第十二話 奇妙な夕食会




 レストランまでは渋滞もなく十五分くらいで着きました。今日も暑い一日でしたが、この時間になるとオープンカーで風を受けるのが心地良いくらいの気温です。


 中に入り、案内されたテーブルで私はマテオと二人でメニューを眺めていました。しばらくしてマテオの顧客であるポール・デュゲイ氏と彼の奥さんアンジェラが現れました。


 デュゲイさんは見たところ五十代半ばで、アンジェラは三十代前半と思われます。いわゆる年の差カップルです。


 アンジェラは背中の半ばまである美しいストレートの黒髪で、目鼻立ちのはっきりした顔立ちをしています。見た目から推測するに性格がきつそうだ、というのが私の第一印象でした。旦那さまのデュゲイさんは気の良いおじさま風で、完全に若い奥さんの尻に敷かれているのが分かります。


 そのアンジェラは私を目にして紹介された時から、というかマテオの隣に座っている私の姿を見るや否や不躾な視線を浴びせてきました。


 彼女は早口のイタリア語で馴れ馴れしくマテオに度々話し掛けています。ご主人のデュゲイさんと私がイタリア語を話さないと分かっていてこの態度なのです。


 フランス語と似ているので時々単語は拾えるものの、アンジェラが言っていることはほとんど理解できません。それでもマテオと彼女は初対面ではなく、昔からの顔馴染みのようだと分かりました。どういう知り合いなのか、あまり知りたくもありませんでした。


 マテオはと言うと、彼女にはこの国ヴェルテュイユの公用語であり、この場の四人共が理解するフランス語で答えていました。それに答えていると言うより相槌を打っているだけでした。取引先の相手であるデュゲイさんに気を遣ってのことでしょう。


 例え同席者がビジネスの相手でなくとも、それは常識で礼儀です。


 顔合わせもろくにすまないうちに、今夜の私の役割が何であるにせよ、楽しめることはないと悟りました。マテオと親しい間柄であることを態度で示さないといけないという使命を背負っていた私でしたが、無礼なアンジェラの前では思ったほど難しくはありませんでした。


 再び彼女がマテオにイタリア語で何か聞いています。


「マダム・デュゲイ、興味がおありでしたらキャスに直接聞いてみたらいかがですか?」


「えっ、私に何をお聞きになりたいのですか?」


「貴女、マテオとはどこで知り合ったの?」


 それはアンジェラでなくとも、誰もが疑問に思う点でしょう。


「この夏、私は子守として働いていたのです。雇用主の別荘の隣人がマテオでした。ある日、子供が蹴ったボールが彼の庭に入ってしまって、私は恐る恐るマテオのお宅の呼び鈴を鳴らして……」


 そこで私はさも愛しそうにマテオの方を向いて彼の肘の辺りにそっと手をかけました。


「そのボールがうちの温室を直撃して破壊したものだから、最初にキャスが我が家に来た時、私はかなり不機嫌でした。それでも完全に私の一目惚れだったのですよ」


 どの口が言っているのか、一目惚れだなんて実際には程遠い状況でした。私はうっとりとした笑顔でマテオを見つめながら、心の中では失笑していました。


「私、一人でフォルリーニ宅に乗り込まないといけなかったら泣き出していたかもしれません。子供たちの前だったので、辛うじて大人の面子を保つために涙を堪えていたのです」


「私の剣幕に怯えながらも気丈に振舞う彼女がそれはそれは可愛くて、即夕食に誘わずにはいられなかったというわけですよ」


 マテオもお芝居とは思えないような甘い台詞を吐いた後、私の方をとろけるような笑顔で見つめ、私が添えた手をギュッと握り返してきました。


「うふふ、まさかこんな出会いから交際に発展するなんて思ってもみませんでしたわ」


 私たちの関係は、交際している男女ではなく雇用関係ですが、完全な嘘ではありません。全く、私もマテオも大した役者ぶりです。


「ミチェータ ミア、君は内気で大人しそうに見えて、実は意思が固いからなぁ。難攻不落で俺は苦労したよ」


 マテオは何と握っていた私の手を口元に持って行き軽く口付けます。これは何でも大袈裟でやり過ぎでしょうが、私も表情が引きつらないように気を付けながら彼を見つめ返しました。


「まあ……」


「いや、若いっていいねえ」


 憮然とした表情のアンジェラに、ニコニコと破顔したデュゲイさんは正に対照的でした。


 そこで給仕が注文を取りに来ました。私たちはまだ決めかねていたので、メニューを見ることに集中することになりました。


 こんな顔ぶれの食事ということで私は緊張していて食欲もあまり湧いてきませんが、勧められるまま皆に合わせてディナーのコースを頼みました。それに粗相をしないように気を張り詰めて会話に集中しながら食事をしないといけません。出されたものは残さず食べないといけないという貧乏人の習性で、失礼にならない程度に料理も手をつけました。


「キャス、あまり食べていないじゃないか?」


「だってもうお腹いっぱいで、何も入りそうにないのですもの」


「だったら包んでもらうか? 君ならもう少し食べてぽっちゃりしていても俺好みだけどな。栄養学的に言っても君は痩せすぎの部類に入るだろう?」


 ビジネスディナーには似つかわしくなく、私たち二人は時々見つめ合ったりテーブルの上で手を握ったりもしています。それがマテオの意図するところなら、私はそれに従うのみです。


 デュゲイさんは気を悪くするようなこともなく、私たちを笑顔で暖かく見守ってくれているようです。一方アンジェラは始終私に鋭い視線を投げかけてきました。居心地の良いものではありませんでした。


 それは私がお手洗いに立った後、席に戻ろうとしていた時でした。ハンカチを床に落としてすぐに気付いた私はしゃがんでそれを取ろうとし、ふと私たちのテーブルの方へ視線を向けました。


 テーブルクロスの下に私が目にしたものは、デザートを食べる食欲を完全に失わせてくれました。アンジェラがパンプスを脱いだ素足でマテオの膝辺りに触れていたのです。


 マテオが何故この場に私を連れて来たのかを何となく理解しました。仕事の会話ばかりで退屈するだろうアンジェラの話し相手ではないことは確かです。


 私はマテオやデュゲイさんの顔が直視できず、動揺を隠して席に着くので精一杯でした。男性二人が私の分からない仕事の話に夢中になっているのが幸いでした。


 私の左側に座っているマテオはそれから食事が終わるまでずっとテーブルの上で私の左手を握っていました。やっと食事会がお開きになった時、私はホッとした表情を出さないように必死でした。


 席を立ったマテオは持って来ていた冷え対策のカーディガンを私に着せてくれ、そのまま私の腰をしっかりと抱いて放しません。すぐにでもこの場から去って二人きりになりたいという意思表示はお芝居だけではないのでしょう。私は二人きりになりたいと言うより、アンジェラの視線から逃げることだけを考えていました。


 レストランの出口でデュゲイ夫婦と別れてからも、私の腰にはマテオの手が置かれていて、何だかより引き寄せられている気がします。


 彼らの前では穏やかな表情で通していたマテオも、今は厳しい顔をしていました。私は彼とアンジェラとの関係を聞きたくてしょうがなかったのですが、何と声を掛けていいか分かりませんでした。ホテルに帰る車内では彼は一言発しただけでした。


「ああ、早く戻ってシャワーが浴びたい」


「今晩はお疲れさまでした、マテオ」


 まだ不機嫌そうな彼に、私は他には何も言えません。




***今話の一言***

ミチェータ ミア

俺の小猫ちゃん


おお、これはまた癖のあるライバル役!?の登場ですよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る