第47話 ロレンツィオ

 三日が経過した。

 帝国側にまだ動きはない。

 そして拠点構築のため、あくせく動いてもらっていた兵達も休息に入った。


 木の幹に背中を預け、ぼーっと空を眺める。うーん。今日も雲一つない晴天だ。

 そこへ、手持無沙汰な様子のアルゴバレーノがやって来る。

 すとんと隣に座った彼女は獣耳をピクリと動かしこちらに顔を向けた。

 

「イル。次は何をすりゃいいんだい?」

「何も。あえて言うなら英気を養う?」

「何だいそりゃ。あんたのことだから、無駄な動きなんて一切ないんだろ?」

「そうでもないさ。ほら、来た」


 馬に乗った王国騎士が俺の前で下馬し、ビシッと敬礼する。

 よっこらせっとばかりにゆっくり立ち上がった俺は彼からクルクル巻かれた羊皮紙を受け取った。

 

「ありがとう。危険な任務、よくぞ受けてくれた」

「ただの使者であります。特段、先方に殺気立ったものはございませんでした!」

「そうか。さっそく見させてもらうよ」

「では、私はこれにて」

「ゆっくり休んでくれ」

「お心遣い、痛み入ります!」


 再度敬礼した兵は馬に乗り、簡易宿舎に向かっていく。

 

「何だいそれ?」

「ん。帝国からの書状だよ。ほら、ここに双頭の鷲の蝋印があるだろ」

「へえ。帝国に手紙でも送ったのかい?」

「その通り。まあ、見る必要も無いんだけど、一応見るか」


 封を切り巻物をクルクルと真っ直ぐに伸ばす。

 アルゴバレーノが覗き込んできて俺の肩にむにむにを押し付ける。


『交渉に値しない。決戦の時は近し』


 もっと強烈な文言が記載されているかと思ったけど、存外事務的だな。

 使者に送った騎士も普通の応対をされたみたいだし。怒りを通り越して呆れたってところか。

 

「一体、何て交渉したのさ?」

「ん」

 

 ごにょごにょとアルゴバレーノの耳元で囁く。

 

「あんた……あたしでもそれは無理だってわかるさ」

「ははは。まあ、そうだろうな」


 帝国と交戦しこの拠点に戻った後、文をしたため使者を出したのだ。

 内容は休戦協定について。

 捕虜のうち帝国兵は無条件で帰還させ、旧王国騎士らは一定の身代金を支払うことで開放する。

 その代償として、ミレニア王族の引き渡しと旧王族、貴族ら帝国に逃げた者達が持ち去った財宝を含む王国財産を返還すること。

 まあ、誰が見ても一方的な通達だよな。

 勝者が敗者に行う降伏勧告のようだ。

 依然として六倍の兵力を保持する帝国がこのような案を受け入れるわけがない。

 2000を失ったとはいえ、半分は旧王国兵だし、本体のうち1000を損失しているものの別動隊として派遣した兵だからな。

 元からあった帝国兵の編成に揺らぎはないはず。

 

「こんなもの怒りを買う以外に何か得るものはあるのかい?」

「ん? 時間さ。やり取りしている間は戦闘が起こる可能性が少ない」

「時間? 時間が過ぎても帝国兵が減るわけじゃないんじゃないの? 食糧?」

「うん。こちらの準備時間が欲しかった。そろそろ、仕上がるはずだろうし」

「工事かい? なら、昨日終わったじゃないのさ」

「そっちもだけど、もう一つ。まあ、このまま寝て待とうじゃないか。今日のところは帝国も動きがないはずだ」

 

 ゴロンと寝転がると、アルゴバレーノが小さく息を吐き微妙な顔になる。

 その日の昼下がり、待ち人がようやく姿を現した。

 

 ちょうど桔梗と九曜と共に昼食をとろうとしていたところである。

 アレッサンドロも誘おうとしたんだけど、何やら騎士団長と旧交を暖めるとかで。直属の上司に言われたら仕方ない。

 俺が言えば、彼は来てくれることだろうけど強引に呼ぶのは俺好みじゃあないからな。

 

