自分の気持ちに気が付いた時、物語は始まる

 静かに図書室の扉を開けた。

 室内には生徒がほとんどいなかった。


 俺は一直線に奥の本棚へと向かった。


 一人本を読みながら佇む少女、菫がいた。

 俺は思わず駆け寄ってしまった。


「す、菫っ! 何か変なんだっ! 俺おかしいんだ!」


 菫は驚いた顔をして俺を見る。


「ふえ!? ち、近いよ!? け、けんちゃん、離れて――」


「胸がホワホワすると言うか、ドキドキするというか……とにかくおかしいんだよ!」


「あーーっ! もう、ここは図書室だよ! し、静かにして、ね、話聞くからさ――」


 菫は本を戻して、誰もいない机に向かった。

 俺は菫に叫んで少しだけ落ち着く事ができた。


 俺たちは席に着く。

 周りには誰もいない。

 菫は俺が席に着いたのを見届けると、「ちょっと待って」といって奥の部屋へと向かった。


 俺はおとなしく待つことにした。


 静寂が俺を包む。


 今日は梓は中島とサイゲに行く約束があったから、俺は帰り道途中で別れた。

 明日は梓と一緒にカフェで夏休みの計画を立てる予定である。


 ――駄目だ。梓と一緒に計画を立てる予定だけでウキウキしている自分がいる。


 子供の頃から梓とはずっと一緒だった。

 思春期の時は恥ずかしがって喋りづらかったけど、それでも意識することなく普通に喋れていた。


 計画を立てようって、梓に言った時、梓ははにかみながら頷いてくれた。

 俺も恥ずかしくなって俯いてしまった。

 中島と琢磨には笑われてしまったが、なぜだか悪い気がしなかった。


 ――本当にどうしたんだ? これじゃあまるで……。


 机の上にトンッと何かが置かれた音がした。


「はい、お茶でも飲んで落ち着いてね。あ、裏に図書委員の部屋があってね、たまに使わせてもらってるの!」


「あ、ありがとう」


「よいしょ――それで、お姉ちゃんの事でしょ?」


「ごほっ、ごほっ!」


 俺は思わずむせてしまった。


「なんでそれが分かった!?」


 菫は俺に微笑む。


「ふふ、だって、けんちゃん今お姉ちゃんの事で頭が一杯でしょ? それしか用件ないじゃん。それとも、私に特別な用事とかあるのかな?」


「あ、うん、す、すまん……、梓の事だ」


 菫は軽く溜息を吐くと、佇まいを居直した。


「はい、じゃあ私に話しなさい」


「ああ、なんか最近おかしいんだ――」


 俺は菫に最近の俺の行動と気持ちを話した。




 ****************




 話を聞き終わった菫は――


「はぁぁぁぁぁぁ〜〜」


 盛大な溜息を吐いた。

 え、何かおかしかったのか?


 菫は駄目な生徒を見るような目で俺を見た。


「けんちゃん……まさかそんなに鈍いとはね……。それでお姉ちゃんの後悔を無くせるの? もう、心配だよ……」


「え、そんなに駄目なのか?」


「うん、ダメダメ……というか、けんちゃん、本当は自分の気持ちが何か分かってるんでしょ?」


 二人の間で沈黙が広がる。


 菫が口を開いた。


「なんでお姉ちゃんに自分の気持ち言わないの?」


「わからない――ただ――」


「ただ?」


 これは感覚が告げていたのかも知れない。

 俺が梓に自分の気持ちを告げたら……梓は離れていくだろう。


 梓は優しい子だ。

 自分の死期を理解している。死の恐怖と戦っている。

 だから、どう転んでも梓は俺を悲しませないように――距離を置くだろう。


「俺のわがままで梓を苦しめたくない。梓の後悔を無くすために俺は戻ったんだから」


 菫はお茶をすする。妙に似合う。


「……ねえ、けんちゃん、本当にそうなのかしら? 私ね、知ってるの。最近お姉ちゃんが嬉しそうに家でけんちゃんの事を話すの」


「あんなお姉ちゃん見たの久しぶり、ずっとふさぎ込んでたから……」


「そうか……。で、でもな、もし梓に好きな奴がいて、俺がうろちょろしてたら迷惑じゃないかって思って――」


 菫はお茶をドンッと机の上に置いた。静かな図書室に音が響く。


「はぁぁぁぁ〜、ちょっとけんちゃん……、私からは言わないけどさ……本当に二人とも不器用なんだよ……見ててイライラするよ」


 菫の額がピクピクしている。うん、なんかごめん。


 ちょっと菫が怖くて、真面目な顔で話す。


「いや、それもあるけどさ、俺思ったんだ。俺が三ヶ月前に戻れた事には意味があると思う。……もちろん梓が後悔を無くして……幸せな気持ちのまま看取る事が出来たらいいけどさ」


