第7話 恐怖の克服

「あー……」


 他の班員と共に基地に戻り、兵舎の二段ベッドの下で横になった爽平は、腕で両目を覆って自分の不甲斐ふがいなさをなげいていた。


 何もできなかった。


 あんなに訓練したのに、銃の一発も撃たなかったどころか、班員に付いて行くことすらできなかった。初回の現場では途中で動けなくなり、その後の現場では車で待機しているようにと言われた。


 死なないためには最適解だったのかもしれない。


 江口たちの銃の弾も一発も減っていなかったから、黒スーツたちには出会わなかったのだ。だが、万が一ということもある。攻撃を受ける可能性はゼロではなく、だからこそ爽平は訓練してから配属されたのだし、銃を持って行ったのだ。


 ならば、できる限り敵に近づかないというのは、死にたくない爽平にとっては正解だった。


 しかし、死なないための最適解ではあっても、生きるための最適解ではない。


 いくら人手不足の自衛隊でも、役立たずを養っていくほどの余裕はない。一般人への配給を止めるほどに物資が不足しているのだ。


 戦闘をしない人員はする人員よりもずっと多いが、爽平がそちらに回されるのは望み薄だった。自衛隊が縮小すればするほど後方の人員はあぶれていく。そしてそのほとんどがもう戦えない隊員だった。爽平のような甘っちょろい理由とは違う。負傷し、腕や足を失った者たちなのだ。


 もしも役立たずの烙印らくいんを押され、自衛隊から放り出されたら――。爽平に生きる道はない。出て来た避難所はもうなく、他の避難所にだって今から受け入れてもらえるわけがなかった。一人になっては生きていけない。


 爽平はタダ飯食らいではないことを示さねばならなかった。


「飯行こ……」


 そのためには何よりも体力だと、昼間と同じことを考えて、爽平は起き上がった。がらんとした部屋を見渡す。


 この部屋は元は八人部屋だが、爽平は訓練生の時から一人で使っている。人員不足がここにも如実にょじつに表れていた。


 爽平の持ち物も少ない。わずかな着替えがあるだけだ。私物は家のカードキーだけだった。


 机の上に置いてあるそれを見て、電気が通らなくなって久しいから、もう予備の内蔵電池も尽きているだろうな、と思った。今日見た住宅街の様子からして、そもそも住んでいたマンションが無事なのかどうかも怪しかった。


 Tシャツに迷彩服を引っかけて、部屋を出た。鍵はかけない。どうせ盗める物はないからだ。


 宿舎を出て食堂まで行った爽平は、カウンターで昼と同じカレーを頼んだ。メニューは複数あるが、貴重な肉が入っているのはカレーだけだった。


 ばくばくと無言で食べていると、テーブルの上に影が落ちた。見上げてみれば、相田あいだ美彩みさだった。


「ここ、いい?」


 爽平は無視することにした。


「ねえ、ここいい?」

「……」


 爽平が答えないでいると、美彩は勝手に正面の席に座った。スプーンを口に運びかけていた爽平は美彩に目を向けた。


「席なら他にもいてますけど」

「……」


 返って来たのは無言だった。美彩は澄ました顔で爽平と同じカレーを食べている。


 舌打ちをしそうになるのをこらえて、爽平は食事を再開した。


 八割ほど食べ終えた頃、美彩が口を開いた。


「今日の現場、爽平くんも出たんでしょ? 私も出たんだよ」


 あの戦闘機か、と思った。そして、美彩が飛んでいる間に、自分は無様にすくんでいたのだと思い、顔をゆがめた。


「ミサイルも撃ったよ。当たったと、思う……」


 下を向き、スプーンで大きく切られた人参にんじんをもてあそんでいる美彩は、その表情に気がつかない。


「ねぇ、爽平くんはどうだった? 相手を撃ったとき、どう思った……?」


 爽平は皿を持ち上げて最後の数口を流し込むように食べきると、トレーを持って立ち上がった。美彩は真剣な目で爽平を見ていた。


 その目から逃げるようにして、爽平は食堂を出た。




「くそっ!」


 宿舎の廊下で、爽平は苛立いらだちのあまり壁を殴った。モルタルでできたそれはへこむこともなく、爽平のこぶしが痛むだけだった。だが爽平はもう一度殴りつけた。


 美彩はミサイルを撃ったと言っていた。黒スーツを倒したのだ。


 何だか無性むしょうに悔しかった。

 



 * * * * *



 翌日も出撃した。


 当然だ。黒スーツとの戦いに休みなどない。奴らは着々と勢力範囲を広げていて、その住宅街はやっと取り返した陣地だった。あちらも取り戻そうと、昼夜問わず攻撃を仕掛けてきている。


 昨日と同じ場所で高機動車から降りた爽平は、自分で銃を取り出して装備した。装填そうてんを確認する。訓練通りの動きだった。


 班長の指示に従って、六人で移動を始めた。


 斜めになった電信柱をくぐり、軽自動車のボンネットをよじ登り、公園を突っ切った。


 首輪をつけた猫が目の前を横切り、無事に残ったへいを乗り越えていった。穴の開いたかわら屋根のむねにはすずめが止まっていて、ちゅんちゅんと長閑のどかな鳴き声がしていた。


