家政婦ラモナ・クルツ
フォルリーニ家に家政婦として長くお仕えしているラモナと申します。本当は主家の方々のことを話してはいけないのですが、読者の皆さまには是非知っていただきたいことが沢山ございます。それでは私、ラモナの語りによる『家政婦は見た!』の始まり始まりでございます。
私は通常、マテオさまのマンションへ週二回、フォルリーニ家に週三回通っております。皆さまが別荘などにご滞在中は私もそちらにお供することが多いです。滞在の長さによりますが、数週間に渡る時は私もずっと住み込みになります。
その夏はナンシーさまがサンダミエンの別荘に長い間滞在されておりました。ナンシーさまは朝晩のお散歩を欠かさない方です。ある日の午前中、普段よりも遅めに昼食ぎりぎりの時間に帰って来られたことがありました。
「まあ、シニョーラ・フォルリーニ、今日はもうこんなに暑くなったので心配しておりました」
「サンダルの紐が切れてしまってゆっくりとしか歩けなかったのよ、ほら。熱中症になる寸前だったわ」
「ご昼食の前にお休みになられますか?」
「いいえ、昼寝はお昼を頂いてからにするわ」
その翌日からでしょうか、ナンシーさまの朝の散歩にかけられる時間が長めになったのです。
「心配ご無用よ、ラモナ。散歩の途中でお友達と長話をしているだけだから。うちの東隣に滞在している家族の子守りをしているお嬢さんで、とても感じが良くて親切なのよ」
「隣に小さいお子さんがいらっしゃるのは存じておりました」
「ええ、キャスは毎日のように子供たちとそこの公園に来ていてね。そうそう、サンダルを直してくれたのも彼女なのよ」
「ああ、あのサンダルでございますか。ゴムを使うというあのアイデアには私も感服致しました」
「私、キャスのことが益々好きになっていくのよ。ほんわかしているようでいて、しっかり者で、それに彼女の笑顔にはとても癒されるの」
「ナンシーさまがそこまでおっしゃるということはとても素敵なお嬢さまなのでしょうね」
「ああ、マテオにも彼女みたいな恋人ができればいいのにねぇ」
その頃にマテオさまも二週間ほどの予定で別荘においでになりました。マテオさまは小さい頃からナンシーさまに可愛がられていて、お二人はとても仲がよろしいのです。
ご家族の皆さまはイタリア語で会話をされます。私もフォルリーニ家に二十年も勤めておりますから、イタリア語も少しできるのです。
『ね、キャスって私の言った通り、可愛いでしょう?』
『それは、まあ……』
『しかも今恋人は居ないって言っていたのよ!』
『……はあ、そうですか』
ナンシーさまとマテオさまが買い物から帰られた後、そんな会話をされていたのを小耳に挟みました。ナンシーさまのお考えが手に取るように分かります。彼女の人を見る目は確かで、マテオさまもそれはご存知のはずです。
そうこうしているうちにナンシーさまは急用が出来たとかで先にロリミエにお帰りになりました。別荘にはマテオさまがお一人で残られました。
そしてあの運命の温室破壊事件が起こったのです。可哀そうに、私が初めてお会いしたカサンドラさんは
カサンドラさんにしてみれば、マテオさまとは初対面なのでしょうが、実はそうではないのです。マテオさまだけでなく、家政婦の私までが既に彼女のことを存じ上げていたのです。
子供たちを連れたカサンドラさんがお帰りになった後、マテオさまにこう告げられました。
「ラモナ、今晩は外食するから準備しなくてもいい。七時頃にその、約束の相手がここに来てそれから一緒に出掛ける予定だ」
「はい、かしこまりました」
そのお相手がカサンドラさんだと分かった時には私も驚きました。しかもお二人が出掛ける時、マテオさまは彼女の手をとっていたのです。さすが天下のマテオ・フォルリーニ氏です。あの出会いからどうやって初デートに持っていけたのか、大いに興味がありました。
そしてその翌朝、こんなことを頼まれました。
「ラモナ、今日はこれから客が来る。その、今晩ここに泊まるから夕食は二人分用意してくれ」
「お客さまにはどちらのお部屋をお使いになってもらいますか?」
「そうだな、俺の部屋の向かいの角部屋がいいだろう」
私はてっきりお仕事関係のお客さまだとばかり思っておりました。しかし、朝食後すぐにマテオさまが連れて来られたのは何とカサンドラさんだったのです。
彼女に紹介された私は真面目な家政婦の顔を保つのに苦労致しました。初デートの翌日にはすでにお泊まりという展開の速さに、思わずニヤけてしまいそうでした。
ナンシーさまがべた褒めされていた通り、カサンドラさんは感じの良いお嬢さまでした。彼女は手持ち無沙汰だからと夕食の準備まで手伝って下さったのです。
