心地の良いものが好きなのです。


 その日は朝からとても暑い日でした。私はそれでも昼前に散歩に出掛けました。運の悪いことに履いていたサンダルの紐が切れてしまい、右脚を引きずる形でゆっくりと別荘に帰っていたところでした。予定より歩くのに時間がかかっていて、私は喉が渇いてきました。


「見てよキャスー!」


「まあ、サミーはもう一人でこんなに漕げるようになったのね。えらいわ」


「ダァー!」


 別荘地の児童公園にはあまり子供が居ることはありませんが、あの子供たちとキャスは最近そこで毎日のように見かけていました。


 私は公園内の水飲み場まで、脱げそうなサンダルのためにびっこを引きながら向かっていました。そこでキャスに話しかけられたのです。


「あの、お怪我をされたのですか?」


「え、いいえ。水を飲もうと思ってね。サンダルが駄目になって脱げそうだからこんな歩き方になっているだけなのよ」


「まあ、それは大変。お水なら持ってきますから日陰のベンチにお座りになっていて下さい。ガビー、マダムと一緒にここで待っていてね」


「ババム?」


 私は遠慮なくすぐそこのベンチに座りました。キャスはベビーカーを私の隣につけると、子供用の水筒に水を汲んで来てくれました。


「ガビー、貴女もお水飲むでしょう?」


「オー」


「サミーもこちらにおいで、少し日陰で休んだ方がいいわ」


「はーい」


「ああ、美味しい。助かったわ」


「どういたしまして。サンダルはお家に帰るまでもちそうですか?」


「歩く度に脱げそうになるけれど、まあなんとかなると思うわ。すぐそこだしね」


「踵にまわす紐の金具がなくなったのですね。あ、私髪をまとめるゴムが何本かありますからそれで緊急処置ができるかもしれません。よろしかったら見せて頂けますか?」


「まあ、そんなこと考えてもなかったわ。確かに私はこの髪じゃゴムもピンも必要ないけれど」


 私は白髪混じりの黒髪をショートボブにしています。


「よくお似合いの素敵な髪型だと思いますわ」


「ありがとう」


「ガビーはもうお水は要らないみたいね?」


「ダー!」


 ベビーカーに座っているガビーは水のボトルを地面に落としていました。それを拾った後、キャスは私の薄汚れたサンダルを手に取り、慣れた手つきで紐の穴にゴムを通しています。


「なにしているのー、キャス」


「マダムの壊れたサンダルを直しているのよ」


「キャスはなんでもできるんだよ、マダム」


「私はナンシー、よろしくね。君がサミーね。ガビーは貴方の妹なの?」


「うん」


「申し遅れました。カサンドラです。皆にはキャスと呼ばれています。マダム、長さはこれでよろしいでしょうか?」


 私はサンダルを履いてみました。


「ナンシーと呼んでね、キャス」


「ゴムの長さを調節した方がいいですか、ナンシー?」


「長さも丁度良いみたいよ。サミーの言う通りだわ。本当に貴女は器用なのね。ありがとう、キャス。これで家に無事に辿り着けるわ」


「お安い御用ですわ。今日の午後は益々暑くなりそうですね」


「貴女たちのこと、良くこの公園で見かけるけれど……貴女は名前で呼ばれているということは、この子たちの母親ではないの? 立ち入ったことを聞いてごめんなさい」


「ええ、私は夏休みの間だけの子守りです」


「まあそうだったのね。私もこの近くに住んでいて、いつもこの時間と夕方には散歩に出ることが多いのよ。また会えるといいわね」


「そうですね、ナンシー。お気をつけてお帰り下さい」


 私は他人の容姿や服装は特に注意して見ない方でした。美しくセットされた髪や流行の化粧、全く荒れていないマニキュアの手、高価な装いというものは何も意味をなさないと知っているからです。


 私がフォルリーニ一族には似つかわしくない服装で出歩いているのはただこんな普段着が楽だからなのですが、この方が他人の本性が良く分かるというものです。


 別れ際にキャスと握手をして、初めてまじまじと彼女を観察しました。見知らぬ粗末な恰好の私にも親切で、私の相手をしながらも子供たちに常に気を配っているキャスのことがとても気に入ったからです。


 彼女のポニーテールにしている薄茶の髪は少しくせ毛で、瞳の色も薄茶色、背は私より少し低く、全体的にほっそりしています。子守りだけあって、動きやすいパンツに運動靴姿でした。


「キャス、またブランコにのってもいい?」


「もちろんよ。ガビーも一緒にすぐ行くわね」




 それ以降、私はキャスが児童公園に居る時を狙っては散歩の途中に寄りました。生年月日、出身地、職業、居住地など地道にキャス情報を集めました。


 一番知りたかったのは恋人の有無で、大学で初めて出来た彼とは向こうの浮気が原因で長続きせず、イナイ歴は一年という超重要情報をゲットした時は心の中でガッツポーズをとっていました。




***今話の一言***

コメ スターテ?

お元気ですか? いかがお過ごしですか?


マテオ視点でもちょっと触れられていましたが、元祖ストーカーはナンシー伯母さんだったのです。

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