「おい、そこの男の娘。何呑気に食べてんだよ」

「もしゃもしゃ」


 森から出て来たその集団は、総勢100人に少し足らないくらい。

 野営もできる厚手のローブに身を包んだ彼らは、戦士とは程遠い装備をしている。

 地球風の言葉を使うとレンジャー部隊と言えばいいのだろうか。野外活動を専門とした集団だ。

 俺の姿に気が付いたのか、集団を率いるリーダーらしき若い優男が大股で俺の前まで歩いてくる。

 首元まで伸ばした明るい茶色の髪。ほっそりとひょろ長い華奢な体つき、丸眼鏡とどこかの学者が森に調査にでも来たのかと言った見た目をしていた。


「泥まみれの僕を見て、何もないのかい?」

「ご苦労」

「……」

「おい、それは俺のサンドイッチだ」

「これは頑張った僕へのご褒美だ。お、なかなかいける。やはりちゃんと作ったものはおいしい」


 食べかけのサンドイッチを奪い取った若い男はうまそうにそれをほうばる。

 

「冗談だろ。ロレンツィオ。首尾はどうだ?」

「落ち着くまで森に潜伏しておくつもりだったのに。本当に君は元日本人かい? やり方がえげつなすぎないか?」

「そう言いつつ、ちゃんとこなしてくれるロレンツィオに感謝。君もたいがいだぞ」

「ほんと無茶ぶりが過ぎるよ。こっそり帝国と連絡してリグリアをチラつかせるだけならまだしも。森に罠を張り巡らせとか、それも注文つけて」

「ロレンツィオはできる子だ。君ならできるできる」

「……」

 

 不貞腐れた顔でどすんとその場で座り込む丸眼鏡をかけた男ことロレンツィオは、それでもサンドイッチをむしゃむしゃとしていた。

 この男こそ、俺がこの世界で最初に出会った元日本人の転生者である。

 リグリア家の次男として生まれた彼は後を継ぐ必要もなく、羨ましいことに普通の貴族の次男として過ごしていた。

 リグリア伯が彼を伴って王城まで来た時に彼と出会ったのだ。

 たまたま彼が日本語で「風呂に入りてえ」とボヤいたことが聞こえて、そこから彼との交友が始まった。

 正直、俺が言うのもなんだが彼は生まれて来た世界を間違えたのかと思うほど、この世界と馬が合っていたんだ。

 彼の政治的手腕、感性には脱帽する。彼はとんでもなくできる男だった。

 ただし、働かせればという条件がつく。

 彼は王国の現状を正確に把握していた。第四王子の俺が疎外されていることも知っていて、追放されたらリグリアの隅っこでスローライフを送ることができるように動いてくれていたりもしたのだ。

 帝国との戦争にしても、俺の計画を伝えたらすぐに動いてくれた。

 彼の頭脳は、何故俺がこのようなことを頼むのか、それを実行できるのは自分しかいないとすぐに理解したことだろう。

 十二分に動いてくれて感謝しかない。

 

「そうだ。ロレンツィオ、今回のご褒美を考えているんだけど」

「おお。たんまりと弾んでくれよ。帝国との紛争が終われば、安定政権となるんだから」

「うん。そうだな。俺の代わりに王になるか?」

「お断りだ! 絶対に嫌だ。僕は悠々自適の貴族ライフを送るんだ」

「リグリア領で特段することなんてないだろ。中央に来いよ。王宮には風呂がある」

「それは魅力的だね」

「部屋もいっぱい空いているから。そこで紅茶でも飲んで読書して、漫画でも描いてくれよ」

「僕は絵心がないんだ。でも、油絵を描くのは、いいかもしれない。のんびりした感じがする」

「だろうだろう」

 

 笑顔で彼の背中をポンと叩き、親指を立てる。

 彼もまんざらではない様子で、はにかんだ。

 王は断られたから、宰相にでもするか。く、くくく。


「何だか、嫌な悪寒を感じたんだけど」

「気のせいだろ。夢の風呂ライフが君を待っている」

「そのためにはこの紛争を終わらせないとだね」

「うん。後からみんなに君を紹介する。それまでは、部下を休ませつつ君も休み……ながら桔梗と九曜に『地図』を」

「分かった。二人には何度も伝えているからね。少し『地図』が変わったから、ちゃんと伝えておくよ」

「んじゃ、俺は食事の続きを」

「僕にももう一つサンドイッチをもらえるかい?」

「もちろんだ」


 ロレンツィオが来た。

 これで、こちらの準備は整ったぞ。いつでも来るがいい、帝国よ。

 向かう先は地獄の入り口だぞ。

 

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