そしてその翌日、二人は一緒に別荘を後になさいました。朝食の席での会話を小耳に挟んだだけですが、マテオさまはその後ボードゥローへカサンドラさんを同行されたようなのです。
主人の居なくなった別荘の掃除をしていたところ、電話が鳴りました。
「ナンシーよ、ラモナ。マテオは居るかしら?」
「今朝発たれました」
「えっ、もう? 携帯に電話しなかったのはね、貴女にマテオの動向を聞きたかったからなのよ」
ナンシーさまが何を意味されているか、何となく分かりました。
「お元気にされていますよ」
「ロソ。殺しても死なないくらい元気なのは明白よ。ではなくて、何か進展はあったのかしら? キャスのこと見ていたマテオの表情からして、満更でもなさそうで大いに脈ありだと思ったのに……」
「私の口からは申せません」
「と言うことは……ねえラモナ、私にだけは教えてよ」
確かにマテオさまのご両親には絶対に何も言えませんが、ナンシーさまにはと少しだけ心が動いたことは誰にも内緒です。
「……ご本人から直接にお聞きになって下さい」
「分かったわよ、プロ家政婦さん」
その後、私はロリミエに戻りました。二週間ほどでボードゥローからお帰りのマテオさまは、直ぐに外国へ出張に発たれてしまいました。マテオさまは数週間お帰りになりませんでした。
私はマテオさまが留守中でも、マンションへは週に一度は行っておりました。主がいつお戻りになっても良い状態を保つのも私の役目でございます。
「ラモナ、明日少し早めに、俺の出勤前に来られるか? 頼みたいことがある」
彼がやっと出張からマンションへ帰って来られた数日後、そんな電話がかかってきました。用件はマンション内の大掃除か模様替えだろうとばかり思っていました。ところが私の予想は見事に裏切られました。
「この土曜日なんだが、夕食を二人前作り置きしておいて欲しい」
「何かご希望はおありですか?」
「そうだな、特に好き嫌いもアレルギーもない。ああ、菜食ではないが野菜中心の食事を心がけているようだ。ラモナに任せる」
「かしこまりました」
お客さまはきっと女性だと思います。それでも食事作りだけなら電話か書き置きでも十分です。まだ他にも私に頼みたいことがあるのでしょう。
「……それから、女性用の洗面用具を一通り揃えておいて欲しい」
数秒の間をおいてマテオさまがそうおっしゃいます。そのお客さまはやはり女性で、お泊まりになるのです。
「石鹸、シャンプーの類でございますね。お好みの銘柄などがございましたらおっしゃって下さると助かりますが」
「銘柄か、それは分からないが……ホテルにあったレモンの香りがするローションを喜んで使っていたな。香りと言えば、ラベンダーが好きだと言っていた」
「分かりました」
マテオさまが彼女のことをお話しになる時は私もまず見ることのない、とても穏やかな表情をされています。
「タオルやバスローブもよろしければ準備しておきましょうか?」
「ああ、そうだな。ラモナに頼んで正解だな。俺はそこまで気が回らなかった。じゃあついでに部屋着やスリッパもお願いしようか」
「サイズはどのくらいでしょうか? それから部屋着でも色々なものがございますよ。どんなものがよろしいでしょうか?」
「……ラモナ、覚えているか? あの別荘に来たカサンドラだ」
再び数秒の沈黙の後に口を開かれたマテオさまの言葉には流石の私も思わず歓喜の声を上げて万歳をしそうになりました。
「も、もちろんでございます。そうですね、カサンドラさんでしたら割に上背はおありですが、サイズはSでよろしいでしょうね」
「部屋着も何か似合いそうなのを選んでもらえるか?」
「お任せ下さい。準備した物は主寝室の浴室に出しておけばよろしいでしょうか? それとも、客室でしょうか?」
「もちろん俺の部屋だ」
マテオさまのはにかんだような照れたような表情という、大変貴重なものを目にしました。
「愚問でございました」
電話や書き置きでは済ませられない用事でした。マテオさまに女性用品の買物を依頼されるなど、初めてのことです。
「それから、分かっているとは思うが、うちの家族には絶対言うなよ」
「承知しております」
実はお母さまのルチアさまからはマテオさまの私生活、特に女性関係を報告するようにと頼まれておりました。当然ナンシーさまも興味津々でいらっしゃいます。
今までは私は何も存じませんとしか言えませんでしたが、これからは心して口を閉ざさないといけないような気がします。
***今話の一言***
ロソ
知っています。分かっています。
流石、プロ家政婦のラモナさん、フォルリーニ家の皆さんよりも先に二人の仲の進み具合をしっかりと把握しておりました。
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