 俺は梓の素の顔を思い出す。

 それは俺が一番好きな顔であった。


 あ、好き? やっぱり俺って――




「ああ、そうだ。好きな子に死なれるのが辛いんだ――」




「けんちゃん……」


 菫は俺の言葉を待つ。

 俺は菫に微笑んだ。


「ほら、俺って馬鹿だろ? このまま梓と一緒に過ごして、大切な思い出を作って……梓を見送って……それで、俺は多分死んじゃうと思う。あ、まって、自殺じゃないぞ? 感覚でわかるんだ。俺がここに戻って来れた時、頭の中で何かがブチッて切れる音が聞こえた」


「え……や、やだよ、けんちゃんも死んじゃうなんて……」


 菫は泣きそうな顔になる。


 俺は力強く頷く。



「だからな、俺は決めたんだ。『必ず』梓を幸せにするって」



 ――一番初めに抱いた思いとは違う。


 妥協じゃない。本当のゴールを目指すんだ。




「ひっぐ、ひっぐ……で、でも……お姉ちゃん……絶対死んじゃうじゃん……どうしようもないじゃん!! そんな簡単に言わないでよ!!」


 菫の梓を思う気持ちが伝わってくる。

 梓は本当に愛されているんだな。


 だから、



「菫、俺に任せろ。俺は三ヶ月前に戻る事が出来た。これは奇跡的な事だ。……梓の病気だってどうにかできるはずだ――」


 菫は泣きながら笑っていた。


「ひぐ……は、ははっ……ぐすっ……、もう、けんちゃん、カッコよすぎだよ……ばか……」


「ははっ、まだ何にも解決作がねーけどな。……なあ菫、梓の病気を詳しく教えてくれ――」


「もう……、うん、ちょっと待ってね……どこから話そうかな――」


 菫は涙な拭きながらゆっくりと話し始めた。





 ****************




「……こんな感じかな。専門的な事は分からないけど……両親から聞かされた全部だよ。……でもね、おかしいの、お姉ちゃんの病気は突然だったんだよ。それまでは普通だったのに……」


 菫は涙をこらえながら話してくれた。

 ……俺は医学について全く知識がない。それでも梓の病気が既存の病気とは違う事だけは理解できた。


「菫、ありがとう。今日は遅いから送る――ん?」


 俺と菫のスマホが同時に鳴り響いた。

 菫は小さく呟く。


「とう、さん?」


 俺の画面に出ているのは……中島であった。



 漠然とした不安が襲いかかる。

 俺と菫はお互いの顔を見合わせて……スマホを取った。






『――――健太!! 健太っ!!! 梓が……梓が――』



 俺の前にいた菫がスマホを落とした。

 顔面蒼白になっていた。


「……お、お姉ちゃんが……交通事故――即死って――」


 フラフラと地面にへたりこむ菫。


 俺の胸には様々な思いが駆け巡る。


 悲しみ、後悔、虚無感、憤り、怒り――


 その全てを――


 俺は押し殺した。

 見えない痛みを俺の身体が感じる。



 俺は放心している菫の肩を抱き寄せた。


「――終わりじゃない。菫、俺は誓ったんだ。あいつと夏を一緒に過ごすって。遠足に一緒に行くって……そのあとにある文化祭を一緒に回るって!! だから、俺は必ず……必ず……梓を助ける!!!」


 焦点が合っていない菫の目にほんの少しだけ力が戻っていた。


「け、けんちゃん……?」


 身体の痛みが頭に駆け上がる。

 頭がちぎれるような痛み。


「がはっ……、だ、だから……安心してくれ……俺が……また……」


「けんちゃん!? 身体が――これが――あれ? 私の身体も? ――けんちゃん!! もしも、また、私に会えたら――」


 菫の声が遠くて聞こえなくなる。



 それでも俺は叫んだ!!!



「うおぉぉぉぉぉ!!! 絶対戻る!! 俺は必ず――」




 頭の中でブチッという音が聞こえた。



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