一般高校生の一幕


 2098年という時代において、肉体的性別というものは基本的にその人間のファッション程度の意味合いしか存在しない。

 遺伝情報は生まれた際にレコーディングされ、遺伝データバンクに永久に保管される。子を生みたければ、メッセージ一つでピザの宅配の様な気軽さで合成された精子と卵子のセットが冷却パックで送られてくる。

 顔面は好きなように組み替えられ、個人の識別は生まれた時に振られたIDで行われる。無論それも偽造され放題、自己というものを規定するのは己の意思以外に存在しない、そういった世界になっていた。


 技術の躍進は人間がどうにか外部に保持してきた自己規定機構を全て焼き滅ぼし、“我思う、故に我ありコギト・エル・ゴスム”を実践できないものはみな電子空間の闇に呑まれた。四散した自我を電脳ドラッグの快楽に浸し道端に転がる哀れな人間だったものは一晩もすれば予備の生体部品に生まれ変わり有効活用されるだろう。


 ……と悲観的に言ったものの、実際にはそこまで悲惨な場所は世界でもそうそう存在しない。

 たしかに世界は大きく変わったが、酷くなる一方でも大きく戦争が起こったりする訳でもなく恙無く進んでいく。

 世界の裏側の小さなスラムで古典的なサイバーパンクの様な世界が繰り広げられているかもしれないが、世界の人間は概ねそれなりに大変に、それなりに幸せに過ごしている。


 まぁ、でも実は古典のサイバーパンクな世界には少し憧れる。そんな世界だったら、学校の校則で過度な原色パーツとか、身体能力増強系のサイバネを禁止されないだろうし。


 世界は昔考えられてたより案外自由だ。別に企業に世界は支配されてないし、公害で町の半分が汚染されたりなんかしてない。でも空飛ぶ車は大分前に出来たし、サイバネティクスはそれこそ日替わりで性別変えられるくらいには発展している。


 まぁ日替わりで変えると感覚おかしくなるからやりたくないんだけど。


 しかしまぁ高校の国語の時間とはどうしてこんな暇なのか。教師の話を右から左に流しながら、教科書と便覧に書かれた大昔の小説をペラペラと読み進めては、益体のことばかり考えてしまう。


 欠伸をすると換気のために開けられた窓からひゅうと冷たい風が吹いた。いかにサイバネティクスが進んでも空気中の酸素濃度が下がると居眠りはしてしまうのだ(正確には眠気を覚ますインプラントは規制が掛かってて使えないのだ、しょんぼり)。


 ふと目線を下に向けると、親友が校庭を死にそうになりながら走っているのが視界に入る。

 どうやら今日の体は女のそれだった。体育の時間割を忘れて完全に見た目重視で組んだらしい、アホめ。


 内心で笑いながら、ぽよんぽよんと胸につけた人工油脂製の胸部を揺らしてゼェゼェ言いながら走る親友に短文でメッセージを送る。


『時間割も読めないんでちゅか〜〜〜?』


『フ**ク!!今日一緒に寝てやろうと思った私がバカだった』


『ごめんて』


『よろしい、詫びに飯を作れ』


 大昔の慣用句で、女の尻に敷かれると言うが女性型の時の我が友はやたら強い気がする。


 まぁしかし、つまらない授業を受けるやる気が少しだけ沸いたのは確かだ。黒板(無論ディスプレイ)を眺めてつまらない授業のノートを取り始める。海馬に情報をインプットするのに反復学習が未だに一番の方法なのはどうかと思う。ニューロマンサーみたいに手軽に脳に情報がねじ込めればいいのにな。


 …………あ、今日の体、女じゃん。


『俺今日女だぞ、どっちがどうするよ』


『マジか、気合で生やせ』


『アタッチメントもタダじゃないんだが〜〜〜?』


『自分のつければいいだろ』


『付け替え手数料2000円払ってください〜〜〜!』


『割り勘』


『承知』


 しょうもない会話ログが視界の端をスラスラと流れていく。うむ、高校一年の冬にしては最高に適当な過ごし方だ、再び便覧に視線を落として続きを読み見始める。


 そして、冷たい風がもう一度ひゅうと吹き頬を撫でた。

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