第5話 美彩との出会い

「ここ、いい?」


 兵舎の食堂でカレーをガツガツとやけくそ気味に食べていたきた爽平そうへいは、前方から聞こえてきた声に顔を上げた。


 正面の席の後ろに、迷彩服の女性が四角いトレイを持って立っていた。爽平の返事を待っている。周りを見渡せば、いている席はそこらにあり、相席する必要などなかった。


「ここ、いいかな?」


 彼女はもう一度たずねた。


「どうぞ」


 断るのも面倒で、爽平はぶっきらぼうに答えた。ありがとう、と女性は言い、爽平の前の席に座った。


 トレーで隠れていた胸元が露わになり、うわ、と爽平は顔をゆがめた。いま一番見たくない記章だった。階級は爽平と同じ三等士。だが所属は航空自衛隊だ。


「北爽平くん、だよね?」


 彼女が首を傾げながら聞いてくる。あごまでの長さのストレートの髪が、さらりと流れた。


「そうっすけど」


 階級は同じだが、年上のように見えたので、爽平は一応敬語で答えた。もっとも、敬意は全く抱いておらず、態度にも表れていない。名前を知っている理由に心当たりがあって、嫌な気持ちになったのもある。


「私は、相田あいだ美彩みさ。訓練で一緒になったことはないけど、一応、爽平くんの同期だよ」

「そうっすか」


 爽平は顔も上げなかった。興味がない。それに今は誰とも話したくなかった。やはり断ればよかったと後悔する。わざわざ正面に座るくらいなのだから、話しかけてくることも予測すべきだった。


「最終訓練で倒れたんだって? もう大丈夫なの?」


 無神経に言われた言葉にむっとした。そっちがそうくるなら、と遠慮なく美彩をにらむと、再び記章が目に入った。


 美彩の迷彩服は既製品だと少し大きいのか、だぼっとしていた。肉体派には見えないのに、今朝付けで空士になったということは、美彩はあの訓練をやりげたのだ。それも上位の成績で。


 爽平は何も言わずに、スプーンを口に運ぶ単純反復作業に戻った。食欲はまるでないが、食べないと一日もたない。とにかく体力をつけなければならない。戦場で倒れたら死ぬ。


 視線を落としただけの爽平の前で、美彩は食事を始めた。


 手を合わせて「いただきます」と呟くのを聞いて、そう言えばしばらく言っていないな、と思った。家にいたときは一人でも必ず言っていた。父親から口をすっぱくして言われていたからだ。


 だが、もうそれを叱ってくれる人はいない。


 世界中に巨大飛行物体が現れたとき、爽平は夢の中にいて、突如とつじょ鳴り響いた全国瞬時警報システムJアラートに飛び起きた。


 地震ではなく巨大飛行物体が東京、大阪、横浜、名古屋、札幌、仙台、京都、広島、福岡、長崎に現れたという情報で、父親と共にテレビを確認すれば、東京タワーの背景に巨大飛行物体が映っていた。


 画面の上部に、各地域の被害情報が表示され始める。右側には縦書きで「近くの避難所へ」という文字が大きく出ていた。


 父親と共に指定避難場所である近くの中学校に避難した。この段階になっても、爽平は甘く考えていた。割り当てられた教室で近所の同級生と会い、くだらない話をして笑い合っていたのだ。


 国会議事堂を始めとした日本の中枢が地図上から消え、官邸にいた総理大臣とは連絡が取れなくなった。数人の大臣も同様だ。マニュアルにのっとり、すぐさま指揮系統がしかるべき人物に移ったが、平和ボケした日本の政治家は、適切な指揮を執ることができなかった。


 文民統制シビリアンコントロールを敷いている日本は、自衛隊が独自の判断で動くことができない。どうするべきなのかという議論が起こり、対処に出遅れた。


 そうこうしているうちに、ドームからドローンと黒スーツが現れる。


 国民の避難と外出禁止令の徹底に振り分けられていた自衛隊員が応戦できないまま、街は破壊され、やがて死者が出た。野党は与党を叩き、それによってさらに対処が遅れていく。


 やっと攻撃の許可が下りた頃には、周囲はドローンによって粗方あらかた破壊されていた。


 反撃を開始した自衛隊は強かった。さすが世界一の練度を誇るだけはあった。


 だが、敵は壊しても倒しても後から後から湧いてきた。


 初めは進攻を退しりぞけられていたが、持久戦の様相をていしてから状況は変わった。ドローンは何を燃料にしているのか延々と飛び続けたし、黒スーツも休むことなく動き続けた。


 ドローンと黒スーツがレーダーに映らないことと、人工衛星は全て破壊された影響も大きかった。衛星がなければ宇宙から監視することはできず、全地球測位システムG P Sも使えない。レーダーと人工衛星を基軸に構築されていた軍事システムは、使い物にならなくなった。


 特にGPSを失ったことは大きな痛手だった。位置の測定ができなければ、無人機を操縦することもできなければ自動運転もできない。敵の位置はわからず、目視で無人機を飛ばす。第二次世界大戦の頃に逆戻りだった。


