第6話 初陣

 午後、陸上自衛隊に配属が決まった新人への訓示が行われたあと、爽平はさっそく班員に引き合わされた。


D班デルタは後方支援部隊だから、そう緊張しないでいいから」


 優しく言ったのは班長の江口えぐちだ。スポーツりでがっしりとした体格をしているか、顔には柔和にゅうわな笑みを浮かべている。あの日の前から自衛隊に所属していて、今は三年目らしい。


 学生時代は体育会系の主将だったんだろうな、という感想を爽平はいだいた。


 他にはひょろりとせた男と眼鏡の女、特に特徴のない男が二人だった。四人とも元民間人の志願者だそうだ。それぞれ、細川、中村、佐藤、田中と名乗った。


 これから命を預け合う相手だというのに、ぱっとしないメンバーだな、と自分の悲惨な成績を棚に上げて思った。


 班員同士の連携訓練など全くないままに、デルタはさっそく任務に駆り出された。





 白とグレーの迷彩色に塗られた車両から降りた爽平は、その住宅街の様子を見、右手でヘルメットのふちを上げたまま、ドアを閉めるのも忘れて呆然ぼうぜんと立ち尽くした。


 目の前に伸びる片道一車線の道路は瓦礫がれきが散乱していて、所々大きな穴も開いており、車が何台も放棄されている。いくら高機動車といえども、これ以上は進めなかった。ここまでも障害物をって来たが、ある程度片づけられていたのだろう。


 電信柱が倒れて屋根を壊し、ブロックべいが崩れている。車庫の天井が落ちて中の大衆車のフロントガラスを割っているのが、ひしゃげたシャッターの隙間から見えた。玄関のドアは開け放され、こじんまりとした庭に面した大きな窓から、風に揺れるレースのカーテンが大きくたなびいていた。


 離れた所にあるマンションに目を移せば、エメンタールチーズのように途中の階がぼこぼこと欠けていた。無事に残ったベランダにはカラフルな洗濯物が干してある。


 爽平がまだ高校生だった頃、通学中に電車の窓から眺めていた場所だった。普通の、どこにでもある住宅街だったはずなのに。


 訓練シミュレーターで似たような光景は何度も見てきた。だが、砕けたコンクリートの匂いや焦げた匂い、しんと静まり返った中に聞こえてくるカラカラとした原因不明の音、どこからか飛んできた紙屑かみくずが風に舞う様子は知らない。


