第九話 ドレス選び




 夏のボードゥロー旧市街は観光客で賑わっていました。


「明日の午後は取引先の顧客と会う予定で、その後彼と夕食を一緒にとる。夕食は君も同行してもらう」


 石畳の道を歩きながらマテオが明日の予定を教えてくれました。彼の仕事相手との夕食に私がのこのこ顔を出して何をすればいいと言うのでしょう。


「お仕事なのに私を同席させるのですか?」


「ああ、向こうも奥さんを連れて来ると言っていたからな」


「その、私は場違いではないでしょうか?」


「いや、そんなことはない。というか、こっちも誰か隣に居てくれた方が良いんだ」


 仕事関係の方が奥さまと一緒なので彼も誰か同伴しないといけないのでしょう。とにかく、私は借金を負った使用人という立場で付添人役を仰せられたようです。一介の学生である私がそんな席で何か役に立てるとも思えません。


「貴方にとって私が居た方が宜しいのですか?」


「まあ明日になれば分かるさ。で、昨日のドレスも良かったが、出来ればもう少し華やかな格好をしてもらいたい。例えばあの店のマネキンが着ているようなのはどうだ? ちょっと入ってみようか」


 旧市街は大部分が石畳の通りで、土産物屋に手工芸品の店、アートギャラリーに高級ブティックなどが並んでいます。マテオが私に指したのは主に女性服を扱う店でした。普段の私なら、ちらりとも見ずに通り過ぎる類の商店です。


 マテオが躊躇ためらいもせず私の手を引いてその店に入ろうとするので、私は逆らうわけにもいきません。ところが、彼がドアの取っ手に手を掛けようとしたときにどこからか電子音が聞こえてきました。


「マルコ、何かあったのか?」


 マテオの携帯が鳴ったのでした。


「何だって? それで現場は?」


 急用のようです。


「ちょっと待ってくれ……カサンドラ、通話が長くなりそうだから先にあの白いドレスでも何でも試着させてもらっていろ。白いのは君に良く似合うと思う。俺は後から行くから」


「えっ、でも……」


 私は一人でこんな高そうな店に入る度胸はありませんが、仕事の話をしているマテオの会話を側で聞いているのも失礼かと思いました。マテオは再び電話の相手と会話を始めています。


「いらっしゃいませ」


 しょうがないので恐る恐る店に足を踏み入れた私は女性販売員に声を掛けられました。細身の黒いスーツを着こなしている彼女は微笑みもせず、私への視線はまるで汚いものでも視界に入ってきたような鋭いものでした。今の私の恰好ではしょうがないとも言えます。


「あの、ドレスを探しているのですが、表のマネキンが着ている白いドレスを試着させて頂けますか?」


 それでも勇気を振り絞って口を開きました。


「畏まりました。私が見る限りマダムは6か8でしょうか」

 

 問題のドレスですが、私が着るにしては上品すぎて、着こなせるわけがありません。白に近いクリーム色の滑らかな生地で、首回りが大きく開いているドレスはマネキンの体にフィットして美しいシルエットを見せています。


「こちらのフィッティングルームにどうぞ」


 再び彼女が私の全身をさっと見たその視線が何とも痛く感じられました。


「今すぐドレスをお持ちしますので」


 販売員の彼女の口調が益々きつくなったような気がしました。ただの被害妄想かもしれません。そして彼女は6と8のサイズを持ってきてくれました。


 ドレスのサイズは大抵8を着ています。このデザインだと6なんて入るわけがなく、8でも少しきつすぎるかもしれないのです。彼女はわざと小さめのサイズを持ってきたのではと勘繰らずにはいられません。


 そこでサイズ8を先に試着してみたところ、私にぴったりでした。それはともかく、馬子にも衣裳とはこのことです。


「こんなドレスでも着ていないと頭からつま先まで洗練された格好の彼には不釣り合いなのね……」


 思わずため息が漏れていました。それに肩がほとんど見えそうな襟ぐりの広いドレスですから、私の下着が見えています。


 そろそろマテオが店に入って来ているかもしれません。本当の恋人同士ならば、ここで試着室から出て行って彼に見せるのでしょう。しかし私はブラジャーの肩紐が出ている状態で、こんな姿を披露できるはずがありません。


