第9話 弱音

 積み荷を片付け、随分遅くなってから爽平は食堂に行った。今日もカレーだ。肉が食えるのだから文句はない。


「ここ、いい?」


 座ってすぐに、声がかかった。顔を上げるまでもなく、美彩みさだった。


「どうぞ」


 爽平が目線を落としたままぶっきらぼうに言うと、美彩は息をのんだ。これまでに爽平が応じたのは初回きりだったからだ。


 正面の席で食事を始めた美彩は、食べている間、ずっと無言だった。珍しいことだ。黙っていることもできるのか、と爽平は失礼なことを思った。


 食べ終えた爽平が立ち上がると、美彩は慌てて最後の三口を口の中に押し込み、くぐもった声で「ごちそうさま」と言うと、立ち上がった。食器返却口に寄り、外に出て宿舎へと向かう爽平に続く。


 男用の宿舎の近くまで来たところで、爽平は美彩を振り返った。どこまでついてくるのか。


「何すか」

「え!? 何でもない。……ううん、嘘。本当は、爽平くんが心配で……」

「心配? 何が?」

「今日、班員を亡くしたって聞いて……」


 同時に食べ終わるために無言だったのかもしれない。こんなに遅い時間に食堂に来たのは、待っていたからなのかもしれない。


 そう思うと、ぐっと込み上げてくるものがあった。


「ちょっといいっすか?」

「あ、うん」


 爽平は少し離れた演習場まで連れて行った。基地の中は、人が行き来するところは基本的に明るく照らされているが、暗がりもそれなりにある。


 爽平は夜は解放されていない射撃場の建物の裏手に回り、壁を背に座り込んだ。美彩が戸惑いながらその横に座る。


 こんな人気ひとけのない所までついて来るなんて馬鹿じゃねぇの。


 呆れて体育座りをする美彩の頭を見下ろしたが、手を組み合わせてそわそわとしている美彩が何を考えているのかはわからなかった。


 爽平は空を見上げた。以前はほとんど見えなかったが、街の明かりが無くなった今、星空が良く見える。基地の明かりはあっても、陰に入っていればそれほど気にならなかった。


 かつて見たプラネタリウムほどとは言えないが、天の川も見えるし、夏の大三角も構成している星座までくっきりと見える。とはいっても、爽平は夏の大三角が、こと座のベガ、わし座のアルタイル、白鳥座のデネブでできていることと、十字の連なりが白鳥座だということくらいまでしか知らない。

 

 爽平はしばらく眺めたあと、頭を壁につけて上を向いたまま、口を開いた。


「今日、班員が一人死んだんですよね」

「うん……」


 美彩は下を向いたまま相槌あいづちを打った。


「その人、中村サンって言って、眼鏡をかけた女の人なんですけど、あんま喋らない人でした」

「うん……」

「細川サンっていう、うるさい先輩とペア組んでて、迷惑そうにしながらもいいコンビに見えました」

「うん……」

「黒スーツの弾が右肩に当たったみたいで、血まみれで、助けようがなかったんですよ」

「うん……」


 爽平はひざを抱えた。頭を膝につけて、顔を隠す。


「俺が殺しました」


 美彩がぴくりと身じろぎをした。


「黒スーツが撃って来た時に、何が起こったのかわかんなくて、とっさに引き金を引けなかったんです。その間に弾が飛んできて、中村サンはたぶんそれに当たって死にました。俺が殺したんです。俺が、撃たなかったから」

「爽平くんは悪くないよ」

「俺のせいです。あんなに訓練したのに。すぐ撃たなきゃならなかったのに。誰も責めてこないけど、俺のせいだってみんな思ってるんです」

「そんなことないよ。爽平くんのせいじゃない。撃ってきたのは向こうだよ。あいつらのせいだよ」

「それだけじゃない」


 爽平は苦しそうに絞り出した。


「俺は、死んでいく中村サンを見てることしかできませんでした。まだ敵はいたのに。みんなは応戦してたのに。中村サンから目を離せなくて。だけど声を掛けてあげることもしなくて。俺が撃たなかったせいで中村サンは撃たれたのに、撃つことをやめて、他のみんなを危険にさらしました。俺は最低だ……」