 終末を描いた映画のセットに迷い込んだようだった。


 そこに、パンッと銃声が響いた。たくさんの壁に音が反射して、反響が間延びしたように広がる。


 反射的に爽平は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。


 パンッ、パンッと断続的に鳴った後、パパパパッと連続した音がした。どこかで戦闘が行われている。


「大丈夫だ。まだ距離がある。途中に建物がたくさんあるから、奴らの銃でもここまでは届かない」


 爽平の顔に影がかかる。見上げれば江口班長がアサルトライフルを差し出していた。その後ろでは、他の四人が顔を斜めにしてあきれたように爽平を見ている。


 恥ずかしくなり、爽平は慌てて立ち上がった。訓練で聞き慣れた音で、しかも味方の銃声だ。なのに、撃たれると思ってしまった。


 銃を受けとり、スリングを肩にかける。落ち着いているように装ったが、手が震えていた。


「班長、そいつダイジョブっすかぁ?」


 細川が言った。爽平を見下ろしているのは心配顔ではない。足手まといになるのではと迷惑そうだった。


「訓練課程を卒業したんだから大丈夫だ」

「でもそいつ、最終試験で脱落リタイヤしたって」


 中村が眼鏡を押し上げながらぼそっと言い、カッと爽平の頭に血が上った。


 んだよ、どいつもこいつも。あんなん普通無理だろ。ついこないだまで普通の高校生だったんだぞ。帰宅部だったし。んな簡単に体力つくかよ。


 そう心の中で毒づくが、爽平以外はみな一応ゴールだけはしていて、負け惜しみでしかないことは自分にもわかっていた。


 昨日は、ちょっと調子が悪かっただけだ。いつもの状態なら、俺だって。


 特別体調が悪かったわけではなく、万全の状態でも無理だったということもわかっていたが、それを認めたくなくて、そう思い込むことで自分のプライドを守った。


 細川がフッと鼻で笑ったのにムカついて、爽平は足を一歩踏み出した。


 遮るように江口が間に入る。広い背中に顔をぶつけそうになった。


「いつも通りペアで行動。警戒をおこたるな!」

「了解っ!」


 江口が命令口調で言うと、途端に空気がぴんと張り詰めた。命令を受けた四人がきびきびとした動作で敬礼した。爽平も思わずしそうになった。


「お前は俺とな」

「はい」


 ぽんぽん、と二の腕を叩いてきた江口は、先ほどのような厳しい空気を一切出さずに、優しいお兄さんといった風だった。爽平は敬礼を忘れて普通に返事をしてしまったが、何も言われなかった。


「行くぞ」

「はいっ」


 四人の後に続く江口を追って、爽平は銃声の方向へと歩き始めた。




 「はーっ、はーっ、はーっ」


 物陰に隠れた爽平は、アサルトライフルを縦に両手で握り締め、肩で息をしていた。強く握りすぎて、上を向いた銃口がぶるぶると震えていた。


 瓦礫がれきを避け、爆弾による大穴を回り込むようにして進んだあと、江口が警戒するように合図をした。訓練で習った通りのジェスチャーで、それが爽平の緊張をあおった。


 ここからは本物の戦場なんだ。


 黒スーツの持つ光弾銃の破壊力は材質によって異なり、コンクリートなら表面が焦げる程度、金属なら数十秒もち、人体に当たれば大穴が開く。手足に当たれば消し飛ぶ。


 訓練では、とにかく当たるなと教わった。攻撃はゆっくりでいい。防ぐ方に注力せよと。


 無茶を言う。弾が当たらないのは映画やアニメの中だけだ。自動連射フルオートで撃たれたらどこかしらには絶対当たる。同期の中でも、シミュレーターを無傷でクリアできる者はいなかった。


 江口が進むように合図をしたが、爽平はその場から動けなかった。足が馬鹿みたいに震えている。少しでも向こう側に身をさらせば撃たれる気がした。


「敵はいない。念のための警戒だ」


 江口は無造作に物陰から歩み出た。敵がいる方向から丸見えの状態で、軽く両手を上げてみる。


「ほらなんでもない」

「班長っ!」


 前方で家屋の壁の陰にいた中村が、小声でとがめた。


「ほら、出てこい」


 信じられない、と目を丸くする爽平に、江口は手を差し出した。すぐ先で銃声が鳴り続けている。


「戦闘は他の奴らの仕事だ。俺たちは敵の前には出ない。だから安全だ」


 アサルトライフルをがっちりと握り締める手首をつかまれ引かれたが、腰が引けていて足は出なかった。


「仕方ないな」


 江口が首を振りながら手を引っ込め、背中に回っていたアサルトライフルを手にした。急に目つきが厳しくなる。ひゅっと爽平の喉が鳴った。


「北はこの場で待機。――返事は!」

「了解っ!」


 飛び上がるようにして爽平は返事をした。


 江口は身を低くして、先へ進んで行った。




 五人が戻って来たのは、基地の方角から飛んできた戦闘機がミサイル攻撃をして、帰還していってからしばらくたったあとだった。


 誰も戻って来ないのでは。


 味方はとっくに全滅していて、黒スーツが近づいてきているのでは。


 そんな妄想に支配されてわずかな物音に敏感に反応していた爽平は、突然後ろから「わっ!」と声を掛けられて、悲鳴を上げた。


 振り返れば、げらげらと細川が笑っていた。


「撃たれても知らないから」

「こんなにびびってる奴がとっさに発砲できるワケないじゃん」


 中村が呆れると、細川は笑いながら爽平を指差した。


 ムカついたが、その通りだった。背後の注意をおこたってはいけなかったし、振り向きざまに撃つくらいの事をしなければならなかったのだ。それなのに爽平は銃口を向けさえしなかった。


