第56話 戦後処理

 帝国の降伏により、トイトブルク森での戦いが終結した。

 ノヴァーラがミレニア王国の王である正当性を主張し、悲運なるノヴァーラ王の戴冠を帝国も正当性があると認める。

 よって、ミレニア王国の王を僭称するイル・モーロ・スフォルツァは直ちに退位しノヴァーラに王位を譲れというのが、帝国の主張だった。

 戦争理由としては無茶苦茶だが、ノヴァーラは国内の叛乱のため帝国へ亡命せざるを得なかった……として、叛乱軍を打倒すべく帝国で牙を研ぐ。

 いよいよとなった時に俺が叛乱軍を打倒し、王になったというわけだ。

 まあ、戦争理由なんて名目だけだし、既にノヴァーラに力なんてなかった。

 いずれ帝国はミレニア王国をノヴァ-ラの禅譲という形で手に入れるみたいな密約を奴と交わしていたのだろう。

 今となっては、理由など別にどうでもいい話ではあるが。

 

 捕虜を連れ、ミレニアに戻ってきた俺たちであったが、帝国軍を降伏させたからといって戦争そのものが終わったわけではない。

 トイトブルク森での戦いは確かに終結した。だけど、帝国と戦争状態であることは変わらない。

 国同士の戦争というものは、ただ戦いが終わったからといって終わるものじゃあないんだ。

 ここでこじれると更なる戦いに赴かなければならなくなる。

 

 トイトブルク森から離れる前に帝国へ使者は送っていた。

 

「ふう。あれからもう七日たつのか」

 

 執務室の椅子に座り直し、両手を頭の後ろへ回してふうと息をつく。

 戻るなり、たまった政務を片付けていたらあっという間に日付けが過ぎていた。

 この部屋は俺専用の執務室だったのだが、新たにもう一つ机を運び込んでいる。

 というのは、あくせく働く長髪の彼のためだ。


「イル。手を止めている場合じゃないぞ。ほら、とっととやらんと」

「ん。まあそうだな。終わらんものを頑張っても終わらんぞ」


 汗水たらして働く長髪の彼ことロレンツィオは、本当に書類へ目を通しているのかというほど手が早い。

 適当に流しているんじゃないのかと思って、書類の中身について聞いてみたら正確に全てを把握していた。

 あの処理速度で理解しつつ振り分け、指示があれば書き込み、問題なければ決裁をする。

 すごいぞ、ロレンツィオ。王国の事務用コンピューターとしてこの調子で頑張ってくれ。


「終わらせて、とっとと風呂に入るんだ」

「どんだけ風呂が好きなんだよ!」


 ボソリと呟いた彼のセリフに思わず突っ込んだ。


「僕は事務処理をするために貴族のぼんくらに生まれ変わったんじゃない! 悠々自適の自堕落ライフを送るつもりなんだ」

「休みが欲しいってことか?」

「そうだとも。休日。なんて素晴らしい響きなんだ」

「こういう話を知っているか? 自由という言葉は、不自由だからこそ自由を感じとることができるのだ、と。休日も同じだ。仕事があってこそ休日がある」

「むきいい。ワーカーホリックの君にそんなことを言われたくない!」

「俺だって悠々自適のライフには憧れるさ。その相談を君にしていたくらいだし」

「前世で働いたのだから、今世は特に出世やら名誉やらはどうでもいいんだ僕は」

「分からんでもない。そう言いながらも手が止まっていない君は生まれながらの社畜だな。ははは」

「むきいいい!」


 むきいいって誰かを思い出すな。

 誰だっけか。

 んんっと。

 

 コツコツ。

 窓から小さな音がした。

 桔梗かなと思って、チラッと目だけを向ける。

 視線を元に戻す。

 

「さあて、残りをやってしまおうか。そのうち帝国から使者が来るだろ。手紙かもしれんけど」


 羽ペンを握りしめ、羊皮紙に目を落としふむふむと頷く。

 

 バンバン!

