人の妹は強い


 目を覚ますと、俺はパジャマ姿であった。


「――――――――――ッ」


 声にならない感情が俺の中を駆け巡る。

 全身で感じていた痛みが感情に変わった感覚。


 それでも俺はそれを押し殺す。



 窓の外を見ると薄暗かった。

 隣にいたはずの菫の姿は影も形も無い。


 俺は目を閉じる。



 ――何故だ。



 過去に戻れた事ではない。

 梓が何故死んでしまったのか? ただそれが知りたかった。


 遠足の日はまだまだ先であった。

 これから夏休みを過ごして、梓と一杯遊んで……それで、それで……。


 梓が死なない方法を探してもいない。


 梓の事を思うと身体がおかしくなる。

 分かってる。


 俺は自分で認識してしまった。


 ――俺は梓が好きだ。大好きなんだ。


 だから止まるな。俺は菫に言っただろ。過去に戻れるんだ。

 なら――梓だって助けられるんだ!!!


 俺はスマホを手に取った。

 今の時間は朝の五時。


 震える手を抑えながら俺は着信ボタンを押した。

 コール音が鳴る。


「――――――――――――――うぅん……目覚まし早いよ……うぅ……梓、もう少し寝りゅの……おやしゅみ……」


 俺は安堵の溜息を吐いた。

 梓の声を聞こえる。

 それだけで勇気が湧いて来る。


「梓、けんちゃんだ。寝ぼけて聞いてないかも知れないけど……、昨日はごめんな。俺が冷たい事言っちゃって……。本当に――ごめん。だから……また、仲良く――」


「ふわぁ……なんかけんちゃんの声が聞こえる……ふふ……そっか……昨日の事は夢なんだ……きっとそう…………すぅ……ふがっ……すぅ……」


 俺は静かに通話ボタンを切った。


 ――良かった。


 本当に良かった。また梓に会えることができるんだ。



 頭を切り替えろ。頬に伝う涙を拭け。感情を抑えろ。

 俺は戻れた。

 だから――考えるんだ。


 俺はパジャマのまま机にかじりついた。前回過ごした日々を事細かくノートに記述することにした。






 ***************





「わわぁ!? けんちゃん……、あ、いや、あんた、なんでこんな早いのよ!?」


 俺の家の前で立ち止まった梓に出会う。

 自分の感情を抑える必要がある。まずは梓の気持ちの整理をしてあげるんだ。


 俺が冷たい事を言ったのは、昨日の事だ。それを絶対忘れるな。

 ……今朝の電話は忘れているはずだけど、影響はあるらしいな。


 俺の一番初めの第一声は――


「梓、昨日は本当にごめん、心から謝罪する。だから、昔みたいにけんちゃんって呼んでくれ、俺からのお願いだ、頼む!!」


「へ、へ!? ちょっと、あん……、ふん、まあ良いわ。お願いなら仕方ないわね……また、け、けんちゃんって呼んであげるわ! わ、私、萌が待ってるから、さ、先行くわ。――ふふん〜〜」


「ああ、気を付けてな!! 梓!!」


 今日は中島と一緒に登校していないはずだけど……ただの強がりなはずだ。梓が他の生徒に絡まれるか心配だ。

 俺はスマホを取り出した。


「――――――あ、中島、おはよう。梓が一人で登校するから一緒にいてくれ、頼む。――――ああ、そうだ、頼む――――眠い?――――それでもだ――――ああ、分かってる。今は俺じゃ駄目だ。――仕方ない、サイゲのミラノドリアで良いんだな? くっそ――」


 通話ボタンを力強く切る。いや、意味なんて無いけどさ。


 さて、次だ。


 この時間はまだ家に居るはずだ。

 俺は手が記憶している電話番号をスマホに入力する。


 もう何年もかけてないけど身体が覚えていた。


 朝の非常識な時間。それでも俺は学生だ。許してもらえるだろう。

 ワンコールで相手が出た。


「――はい、足立でございます」


 梓のお母さんの優しい声が俺の耳に届いた。





 **************




「あらあらあらあら、あらら、けんちゃん久しぶりね〜、あれ? 学校はいいの? まだ早いけどそろそろ登校しなきゃいけないんじゃないの? あら、菫にも話があるの? あらあら、何かしら〜〜」


「――――――――おはようございます」


 俺は全速力で梓の家に向かった。

 そして今現在、俺はお母さんと菫とテーブルを囲んでいる。


 俺の記憶の中のお母さんは泣き崩れた姿で止まっている。

 だから元気な姿のお母さんを見れて嬉しかった。


 そして、俺の目の前には大量の朝食が置かれていた……。

 いや、お母さん? 俺も菫も学校行かなきゃいけないんだよ?

 梓は出ていったじゃん!?


「ま、まあいいか……」


「あらら? 何かしら? ふふ、お母さんとっても嬉しいの! 昨日梓がけんちゃんと喧嘩したって泣いて帰ってきてね。でも今朝はケロリとしてたのよ〜。すぐ仲直りしたのね〜、えらいわね〜」


 駄目だ、俺は菫と話すために来たのに、目的が変わってしまっている!?

 くっ、お母さん変わっていないな……若くて綺麗で……。マシンガントークでずっと喋っている。


「――それでね、梓ったら本当に素直じゃないのよ〜。けんちゃんからも言ってあげてね! あ、洗濯物終わったみたいね。ちょっと待っててね!」


 スタタッと居間から離れるお母さん。俺と菫は二人っきりになった。


 菫はずっと無口であった。

 俺は菫に軽く声をかけた。


「すまん、遅刻しそうな感じだな……」


「――――――いいの」


 菫は硬い表情をしていた。

 何か堪えているような顔。

 俺をまっすぐ見つめる瞳から……涙が流れていた。


「お、おい、菫?」


「――――――うん、なんかね。よくわからないの。長い夢を見ていたみたい。……それでね。けんちゃんが今日来てくれるって……思ってて……」


「――――――」


「ねえ、お姉ちゃん死んじゃうの。けんちゃん知ってるんでしょ?」


 俺の背中に電流が走る。

 覚えているのか? あの夏休み前の日々を?


 俺が驚いていると、菫は首を振った。


「――悲しい夢を見ていた気がするの。漠然としてて全然覚えてないけど――けんちゃんの顔だけが覚えているよ」


「そうか――菫、俺の話を聞いてくれ――」


 信じられるかどうかなんて前置きはいらない。

 菫はきっと信じてくれる。


 俺は菫に手短に説明をした。






「――それで、菫は最後に『もしも、私に会えたら――』って言って、俺はまた過去に戻って来ることが出来た」


 菫は手を前に出した。

 まるで空虚を掴むような動き。

 深呼吸をする。


 静寂が広がる。


 しばらくの間を置いて、菫は口を開いた。




「――――私のバカ、意気地なし。……はぁぁぁぁぁ〜〜〜〜、もういやんなっちゃうわ。けんちゃん――」


 菫の目に力がこもる。涙が止まっていた。


「――――私、もう泣かないよ。お姉ちゃんとけんちゃんが助かるまでは」


 菫から感じる強い意思。

 まるで別人を見ているような錯覚。


 俺は心のうちで、感じたことがない光が生まれた。

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