 敵は決して頑丈ではない。だが、弱くもなかった。無数のドローンは、狙いなどないとばかりに空高くから爆弾を落としていく。黒スーツの持つ光弾銃は射程が無限のようで、数が当たれば戦車の装甲さえも破られた。そしてとにかく数が多かった。


 まだ被害が少ないうちに、相打ち覚悟で国民総出で当たれば勝てたかもしれない。だがそんなことができようもないし、今さら言っても遅い。


 じわじわと被害地域は広がっていき、犠牲者も増えた。


 爽平が住んでいた地域はドームから離れていたのと、自衛隊の基地が近かったため、被害は受けていなかった。


 しかし敵がインフラを優先的に叩くのは当然で、ネットは繋がらなくなり、やがて電気や水道も止まった。情報源はテレビではなく、ラジオになった。


 爽平たちは家に戻っていたが、断水でトイレもままならなくなり、結局避難所に戻った。


 そんな時だ。父親が病気になったのは。


 平時であれば治療が難しくない病気だった。だが、医療体制どころか生活基盤が崩壊した状態では十分な治療を受けることができなかった。


 あっという間に病状は悪化し、父親は帰らぬ人となった。


 転がり落ちるように悪くなっていく生活に感覚が麻痺まひしていた爽平は、涙を流さなかった。


 一人ぼっちになった爽平はなんとか近くにいる親類に連絡を取ろうとしたが、返事は返ってこなかった。届かなかったのかもしれないし、生きてはいないのかもしれないし、これ以上は面倒見きれないと思われていたのかもしれない。


 とにかく爽平は天涯孤独の身となった。


 そしてついにスライムたちの攻撃は爽平のいる地域までやってきた。防衛する自衛隊の手が足りなくなっているのだった。


 急ごしらえの地下避難所に身をひそめる日々が始まった。


 状況は日々刻々と悪くなっていく。配給品はもとより、飲み水を得るのも危うくなってくると、爽平を見る周囲の目が厳しくなった。少し前から、自衛隊が志願者をつのっていて、戦える若者は入隊すべきと言う空気になっていた。


「爽平くんは、なんで志願したの?」


 フォークで刺したくし切りのトマトを見ながら、美彩が聞いた。


 ――死ぬのが怖いから。


 爽平を突き動かしているものはその一点だった。


 配給が減って一日二食になり、一食になり、このままだといつか食べる物がなくなって死ぬのだろうと思った時、ろくな治療も受けられずに死んでいった父親のことを鮮明に思い出した。


 随分前にテレビで見た、黒スーツに撃たれたり、ドローンの爆弾で吹っ飛ばされる人の姿が脳裏にちらついた。同じような目に合うのかと思うと怖くなった。


 避難所に居続けても無事でいられる保証はない。侵攻を受けた地域の避難所に黒スーツが侵入し、壊滅したというニュースをラジオで何度も聞いた。


 身を守るのなら武器が必要だ。


 そうして爽平は志願した。


 ――事実、爽平が避難所を出て数日後、一番近くの自衛隊の基地が陥落かんらくし、非難所も黒スーツに襲われた。爽平にいい顔をしなかった人たちも無事ではなかっただろう。


 死にたくないという気持ちは今も変わらない。


 だから爽平は操縦士パイロットになりたかった。敵はミサイルを持たず、戦闘機に対しても光弾銃で応戦してくる。射程がないとはいえ、高速で動く戦闘機に当てるのは至難の技のようで、パイロットは歩兵よりもよほど生存率が高かった。


 しかし爽平はなれなかった。選抜試験も兼ねていた最終訓練で脱落したからだ。リタイアしたのは同期の中で唯一だった。パイロットにあんな訓練が必要とも思えないのだが、とにかく圧倒的最下位で爽平の希望は通らなかった。


 実力不足なのにも関わらず訓練課程を終えることができたのは、人手不足だからだ。隊に入ってみて初めてわかったが、日本の人口は以前の半分を切っていて、残っている避難所の大半もとうに配給が打ち切られていたらしい。爽平のいた避難所は恵まれている方だったのだ。


 こうして今爽平がカレーを食べられているのは、自衛隊が崩壊すれば日本が終わるからだ。他の国の軍隊も同様で、民間の抵抗軍レジスタンスが細々と応戦しているだけの国もあるという。


 もはや人類に勝つ見込みはないと思われたが、降伏の道はなかった。黒スーツは投降や降参など意に介さず、ただ人類を殺戮さつりくする。死にたくないのなら、相手が全滅するまで戦い抜くしかない。


「私はね――」


 答えない爽平に、美彩は言う。


「――あ、十二歳の妹がいるんだけどね、その妹を守るためなんだ」


 突然始まった自分語りにうんざりした。自分の女々めめしい動機を言うつもりはないし、他人の身の上話を聞くつもりもない。


「妹は――」


 ガシャン、とからになった皿の上にスプーンを放り投げると、爽平は乱暴に椅子を引いて席を立ち、口をつぐんだ美彩を置いて食器返却口へと向かった。

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