同伴旅行

第八話 二人きりの旅




「ラモナさん、大変お世話になりました」


「いってらっしゃいませ」


 翌朝、遅い朝食を頂いた後、昼前にマテオと一緒にボードゥローに向けて出発しました。


 マテオがずっと運転し、二時間ほどで着くので休憩もしませんでした。もともと饒舌でもない私はマテオ相手に何を話していいか分からず、車の中ではほとんど無言のまま時間が過ぎていきました。それでもラジオのニュースや音楽を聴きながら、時々世間話をするくらいで、意外とそれが気まずくもなく、快適な車の旅でした。


 今日から滞在することになる場所はボードゥローのダウンタウンに位置する高級ホテルでした。マテオがチェックインを済ませ、私たちはエレベーターに乗りました。


 車の中では今晩からどんなところに泊まるのか気になってしょうがない私でしたが、マテオには何も聞けませんでした。ホテルに着いた今は彼と同じ部屋なのかどうか心配になってきました。それでも私は腹をくくって出来ることをするしかないのです。


 私たちの荷物を載せたカートを押すホテルの従業員が恭しく私たちをエレベーターに案内してくれました。私たちの部屋は客室階の最上階で、その階に到着したところでマテオが口を開きました。


「部屋は隣同士を取ってある。角部屋を頼んだから静かなはずだ」


「そうですか」


 別々の部屋という事実にあからさまにホッとした様子を悟られたくなくて、なるべく抑えた口調を心掛けます。従業員の人が部屋のドアを開けてくれました。


「こっちの部屋は君が使え、カサンドラ」


「はい、分かりました」


 一人で使うにはもったいないくらい広い部屋でした。思わずそれを口に出すところでした。広すぎると思うなら俺の部屋に来い、などと言われても非常に困るからです。


 私は払わなくてもいいとしても、一泊の値段が気になるところです。荷物を運んでくれた彼にマテオが心付けを渡していました。私のみすぼらしい旅行鞄まで持ってきてもらって申し訳ない気持ちでした。しかも心付けは小銭ではなくお札でした。貧乏性の私はこんなところまで一々見てしまいます。


「残りは私の荷物だ。隣の部屋に置いていってくれ」


「畏まりました」


 従業員の彼の目に私たちの関係はどう映っているのか、ふと気になりました。私のマテオに対する言葉遣いから、不倫旅行中のカップルか職場の上司と部下に見られるでしょう。仕事で出張の線が強いでしょう。不倫カップルなら同じ部屋に泊まるはずだからです。


「俺の部屋へはこの扉で繋がっているのだろうな、ほら」


 お互いの部屋を仕切っている壁に扉がありました。マテオがそれを開けると、もう一枚の扉が現れました。お互いが内側からそのドアを開けていれば、廊下に出なくても行き来できるようでした。


「俺はこれから下のジムで運動してくるつもりだ。君も一緒に来ないか?」


「はい、そうします。朝食を遅めに沢山いただいたから体を動かしたいです」


「プールもあるから俺は水着も持って行く」


「そうですか、泳ぐのもいいですね」


 そして私はマテオについてホテル内のジムに行きました。彼はトレーニング機を使うのにも慣れていて、私が選んだ機械の設定までしてくれました。


 私は始めて数分で汗だくになり息切れがしてきたので休みながらゆっくりと体を動かします。普段は子供たちと遊んでいるだけで、私は大いに運動不足だということを実感していました。


 マテオ自身はジョギングから始め、その次は筋トレと、涼しそうな顔で続けています。その後彼はプールで泳ぎ、いつものメニューだと言いながら難なくこなしているのです。


「カサンドラ、君も泳いだらいいのに。水の中の方が気持ちいいぞ」


 別荘でもそうでしたが、マテオが水着姿になると私は目のやり場に大いに困ります。それに昨日は別荘のプールであまりに彼が接近してきたので、自分も水着になってプールに一緒に入ることに尻込みしてしまうのです。


