第8話 団地

 その日もいつも通り、爽平はアサルトライフルを手に建物の陰を伝いながら銃声の聞こえる方向へと進んでいた。


 今日の最後の現場はマンションが立ち並ぶ区画だった。中央に公園があり、そこを囲んで五芒星ごぼうせいのように十階建てのマンションが建っている。


 建っている位置によっては日当たりが悪そうだが、そもそも窓がなかった。太陽光を模したライトで日照をまかなうようになっているのだろう。プライバシーとの兼ね合いで、最近は窓を排したマンションが増えていると、こうなる前にテレビで言っていたのを思い出した。


 もっとも、今はドローンの爆弾により壁は破壊され、部屋の中はドールハウスのように丸見えになっている。プライバシーも何もあったものではない。


 爽平たちのいる場所から公園を挟んだちょうど反対側の位置で、戦闘は行われていた。


 木々の隙間から流れ弾が飛んで来ないとも限らない。だからD班デルタは公園側に身をさらさないよう、建物を盾にして待機していた。


 すぐ側の草むらに衣服と人骨らしき白いものを認めたが、爽平はすでに慣れっこになっていた。


 爆弾で、光弾で、食料不足で、単なる事故で、ときには自衛隊員の銃やミサイルに巻き込まれて、もう数えきれない人が命を落としていた。


 気を付けて見ればそこら中に死体がある。千切れ飛んだ手足や内臓を拾い集めるのでさえ作業となった今では、動物によって処理された死体はただのオブジェだった。


 やがて銃声が止んだ。


 今回は航空自衛隊の出番はなかったようだ。


 良かった、と爽平はほっと息をついた。今日はミサイルを何発撃っただとか、黒スーツを何体倒しただとか、勝手にべらべらと話しているくせに、戦果を口にする時、美彩は苦しそうな顔をするのだ。


 ――違う。別にあいつのことなんて。


 爽平は自分の考えを即座に否定した。違う。そう、銃弾より、ミサイルの方が貴重だからだ。銃で掃討できるのならその方がいい。だから空自の出番はない方がいいのだ。


 爽平は現場に向かおうとした。その動きを江口が手の仕草で押し留めた。


「何かおかしい」


 江口が耳を澄ませている。その胸ポケットにある無線機からは、掃討完了の報告が聞こえてこない。


「いったん退くぞ」


 班長の下した決定に、班員はうなずきでもってこたえた。


 ここまで来た時と同様、二人一組になり、他のペアを援護しながら移動していく。違うのは、いつもは前方を警戒するのに対し、今回は後方を警戒しながらであることだ。


 突然、横からがさりと音がした。


 はっと爽平が構えていた銃の銃口を向ける。


 落下して大破したマンションの上部の瓦礫がれき。その背後から走り出てきたのは、一匹の灰色の猫だった。


 なんだ猫か。


 爽平は短く息をついた。肩の力を抜き、照準器フロントサイトから目を離す。


 その時、瓦礫の陰で何かが光った。


 そう思ったのと同時に、足元で、チュンッと音がした。


 何が起こったのかを理解するのに、一瞬を要した。


 その一瞬が明暗を分けた。


 敵だ、と認識した爽平は、照準器を見るよりも早くトリガーを引いた。パパパパッと確かな反動を伴って、五.五六ミリの弾が発射される。薬莢やっきょうが音もなく土に落ちた。


 黒スーツが撃った光弾が、身を落とした爽平の脇を抜けていく。


 爽平の弾が黒スーツの体をとらえた。ぱっと赤い飛沫しぶきが飛んだ。一発、二発。他の班員の銃声がそこに重なる。


 黒スーツが倒れるのが見えた。


 爽平は瓦礫の陰に身を張り付かせ、銃口を出して黒スーツがいた方向をじっと見た。


 攻撃は? 来ない? 敵は? もういないのか? 終わった?


 ばくばくと心臓が強く拍動していた。知らず息を詰めていて、爽平は浅い呼吸を繰り返した。照準器から目を離さない。指をトリガーに掛けたまま、待った。


 他の班員も同様だった。細川は爽平と同じ瓦礫を盾にしており、江口は別の瓦礫を、佐藤と田中は建物をに身を隠していた。そして中村は――。


「ナカムラっ!」


 後ろを振り向いた細川が爽平のすぐ横で叫んだ。爽平が振り向くと、すぐ後ろに人が倒れていた。雑草だらけの花壇かだんの花の上に倒れ込み、眼鏡を土で汚していたのは、中村だった。


 細川が抱き起こし、上を向かせた。中村の右上半身は真っ赤に染まっていた。


「ナカムラっ! ナカムラっ! 待て待て、大丈夫だ。絶対助かるから」


 助かるわけがなかった。中村は右肩を失っていた。止血のしようがない。


「細川っ、きたっ、まだだっ!」


 江口が叫んだ。


 細川がぎりっと奥歯をみ締め、元いた位置へと戻って瓦礫の上から銃口を出す。


 爽平は中村から目を離せなかった。


 パパパッとアサルトライフルの銃声が鳴る。爽平の頭の上を光弾が飛んでいく。誰かが何かを叫んでいる声がした。だが爽平の耳には、ひゅー、ひゅー、と中村が息を漏らす音がやけに大きく聞こえてきた。それが次第に小さくなっていく。


 死体は何度も見てきた。負傷し、痛みに泣き叫ぶ隊員も。


 だが、目の前で死に向かっていく人間を見るのは初めてだった。いや、正確には二回目だ。父親を含めると。


 最期、中村が口を小さく動かした。


 中村の首が力を失ってがくりと横を向いた。


「おい、ナカムラっ! おいっ!」


 細川が振り返り、悲鳴を上げた。


「マジかよ……」


 ほうけたように細川が言い、またライフルのトリガーを引く。


 爽平は中村の目尻からこぼれた涙の跡を見ていた。




 しばらくして、近くにいた別の戦闘部隊が合流し、黒スーツとの戦闘に当たったが、九体いた黒スーツは全滅していた。爽平たちが対峙たいじした二体で最後だった。当然、戦闘部隊も全滅だ。三班十六人が死んだ。


 残ったデルタの面々は、中村を車両に乗せてから後片付けを始めた。黒スーツの中身を燃やし、死亡した隊員たちの亡骸なきがらを死体袋に入れていく。


 時間がたってしまったため、黒スーツたちは燃やす前から酷いにおいを発していた。たまらずマスクを使ったが、それでも食道を上がってきた物を何度も飲み下すことになった。


 遺体は酷い有様ありさまだった。頭がないだけなのは綺麗な方だ。爆弾の傷よりもきれいに切断されている手足も。頭や腹を途中までやられている遺体が一番大変だ。日が落ちてからだから尚更だった。中には集中砲火を受けたのか、体の半分以上が欠けている遺体もあった。


 基地に戻り、車両から降りた時、江口に声を掛けられた。


「大丈夫そうだな」

「はぁ、まぁ」

「大丈夫じゃないのはあいつの方か。中村とはこの班で長かったからな」


 江口の目は軽口を封印して黙々と死体袋を運んでいる細川に向いていた。

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