第5話

 ふと、ひどく甘い匂いを感じた。それに導かれるように意識が覚醒していき、全身に力が戻っていることに気付いた。嗅いだこともない匂いだが……きっと魔香だろう。そして、右手だけがいやに温かい。


 俺の記憶にあるのは、蔓龍の心臓を口にした所まで。しかし、死後の世界かと思わなかったのは右手の温もりが俺を現実に繋ぎ止めておいてくれたおかげだと思う。


 ふと目を開けると、そこは大型のテントの中だった。生活感のある程度の散らかり方をしていて、家具は全て木材で造られているようだ。


「ここは……?」

「目が覚めましたか?」


 単なる呟きのつもりで声に出すと、意外にも返事があった。その涼やかな風のような声は……と首を動かして見ると、そこには『樹の魂』の前で出会ったウッドエルフの少女がいた。


 そして、右手に感じていた温もりは、彼女が握ってくれていたからだったらしい。もしかして、目覚めるまでずっと側に居てくれたのだろうか。


「無事だったんだね。良かったよ。手当もしてくれたのか? ありがとう」

「それは全てこちらの台詞です……本当にありがとうございました。貴方のおかげで私も里も救われました。良ければお名前を教えてはいただけませんか? 私はウッドエルフのトゥイと申します」

「ああ、そっか。自己紹介もしてなかったな。俺は冒険者のリーフだ」


 そう返すと、トゥイは銀色の髪ごと縦に揺らし、「リーフ、リーフ様……」と噛みしめるように何度も呟いた。


 そして、手を離して両手を床に付けると、深く頭を下げた。床に広がる長い銀髪に俺は思わず狼狽えてしまった。


「リーフ様。この度は『災害』という未曾有の危機から救っていただき、誠にありがとうございます。里を代表して、まずはお礼を申し上げます。そして……貴方に取ったあまりにも無礼な態度を、どうかお許しください」

「ま、待て待て。頭なんか下げるな。俺は俺がやりたいようにやっただけだ。感謝も謝罪もいらねえ。そう言ってくれるだけで十分だよ、本当に」


 別に俺はトゥイを助けたくて戦ったわけじゃない。結局は自分が戦いたかっただけだ。剣も抜かないままに死にたくなかっただけだ。


「しかし、それではこちらの気が済みません」

「いいよ、堅苦しいのは嫌いなんだろ。龍と戦ったなんて話、帝都に帰った時には良い土産話になるだろうぜ。ま、信じちゃくれないだろうけどな。ははっ」


 俺は帝都の定める冒険者格付けとしては、最下級……『銅級』冒険者だった。だからこそ、『樹の魂』を探す遠征には誰も付いてきてくれなかったのだ。そんな奴が龍を倒したなんて話、酒場で笑い話になるくらいしか無いだろう。


 と、その時テントの中に入ってくる新たな人物がいた。随分老いた男のウッドエルフで、リーフのものより大きな宝玉が額に輝いている。


「待たれよ。それではこちらが困るのじゃ。ウッドエルフの長として、受けた恩には報いなければならん。リーフ殿と申したか。どうか我らに、恩返しをさせてはもらえぬか」

「長老……盗み聞きですか?」

「リーフ殿が目覚めた気配を感じたから来たまでよ。しかし、お主があんなにかしこまって喋るのは初めて聞いたのう」


 不快そうな顔つきをするトゥイに相対して顎に生えた白いヒゲを撫でるその様は、なるほど長老だった。となると、この里で一番偉い人か。ウッドエルフは排他的な種族だって噂を聞いたことがあるけど、こうしてみると懐は広そうだ。


「どうじゃ、リーフ殿。儂らにあるのは樹海の知識だけではない。あらゆる樹海で見つけた古代エンシェント武器なんかもあるぞ?」

「いや、受け取っても俺には扱いきれないよ。俺には剣の才能は無いんだ」

「ふむ……では、防具ではどうじゃ? かつて邪龍の一撃さえはねのけたというコートがあったはずじゃ」

「だから、そういう話じゃないんだって。俺はまだ未熟だ。あまり強い道具に頼りたくない。それに、俺にとって最強の防御術は手に入れたしな」


 その後も、「金になる財産なんかはどうだ」とか勧められたが、俺はかたくなに拒否した。あまり派手な報酬を持ち歩くのも危険だし、帝都に持ち帰っても不審に思われるだけだろうと思ったのだ。


「うむ……非常に欲の無い青年じゃな。しかし、儂らは何でも礼がしたい。貴重な『災害』のサンプルと未知のスキルの存在を知られただけで十分過ぎる恩があるからのう」

「もらえる立場ならもらったけどね。『銅級』の冒険者がそんなモン持ってたらどこで襲われても文句は言えないよ」

「ならば、我らが誇る知識なんかはどうじゃ? 歴史に興味が無いと言うのなら、里で一番の薬師を紹介しよう。最終的には調合書を持っていってもらうことになるが、基礎くらいは経験者から学ぶのがよかろうて……それに、お主のスキルにも合っておるじゃろう?」


 言われて、驚く。全く、食えない爺さんだ。トゥイが見落とした俺のスキルもお見通しってわけか。


 だが、悪い話じゃない。自分でハーブの調合が出来れば助かる場面も多いだろうし……何より、魔香の新しいブレンドにも使えそうだ。


「よし、それじゃあそこら辺で手を打とうぜ。そもそも、勝手に感謝されてるなら俺も悪い気分じゃない。俺の頭にしまっておける物なら持ち帰っても問題ないだろう」

「うむ。最初は採取の段階で知らぬ植物も多かろう。この里に居る内はトゥイを側に付けさせようかのう。いかに毒が効かんといえど、まともな薬を作るためには主立った薬草を知っておくに越したことはないからの」


 その言葉に、トゥイがびくりと肩を竦ませる。もしかして、嫌だったりするのだろうか。もしそうなら、彼女を助けた事になる俺としては心に甚大なダメージが残るのだが。


「あの……良いんですか、長老。あの書にあるのは禁断の――」

「堅いことを言うのではない。門外不出のものじゃが、リーフ殿なら悪いようにはせんじゃろう。元より、人間の薬師では理解できぬ調合法ばかりじゃ」


 そんな二人のやりとりはどこか聞き流したまま、俺はいつものようにパイプを手に取って咥えようとして……そういえば、あれほどの戦闘だったのにこのパイプだけは無傷だったな、とどうでも良い事を考えていた。


「何より、儂は思うのじゃ。リーフ殿は樹海の本当の力を引き出せるのかもしれん。確かに、世界樹に至る者の器かもしれんとな」

「ん? ああ、そうだな……せっかく拾った命だ。また世界樹を目指す事にしようかね」


 俺は、どこの樹海に行っても聞く、冒険者にとって最大の夢である世界樹について、しばし思いを馳せていた。

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