第57話 全裸はお断りだ

「ぷはー」

「い、いきなり血を吸うとは……この人は吸血鬼か何かか?」


 ロレンツィオはようやく佐枝子が離れた首筋を撫で、苦言を呈する。

 血を吸ったはずなのだけど、彼の首筋には傷跡一つなかった。

 対する佐枝子だが、うつむいて肩を震わせている。よほど美味しかったのか? ロレンツィオの血が。

 だったら、もう俺じゃなく今後はロレンツィオにして欲しい。

 い、いや。ロレンツィオが逃亡したら困る。


「ゴゴゴゴゴ……この味、きさま、転生者だな!」

「イル。この人、そうじゃないかと思ってたけど、元日本人?」

「うん。ちょっと頭が弱いんだ。許してやってくれ」

「むきいい! 頭が弱いって言うなし! これでも私はちゃんと領地をおさめてきたんだから!」

「放置だろ、放置」

「放置という政策よ。へへーん」


 やれやれ。ロレンツィオと顔を見合わせ「ふう」とお互いにため息をつく。

 あ、そうか。一応説明しておこう。

 彼女との約束だったからさ。

 

「佐枝子。約束通り転生者に会わせたぞ。もういいだろ、領地に帰っても」

「転生者のイケメンくんの血を吸ったけど、まだもう一つあるわ。目ざといあなたが忘れているわけないわよね?」

「戦争が終わったら血を吸わせてやるって話か? さっきも要塞の中でも吸っただろ?」

「それはそれ、これはこれよ。戦争が終わったご褒美は別腹よね。よね?」

「分かった。分かったから迫ってくるな。でも、残念、まだ戦争は終わっていない」

「ええええ。大勝利だったんじゃないの?」

「トイトブルク森での戦いはな」


 佐枝子の言う通り、トイトブルク森の戦いは王国の完勝だったと言っていい。

 旧王国騎士を含む帝国軍の総数は8000。対する王国はたったの1000だった(後にオークとロレンツィオらが加わったが)。

 しかし、森での不整地戦に引き込んだ王国のゲリラ戦と野戦築城によって帝国軍を完膚なきまでに撃退したのだ。

 この戦いで帝国軍の戦死者はおよそ4000と、約半数を失った。捕虜を抱えきれないので緒戦で捕虜にした帝国兵と新たに連れてきた200以外はお帰り頂いた。

 こちらの損害は100に満たないほど。

 帝国に比べれば毛ほどではあるが、誰一人死なせずに戦いを終えることはできなかった。

 昨日まで笑っていた者が、翌日には動かぬ死体になっている。

 それが、戦争というものだ。分かってはいても、やはり戦死者や酷い怪我を負った者を見ると、いたたまれない気持ちになった。

 誰が死なせた? 俺だ。俺が死なせた。

 死んでくれと兵に願ったのは俺だ。月並みな言い方だが、俺は彼らの死を背負っている。俺が自分の望みのために、彼らを戦場へ導き、殺した。

 後悔はしていない。もっとうまくやれたかもしれない、なんてことも考えた夜もある。

 俺は彼らの犠牲を糧にして、ミレニア王国を繁栄に導く。

 それが、死んでいった戦士たちの誰もが望んだこと。報いになるかどうかなんて、俺の自己満足に過ぎないのだけど、見ていてくれ。王国の行く末を。

 見守っていてくれ。そして、どうか安らかに。

 

 戦いのことを振り返っていたら、自然と黙とうしていた。

 祈る神なんていないが、彼らを想い祈ることならできる。

 

「突然、目をつぶってどうしたの? ちゅーしたいの?」

「イルは優し過ぎるんだよ。戦死者のことでも考えていたんだろ。望んで戦場に行った。死を覚悟して。なら、その結果が死だったとしてもそれはそれだよ」

「ばっさばっさ敵兵を斬っていたってサンドロくんから聞いたけど。イルったら、心の中で苦しみながら戦っていたのね。いやん。愛おしくなってきちゃった」


 勝手なことを。

 でも、この二人がいてくれると、自分が王であることを忘れることができた。

 九曜や桔梗と一緒の時も心が落ち着くが、彼らは彼らでささくれだった心を癒してくれる。


「ん。んん。あ、やっと分かった。戦場での決着がついたけど、帝国がまだ負けを認めていないってことね」

「派兵のおかわりをしてくるのか、和平条約を結ぶのかまだ分からん。ノヴァーラがいなくなったから、戦争理由がなくなったのだけどね」

「負けたままでは帝国の威信にかかわる、なんてことを言いださなければ、ってこと?」

「そういうこと。これ以上戦争を続けても帝国にとって得るものなんてないと冷静な判断をしてくれりゃあいいんだけどな」

「厳しい条件をつけたの?」

「ん、そうでもないけどな」


 俺の主張は緒戦勝利後に帝国へ送りつけたものとそれほど変わっていない。

 考え事をしているフリをしていた佐枝子だったが、んーと顎に指先をつけ目をぱちくりとさせた。

 

「桔梗ちゃんが来てるわよ」

「相変わらず気配察知が超人的だな」

「てへ。ヴァンパイアなもんで、さーせん」


 佐枝子が額をペシンと叩き、ペロッと舌を出す。何か所々で「古い」。佐枝子が生きていた時代は俺より少し前だったのかもしれない。

 彼女がいたら手練れの暗殺者が入り込んだとしても全く心配する必要がないな……。

 さすが超越的な力を持つヴァンパイアである。頭が残念であるけど。

 

「桔梗。入ってきてくれ」


 声をかけると、佐枝子が開けてそのままになっていた窓からストンと桔梗が降り立つ。

 そのまま片膝を付いた桔梗がすっと巻物を上に掲げた。

 

「イル様。帝国からの書状が届きました」

「おお。ありがとう。さっそく見させてもらうよ」


 双頭の鷲の蝋印をぺりっとはがし、中を改める。

 ふむ、ふむふむ。

 概ね予想通りか。一つだけ意外な提案があったが、特に問題ない。

 

「桔梗、騎士団長に二人ほど帝国への使者を選出するようにと伝えてもらえるか?」

「承知しました」


 ペコリと頭を下げた桔梗は、窓から出て行った。


「その顔。落ち着くところに落ち着いた感じかな?」

「まあ、そんなところだ」


 様子を見守っていたロレンツィオに向け帝国からの書状を投げ渡す。

 ぽすんと受け取った彼はさらっと目を通し俺に書状を投げ返してきた。

 

「これでいいんじゃないか。特段、修正点は見当たらない」

「俺もそう思う」


 頷き合う俺たちに佐枝子が割って入ってくる。物理的に。


「ね、ねね。何て書いてあったの?」

「机から降りろ、まずはそれからだ」

「もうう。全裸になる?」

「脱いだらここから放り出すぞ」

「実は見たいくせにー。めんごめんご。その目、ちゅーしたくなるからやめてえ」


 突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んだらいいのか。

 一応、帝国からの書状って機密情報になるんだけど、佐枝子だし別に知られても構わない。

 そのまま読ませても、説明をしてくれと言うだろうし最初から口頭の方がいいかな。

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