「お前のために一体残してやったぞ。来いよ」


 細川に言われて、爽平はようやく足を踏み出した。笑われたことで、ここが戦場でなくなったことを実感したのだった。


 他の四人は戦利品の光弾銃を持って、車の方へと戻っていった。




「これが黒スーツの正体だ」


 爽平は、体全体でブロックべいを敷地の内側へ押し倒すようにうつ伏せに倒れている黒スーツを見下ろして、口と鼻を片手で覆った。


 酷い悪臭がする。腐った玉子のようなにおいだ。爽平は腐った玉子に出くわしたことはないが、爽平の語彙ごいの中ではそれが一番適切だと思われた。


 辺りは味方のミサイルの攻撃で焼け、白い煙と黒い煙が入り混じっていて、なんとも言えないにおいが立ち込めていた。その中にいてさえ、この黒スーツのにおいは強烈だ。


 黒スーツの右脚あしは太もも辺りから半分千切ちぎれかかっていた。そこから、どろりとした粘液が割れたブロックの上に流れ落ちている。その色は濁った赤色で、早くもはえがたかっていた。


 吐き気が込み上げてきて、爽平は、うっ、と嗚咽おえつを漏らした。


「知ってんだろうが、コイツらはこうやってすぐに腐っちまう。俺たちの仕事の一つは、コレを片付けることだ」


 ほれ、細川が爽平に点火装置を渡した。


ければすぐに燃える」


 言われるままに爽平は粘液に点火装置を近づけた。細川が後ろに下がったことには気がつかなかった。


 火をつけた途端、固形燃料を燃やした時のように、一気に燃え広がった。スーツの中まで燃えているようだった。


 一拍置いて、とんでもない臭気に襲われた。目に突き刺さってくるように感じるほど強烈だった。


「げぇぇっ」


 こらえる間もなく爽平はその場で嘔吐おうとした。後ろから細川の爆笑が聞こえたが、それどころではなかった。離れた所まで走ったが、吐き気は止まらない。げぇげぇと昼食のカレーをすべて吐き出してしまう。


「このガスは有毒だからあまり吸うなよ?」


 吐きながら、それだけは心配ないと思った。こんな悪臭、いくらも吸い込めない。毒にやられる前ににおいだけで死にそうだ。


 ひとしきり吐き、口元をぬぐって細川をにらみつける。しかし涙目では何の迫力もなかったし、細川も意に介していなかった。にやにやと笑っている。


「確認までが任務だぞ」


 細川があごをしゃくる。


 マジかよ。


 二度と近づきたくなかったが、散々馬鹿にされた後だ。これ以上、臆病者とも役目がこなせない役立たずとも思われたくなかった。


 爽平は顔をそむけながらゆっくりと近づいた。わずかに鼻から息を吸い、臭気を確かめる。急に来たらまた嘔吐おうとしてしまうだろう。吐くものがないのに発作ほっかだけ出るというのはつらい。


 だが、特別なにおいは何も感じないまま黒スーツを見下ろすことになった。


 火はもう収まっていて、赤黒い粘液の代わりに黒い炭のような燃えカスが残っているだけだ。それはスーツの中にもこびり付いていて、中まできれいに燃え切ったようだった。


「バカだなぁ。くせぇのも燃やせばにおいがなくなるのも習っただろ」


 細川が後ろから肩に腕を回してきた。


「スーツにゃ火は効かない。なんのダメージもないだろ」


 確かに、抜け殻となったスーツには炎による損傷はないように見えた。これも今の今まで忘れていたが、訓練課程で長距離走中に聞いた教官の説明通りだった。爽平は走るのに精一杯だったが、生きるために必要な情報だからと頭に叩き込んではいたのだ。


「コイツらの体に関しちゃ何にもわかっちゃいない。ヘンな病原菌を飼っちゃいないのは確認済みだが、放置してどんな影響があるかわからないからな。こうして燃やして処分する」


 細川は体を離すと、爽平の肩をつかんで乱暴に細川の方を向かせた。鼻先に指を突きつけられる。


「いいか、臆病さは生き残るのに必要な感情だ。ケドな、臆病者はすぐに死ぬぞ」


 真剣な顔だった。


 爽平はおずおずとうなずいた。


「ま、俺たちがあいつらに遭遇するなんてこと、まずないけどな!」


 ばんばんと細川は爽平の背中を叩き、戻ろうぜ、と言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る