 江口が五人に止まれの合図をしたのは、昨日よりも手前だった。


 頼んでもいないのに細川の武勇伝を聞かされていてうんざりしていた爽平は、はっと顔を強張こわばらせた。胸の前でアサルトライフルを持つ手に力がこもる。


 細川や他の隊員も、肩に掛けていた銃を慣れた手つきで構えた。


「ペアで行動」

「了解っ」


 四人がそろって返事をしたが、爽平は声が出なかった。


 ブーツの底から冷たい恐怖がい登ってくる。


 死にたくない。怖い。


 昨日、目をそむけた光景が脳裏によみがえる。


 細川に連れて行かれて黒スーツを焼いたあの場所に、血痕けっこんがあったのだ。ひび割れたアスファルトに広がったその黒い染みはまだ乾いておらず、ちょっとやそっとの傷で流れた量でないことは爽平にもわかった。


 爽平はあの時それを見なかったことにしたのだ。


 そして今朝食堂で、戦闘部隊の二人が黒スーツの光弾を受けたことを知った。一人は腕を失っただけで済んだが、一人は腰と頭部を半分失った。即死だった。


 爽平は引き上げた部隊の面々と会ってはいない。彼らは爽平が待機していた場所――怖気おじけづいてすくんでいた場所とは、違う所から帰還したのだった。


 だから知らない。仲間を失った彼らがどんな顔をしていたのかも、死んだ隊員がどう運ばれたのかも。


 食堂で聞いた時は、恐ろしくはあったものの、ここまでリアルに自分事として考えはしなかった。ニュースで聞いた、何人死亡という数字と同じ感覚でしかなかったのだろう。


 しかし、大穴の開いた地面からただよってくる湿った赤土の匂いが、露出した寝室のクローゼットから服が散乱している光景が、横転したトラックのフロントガラスのひび割れが、爽平にそれが現実なのだと、自分にもいつか降りかかってくることなのだと、強く意識させた。


 ――臆病さは生き残るのに必要な感情だ。ケドな、臆病者はすぐに死ぬぞ。


 細川に言われた言葉を思い出した。


 爽平はゆっくりと目を閉じた。


 足が震えている。手袋の中の指が冷たい。顔が引きっている。胃が縮こまっている。鳥肌が立っている。


 恐怖にかられたときは、自分を客観的に見る。一歩後ろに引いた目線で、自分の様子を観察する。これも訓練で教わった。


 がくがくと震えていた膝が止まった。手がじんわりと温かくなっていく。


 爽平が目を開けると、江口がじっと見ていた。


「大丈夫そうだな」


 肩を叩かれ、爽平は「はい」とうなずいた。


 まだ怖い。怖くて仕方がない。


 だけどこれは、生きるために必要なことだ。


 爽平は身を低くして、江口と共に前へ進んだ。



 * * * * *



 爽平が現場の空気に馴染なじむのは早かった。


 毎日、江口の指示に従って、瓦礫がれきの中を進み、黒スーツを燃やし、光弾銃を持ち帰る。時には遺体を収容することもあった。


 遺体は自分たちで連れて帰る班は多い。だが、そうも言っていられないときもあった。負傷者がいれば手が足りなくなるし、全滅することさえあるのだ。


 爽平は初めの頃こそ凄惨せいさんな遺体の様子に吐き気を抑えられなかったが、それにも慣れていった。他の班員と同じように、淡々と遺体袋に入れていった。戦闘服に縫い付けられている名前を見ないようにするのがコツだった。そうすれば一人の人間として考えなくて済む。


 後始末専門のD班デルタはいくつもの現場をはしごしていて、夜に出て行くこともしょっちゅうだったが、訓練生だった頃よりもずっと楽な毎日だった。


 体がなまってしまうのを恐れて、自主トレーニングをするようになった。早朝のランニング、帰還後の筋肉トレーニングに射撃練習。そうしている隊員は多かった。休息も必要だったが、練度が低いまま配属された彼らは、自分の能力を磨くことが生き残る道だと知っていたのだ。


 連帯感を高めるために食事も風呂も常に一緒という班もある中、デルタは必要以上に絡まない方針で、爽平にはありがたかった。


 慣れ合うつもりはなかったからだ。


 高校という狭い世界で生きてきて、そのあと優しく手を差し伸べてくれていた人たちが手の平を返していくのをの当たりにしてきた爽平は、相手に踏み込んでいくのも踏み込まれるのも嫌になっていた。


 一人食堂で食事をしていると、時々相田あいだ美彩みさが同席を求めてきた。


 自分語りをし続ける美彩を、爽平は無視し続けた。しかし、聞かないようにしても耳は勝手に言葉を拾い、すっかり美彩に詳しくなってしまった。


 両親は元々自衛隊出身で、初期の頃に戦闘で亡くなったこと。普通の大学に進学したが、本当はパイロットに憧れていたこと。妹が一人いて、その妹を守るために志願したこと。スパゲティが好きだったが、避難所でそればかり食べていて嫌いになってしまったこと。本が好きで、図書室の本を部屋で読んでいること。


 美彩が何をしたいのかさっぱりわからなかったが、めさせるのも面倒で、爽平は放っておいた。




 油断していたつもりはなかった。戦場ではいつも気を張っていたし、常に軽口を叩いている細川ですら、江口の合図があれば人が変わったように真面目な顔つきになった。


 だが爽平は、こんな日々が続くのだと、知らず知らずのうちに思っていた。一日にこなす現場の数は増えて行ったし、夜に出ずっぱりになることも多くなったが、ルーチンを消化していく日々に慣れ切っていた。


 それを油断と言うのなら――爽平は油断していたのかもしれない。

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