「そんなの仕方ないよ。仲間がそんなことになったら、誰だって動揺するよ。初めてだったんでしょ、戦闘。怖かったよね」

「怖かった……」


 爽平は泣きそうな声を出した。


「撃つまではよかったんです。だけど、中村サンを見て、怖くて仕方がなかった。だんだん息が小さくなってくんです。中村さんは最後何か言ってました。たぶん、死にたくないって言ったんです。俺も死にたくない。死ぬのが怖い」

「私も怖いよ」


 爽平は顔を上げて美彩を見た。暗い中、美彩の瞳が涙で濡れてうるんでいるのが見えた。


「私も怖いよ。飛ぶたびに、あいつらの弾が当たるんじゃないかって。当たって落ちた先輩もいる。怖いよ」


 美彩はうつむいた。


「私の両親はね、自衛隊員だったの」


 知っている、とは言わなかった。


「でね、私、小さいときに『どうして人を殺す訓練をするの?』って聞いたことがあるの。『大切な人を守るためだよ』って言われた。私と妹のことだった。じゃあ私たちのために人を殺すの、ってずっと思ってた。今この立場になって、よくわかるよ。大切な人を守るためには戦わなくちゃならない。両親はそうやって訓練してきて、私たちを守るために死んだの。私も、死ぬときは誰かを守って死にたい」


 同意できなかった。爽平はただ死ぬのが怖いだけだ。どうせ死ぬなら誰かのために、とすら思えない。


「本当はね、ミサイルを撃つのも怖いの」


 美彩は肩を震えさせた。


「私は私たちと同じ形をしているあいつらを攻撃するのは怖い」

「あいつらはスライムです。人じゃない」

「わかってる。わかってるけど、だけどやっぱり怖いよ。人にしか見えないもの」

「あいつらは、そういう俺たちの感情を利用するためにあの形をしてるんですよ」

「そう、だね……」


 その試みはおおむね失敗していた。地球上のほとんどの軍人は人と戦うことに慣れていたし、警察も発砲することに躊躇ちゅうちょすることは少ない。だが、長く平和を謳歌おうかしていた日本人の中には、美彩のように抵抗を示す人も少なくなかった。実際初期の頃にはそうやって躊躇ためらっているうちに殺された人も多い。


 その気持ちも爽平にはわからない。人の形をしたものを撃つということに忌避きひ感はなかった。どんな形をしていようとあいつらは敵なのだから。中身まで人間そっくりだったのならまだ違ったのかもしれないが。


「利用してるって言ったら、さっきの爽平くんの話だってそうだよ。あいつらは、私たちの感情を利用してる。怪我をした人を見て動揺するのは当然だよ。だって私たちは人間なんだから」


 黒スーツたちは怪我をすることがない。一発でも銃弾が当たればそこで終わりだ。スーツに傷がついた時点で死ぬ。詳しい仕組みは知らないが、酸素が猛毒なのだろうということだった。


 対して、人類は怪我をする。痛みがあれば泣き叫ぶ。その様子は、悲鳴は、戦っている者を恐怖におとしいれ、戦意をぐ。介抱すればそれだけ攻撃の人手が減るし、負傷した仲間を助けようとして撃たれることもある。基地で療養すれば看病の手が必要で、戦えないのに食料や日用品は消費していく。