「いえ、私はもう泳ぐ体力は残っていないみたいですから」


「心配するな、溺れそうになったら助けて引き上げてやる。君くらいなら部屋まで担いで行くのも朝飯前だ」


「え、遠慮しておきます……」




「少し休んだらボードゥロー旧市街まで出掛けないか。夕食もそこでとろう」


 ジムから部屋に戻るエレベーターの中でマテオにそう提案されました。


「いいですね。私、ボードゥローは久しぶりです」


 私の実家はこの街からバスで一時間ほどの小さな町です。子供の頃は良くこのボードゥローにも来ていました。大学からロリミエに出た私は、ここ数年この街を訪れることはありませんでした。


 マテオが彼の部屋に行ってしまってから、私は二人の部屋を繋いでいる扉をどうしたらいいのか迷っていました。


「この扉って、ホテルに着いた時に確か彼が自分で開けてそのままだけれども……閉めてもいいのよね。それともこのまま開けておくべき?」


 マテオ側の扉はまだ閉まったままです。私の立場を考えると彼がこちらの部屋に来るのを拒むわけにはいきません。けれどあからさまに私から誘っている態度を見せるのもどうかと思われます。


 とりあえず扉のことは忘れて、部屋の中を見ることにしました。ホテルに着いてすぐジムに出掛けたので、ろくに何があるか確かめてもいなかったのです。


 窓からはボードゥローの中心街が見渡せます。左手には私が住んでいるロリミエの方角から流れているロラン河が見えました。


 この街は首都で、ロリミエに次いで二番目に大きい街です。ロリミエほど大都会ではなく、歴史の古いこの街はあまりごみごみしていなく、旅行で訪れるにも買い物をするにも快適な場所でした。観光シーズンの今、旧市街は賑わっていることでしょう。


 部屋に何が備え付けられているか一通り見た後、荷ほどきを済ませました。そして私はいつの間にかベッドの上で横になってうたた寝をしていたようでした。トントンと扉を叩く音に飛び起きました。


「カサンドラ?」


 それはマテオで、彼の部屋の方から声が聞こえてきました。


「は、はいっ。どうぞお入りください」


 乱れたポニーテールの頭を撫でつけながら私はベッドから降りました。


「すぐに返事がなかったから出掛けたのかと思った」


「申し訳ありません。いつの間にか寝入ってしまったみたいです」


 マテオは上着を手に持って、外出の準備もできているようです。二部屋の間の扉のうち私側は開いていたのですから、入ってきても良かったのに律儀にも自分の部屋から私に声を掛けてくれたマテオでした。


「疲れが溜まっていたのだろう。別に急いでもいないのに起こして悪かった」


「いいえ、大丈夫です。私、この格好で出掛けてもよろしいですか? それとも昨日着ていたドレスに着替えましょうか?」


 マテオのシャツとスラックス姿には不釣り合いかもしれません。私はジーンズにTシャツという普段着のままでした。私が唯一持ってきた昨日のサマードレスも綿の質素なものですが、ジーンズよりは余程ましです。


「そのままでいい」


「でしたら髪を梳かしたら私もすぐに行けます」


 予定外の昼寝をしたお陰で気分はすっきりしていました。これから旧市街を歩き回る元気も十分あります。


 空調の効いたホテル内にいると分かりませんでしたが、午後は益々暑くなっていました。日差しも強く、帽子を忘れずに持ってきて正解です。私が意識し過ぎなのかもしれませんが、マテオの白いオープンカーに乗っていると何かと目立ち、人目を引きました。


 旧市街に着き、マテオが車を停めて私たちは石畳の道を歩きます。でこぼこしている路面に私がつまづきそうになり、マテオがさっと腰を支えてくれました。


「スタイ アッテンタ」


 その後からずっと彼に手を繋がれています。恋人繋ぎでもなく、ただ子供と手を繋いでいるような優しい握り方でしたが、私は緊張で手のひらに汗をかきそうでした。


 他人の目に私たちは恋人同士と映っているのでしょうか。




***今話の一言***

スタイ アッテンタ

気を付けて


マテオさん、今のところいきなり襲いかかるようなことも無く、お行儀良くしています。カサンドラの方は周りの目が気になるようです。

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