「サイズはよろしいですか?」


「はい。8が良いみたいです」


「よろしければ10も持ってきますけれど」


 やはり私の気のせいではないようです。彼女の口調は高圧的で棘がありました。


「いえ、結構です。もう着替えて出ますから」


 私は美しいクリーム色のドレスを脱ぎ、試着室を後にしました。そこへ丁度マテオがドアを開けて入ってきました。


「いらっしゃいませ」


 マテオの堂々とした態度や服装を見て、これはへつらうべき相手だと先程の彼女が悟ったのがありありと分かりました。声は一オクターブ上がり、満面の笑顔もついてきました。マテオはその美しい販売員にはほとんど目もくれずに会釈をしただけでした。


「なんだカサンドラ、もう試着したのか? 君がそれを着ているところを見てみたかったのに」


 彼が優しく微笑みながら私のところへ一直線にやって来た時の彼女の表情は見ものでした。


「このドレスも悪くはないけれど、もっと他にも色々見てみたいわ。さっき前を通った店とか。ねえ、いいでしょう?」


 私はわざとらしく彼にしなを作って腕を組んで寄り添い、マテオを促しました。


「アンジェロ ミオ、君がそう言うのならもちろんだ」


 彼もそれに乗ってくれたようで、私の頭頂にキスをしてくれました。そして私は販売員に得意げな視線を投げかけると、マテオの腕にしがみついたまま店を出ました。そして店内が見えなくなったところで私はぱっとマテオから離れました。


「す、すみませんでした、フォルリーニさん。あの素敵なドレスには何の罪もないのですけれど……一人でお店に入って少し嫌な思いをしたので、もうあそこには居たくなかったのです」


「そうか」


 マテオはそのまま私に何も聞くことはなかったのでほっとしました。ドレスの値段を試着室で見たら私の一週間分の子守り代よりも高かったのです。販売員の彼女が私を見ためで判断せず、丁寧に接客してくれたとしても手の届かない買い物です。


 例えマテオが全額払ってくれるとしても買ってもらうわけにはいきません。あのデザインではドレスに透けない、肩紐のない下着がないと着られないのです。ドレスの色に合う靴も持っていません。それから冷房が効いた屋内では上に何か羽織らないと寒そうです。


「フォルリーニさん、あそこの店、右のマネキンが着ているドレスはどうですか? 明日の席には少々カジュアルすぎますか?」


「いいんじゃないか、ああいうのが好みなのか? 見てみよう」


 綿のニット生地にアップリケと刺繍で花や他のカラフルなモチーフがされているドレスでした。黒色の地に華やかな模様が映えて印象的です。


 その店は洋服店というよりは、手工芸品や土産物も並んでいる雑貨店でした。


「フォルリーニさんを私の買い物に付き合わせるのは申し訳ないです。明日の夜、貴方に恥をかかせないためのドレスを買えばいいのですよね。時間を決めて後で落ち合いませんか?」


「いや別に俺は構わないが、実は腹が猛烈に減ってきた。先に食事しよう」


「そうですね、そう言われると私もお腹がペコペコだということに気付きました」


「だったらこの先に何軒かレストランがある。早速腹ごしらえだ」


 マテオが私の腰にそっと手を当てて、そちらにいざないます。再び彼の体や手が私に触れて私は少し硬直してしまいました。こんなエスコートのされ方は初めてでした。


「カサンドラ、頼むからフォルリーニさんはやめてくれ。特に明日の夕食までに、俺と親し気にすることに慣れてもらわないと困るから、マテオと呼べ」


「はい。それでは私のことはキャスとお呼び下さい。家族や友人からはそう呼ばれていますから」


 心の中でマテオ、と呼んでみました。呼び捨てにするのはともかく、人前で彼とベタベタするのはかなりハードルが高そうです。


「それから俺が触れる度にビクッと飛び上がらないでくれ。今にでも痴漢、セクハラと叫び出しそうな表情をするのも。紳士としてのプライドが傷つく。そこまで怖がらせていないだろう?」


 大体、男性経験が皆無に等しい私です。急に男性から手を握られたり体に触れられたりすると無意識のうちに体がカチコチになってしまうのです。


「えっと、それは申し訳ありませんでした。気を付けます」




***今話の一言***

アンジェロ ミオ

僕の天使


映画『プリ〇ィーウー〇ン』にもこんな場面があったなあと思い出しながら書いておりました。相変わらず例えが古くて申し訳ございません。

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