 窓を叩く音が大きくなった。さすがのロレンツィオも気が付いたようだけど、完全にスルーを決め込んでいる。

 あれ、初対面のはずなんだけどな。まあ、窓の外にいるアレはお近づきになりたくないタイプに見えるよな。

 逆さまにぶら下がって、パンツ丸出しだし。変な笑顔を浮かべ、舌をてへぺろって出してるもの。

 

 ガチャンと音がしてひとりでに窓の閂が外れ、スカートが乱れたままの痴女が勝手に部屋へ侵入してきた。

 

「ちょっとお。イル!」


 何やら子虫がピーピーと鳴いているが、気にしたらダメだ。


「ええと、領地についてか。もうここまで処理を進めていたのか」

「それは僕じゃないな。ええと、確かベルナボさんだったか」

「ベルナボか。彼の経理能力はなかなかのもんだ」

「ソロバンをはじくのは得意な人にやってもらえばいい。君は大枠を決め、創造することに力を注ぐ」

「ロレンツィオにも協力してもらいたいんだがね」

「……ノーコメントだ」


 ふ、ふふ。これは押し切ったらいけそうな雰囲気。

 外堀を埋めていってやるぜ。は、はは。


「むちゅうう」

「う……」

「ぷはー。美味美味」

「な、何てことするんだよ! 佐枝子!」

「放置プレイ中なら、いいかなって」

「よくねえ!」


 口元を拭い、佐枝子の額を押して彼女を体から引っぺがす。


「放置プレイも百合も結構だが、僕の見えないところでやってもらえるか?」


 憎まれ口を叩くも書類をさばく手が止まらないロレンツィオ。

 激務に励んている時って髪の毛が乱れたりって表現をすることがあるのだけど、彼は見た目上いつも通りである。

 なるほど。この程度じゃ仕事のうちに入らないってことか。

 ロレンツィオくんの、ちょっといいところを見てみないとな。


「ねね、あの涼やかなイケメンくん、イルのお友達?」

「うん、まあ一応。紹介していなかったっけ」

「イルのお友達はイケメンばかりね! 逆ハー、うめえって?」

「俺は男だと何度も」

「知ってるー。あははー。その味、確かに男の娘だぞ、えへ」

「こいつう。何て言うかよ! 忙しいんだ、後にしてくれ」

「もうう、つれないんだからあ。そんなこと言うとさえちゃん、そこのイケメンくんをちゅーちゅーしちゃうぞ!」

「好きにしてくれ」


 こいつの相手をしていたら、政務が進まん。

 帝国との交渉事次第で大幅な変更をする可能性もあるけど、進めていかないと動きが遅くなるからな。

 それにしても、佐枝子。自分の名前をウラドにしていたことを忘れていないか?

 最初は佐枝子と呼ぶなとか言っていたのに。まあ、俺以外と話す時はウラドとして接しているようだし、問題ないか。

 長く生きているだけに、その辺の区別はちゃんとしているのだろう。

 

 佐枝子がようやく俺から離れ、白い牙を光らせながらロレンツィオのいる机にしなだれかかる。


「イル。この痴女を何とかしてくれ。書類が取れん。いいのか? 書類が取れなくなっても」

「そいつは一大事だ! 佐枝子、そこをどきなさい」

「ちょっとお。イルがイケメンくんのところに行けって言ったんでしょー。あれ、イルってここの王様だよね?」

「まあ、そうだな」

「イケメンくんは王国の人なんでしょ?」

「うん。今のところはな」

「でも、イルのこと呼び捨てなんだね」

「佐枝子もな。別に俺は自分がどう呼ばれようが気にしない。ロレンツィオとは旧知の仲だし、昔からの戦友だ」

「びーえ……むぐう」


 ナイスだ。ロレンツィオ。

 その先を佐枝子に言わせてはいけない。だけど、気をつけろ。

 奴はすぐに気持ちを切りかえ、隙を見て……あ、可哀そうに。

 ロレンツィオに塞がれた口をするりと抜け、彼の首筋に佐枝子が喰いついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る