 ドローンの爆弾と黒スーツの光弾銃という単純な武器に人類が苦心しているのは、ステルス性と武器の性能、単純な物量と終わりの見えない絶望の他に、この点もあった。


 美彩の言葉は心に染みた。爽平がため込み続け、ようやく吐き出した弱音を全て肯定してくれる。


「なんで俺に構うんですか?」

「え?」


 顔を上げた美彩の顔が、すぐ目の前にあった。


 かっと美彩の顔が赤くなり、目が伏せられる。


「えっと、あの……」


 その表情に、爽平の情欲があおられた。


 爽平は美彩を押し倒した。


 美彩は拒否しなかった。




「爽平くん、私のこと、覚えてないでしょ」


 手早く服を整えながら、美彩が悪戯いたずらっぽく言った。


 ぎくりとした。以前美彩に会った記憶はなかったからだ。勢いでシてしまった手前、覚えていないとは言いにくかった。


「……すみません」


 バツが悪そうに言う爽平に、美彩がふふっと笑う。


「私ね、爽平くんに痴漢ちかんから助けてもらったことがあるんだ」


 それは爽平にも覚えがあった。


 中学生の時のことだ。思春期特有の大人は誰も彼も信用できないという感情を持っていたときに、女子高生が痴漢にあっているのを見て、声を上げたことがある。


 次の駅で犯人は逃げてしまい、爽平も降りる駅だったため、その女子高生とは会話も交わさなかった。容姿は朧気おぼろげで、髪が長かったことしか記憶にない。


「あの日、大学受験だったの。爽平くんに助けてもらったお陰で、落ち着いて試験にのぞむことができたんだ」

「いや、俺は、そんな大したこと……結局犯人は逃がしちゃったし」

「ううん。私にとっては大したことだったの。あれから何度か電車で見かけたんだけど、話しかける勇気がなくて」


 爽平は同じ電車に乗り合わせた乗客を意識したことはなかった。まさかそんな風に見られていたとは。友人と馬鹿なことを言ってばかりだった気がする。急に恥ずかしくなった。


「ここで会ったときはびっくりしたよ。ずっとお礼が言いたかったんだ。爽平くん、あの時助けてくれて、本当にありがとう」


 拒否されなかったのはそれが理由だったのか……。


 付け込んだようでますます申し訳ない気持ちになる。


「それでね――」


 美彩が組んだ手を裏返したり戻したりしながら言葉を切った。上目遣いで爽平のことを見てくる。


「私、爽平くんのことが、好き、なんだよね。それで、もしよかったら……」

「えっ!?」


 爽平は頓狂とんきょうな声を上げた。ぱくぱくと口を動かす。何を言っていいかわからなかった。人生初の告白だ。


「えっと、じゃあ、まさか、これが初めて……」

「そうだよ。当たり前じゃない」


 美彩がぷくっとほほを膨らませた。


 うわぁ、と爽平は顔を覆った。全然気がつかなかった。というか、美彩の反応なんて気にしている余裕がなかった。暗くてろくに見ていなかったし。


「すみません。痛かった……ですよね?」

「まぁ、それなりには?」

「すみません……」


 今度こそ心から申し訳ないと思った。


「それで、返事が聞きたいんだけど」

「あー……えぇと……」


 爽平は頭の後ろに手をやって目を彷徨さまよわせた。


 美彩が潤んだ目でじっと見てきている。これで断る男がいたらそいつは馬鹿だ。


「……よ、よろしく、お願いします」

「やったっ!」


 美彩は手を叩いて喜んだ。


「じゃあ、これからは美彩って呼んでね」

「あ、下の名前、ミサっていうんですね」


 ぽろりと爽平がこぼすと、美彩はがくりと肩を落とした。


「や、あの……すみません」

「いいよ……最初に名乗っただけだもんね。美しいに色彩の彩で美彩」

「美彩、さん」

「呼び捨てでいいよ。あと敬語も禁止! 私の方が年上だけど、同期だし、これからは対等なんだから」

「あ、はい。……あ、うん」


 美彩がにらんできたので、爽平は言い直した。


「それじゃ改めて。爽平くん、よろしく」

「よろしく、み、美彩」


 二人は握手を交わした。

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