第4話 ドームの内外で

 シンガポール陸軍所属のタン・リアムは、巨大なドームの前にいた。リアムの上官にあたる兵士が野心にあふれていて、軍がドームを調査する隊をつのったときに真っ先に手を上げたのだ。二年の兵役を終えるまであと数日だったというのに、本当についていない。


 その上官に、リアムはドームを調べる栄誉を頂いた。要は、見てこいと言われたわけだ。


 命令ならば従うしかない。手柄が欲しいなら自分でいけよ、と思いながら、恐る恐るドームに近づく。


 ぼんやりと赤く光るそれは、某有名宇宙映画で主人公たちが振り回す、光でできた剣を平面に引き延ばしたような見た目をしている。煙が内部から赤いライトで照らされているだけのようにも見え、触れればそのまま向こうまで突き抜けてしまいそうだ。


 リアムが振り向くと、上官はうなずいた。触れ、ということだ。


 ごくりとつばを飲み込む。このドームは各国に現れたとのことだったが、まだ他の国からも調査報告が上がっていない。何が起こるかわからなかった。何せ正体不明の敵が設置した物なのだ。触れれば指が蒸発してしまうだとか。


 ひとまずリアムは、首から下げたアサルトライフルの先を当ててみることにした。ドームから少し離れてからスリングを首からはずし、ストックを持って目一杯腕を伸ばす。他の隊員が腰の引けた間抜けな体勢を笑っているかもしれないが、構わなかった。命の方が大事だ。


 そろそろと近づけていくと、こつん、と手に感触が伝わってきた。


 外見から想起したイメージとは違って硬い。ミサイル攻撃を防いだわけだから、当然なのかもしれない。もやもやしているように見えるのに硬いとは、頭が混乱しそうだ。


 リアムは、こんこん、と何度かつついてみた。こすってみると、表面はなめらかだった。ガラスのような物質だろうか。銃を引き戻して銃口を確認すると、何もついていなかった。


 振り向くと、またも上官は無言でうなずいた。直接触れ、ということだ。


 軽く目をつぶって覚悟を決めると、リアムは黒いブーツの爪先で軽く蹴った。犠牲にするなら手よりはまず足だろうと思ったからだ。


 爪先はこつんと音を立てただけだった。


 安心したリアムは、手を伸ばした。黒いグローブが赤い光に照らされる。


 そっと触れた指先は、やはり硬い物質の存在を告げていた。指が無くなるような最悪の事態は避けられた。


 手の平全体をつけて、さすったり叩いたりしてみるが、何も起こらなかった。グローブ越しなのもあるが、温度は感じない。周囲と変わらない温度だというサーモグラフィでの計測結果を裏付けている。


 ドームは発光するただの平らな壁でできていた。いや、約一〇〇メートルの間隔で存在する骨組み――こちらも光ではなく固体でできているのだろう――の間にあるわけだから、わずかに丸みを帯びているのだ。


 リアムは、上官の指示を仰ぐべく振り向いた。


 その時、ドームから何かが現れた。油断していたリアムは飛び上がらんほどに驚いた。


 それは固体だと断じたはずのドームを通り抜けていた。手が、足が、頭が、次第に現れていく。まるで濃霧から出て来るかのようにだった。


 リアムは反射的にそいつに銃を向けた。当然背後にいる他の兵士も一斉に狙いを定めている。


 何かのコスプレか、と思った。


 完全にドームの壁から抜け出たその人物は、黒いラバーのようなスーツを着ていた。靴まで一体化している。頭には前面が黒いガラスのような物でできた真っ黒なヘルメットを被っている。日本の戦隊特撮番組に出て来そうな格好だ。宇宙SF映画の敵役かもしれない。


 そして、手にはアサルトライフルに似た形状の銃を持っていた。


「な、なんだお前はっ!」


 リアムが誰何すいかするのと同時に、黒スーツは手にしていた銃を発砲した。


 うっ。


 目の前がピカッと光ったかと思うと、リアムは腹に衝撃を受けた。体が宙を舞うのがわかった。


 どさりと背中が地面に落ちる。腹が熱い。手で触れてみれば、ぬるりとしていた。


 撃たれたのだ、とようやく理解する。


 ごふっとむせた。


 パパパパパッと銃を連射する音が聞こえた。仲間が撃っているのだった。


 あれが敵か……。

 

 そこまで考えたところで、リアムはこと切れた。



 * * * * *



 治安警備隊グアルディア・シビルのアルバロ・ドメスは、赤く光る壁を前に相棒と共に途方に暮れていた。


 マドリードで交通取り締まりをやっていた時に、空に巨大飛行物体が現れ、逃げ惑う市民を誘導していたところ、光る壁が現れてそれ以上進めなくなってしまったのだ。


 無線は通じない。携帯端末スマホの電波もなかった。


 周囲には疲れ果てたように座り込む男性や、泣き出している女性、不安そうに母親にしがみつく子どもなど、大勢の市民がいた。どうにかしろ、と食って掛かってきた男もいたが、どうにかできる物ならアルベロたちもとっくにやっている。


 壁を叩いてみても、拳銃で撃ってみても、そこらから調達してきたハンマーで殴っても、傷一つつかなかった。その場にいる男たち全員で試みたが、ガラスのように見えるそれは、想像以上に硬かった。アメリカ軍の怒涛どとうのミサイル攻撃に耐えたことを、彼らは知らなかった。


 見上げれば壁は上空に行くにしたがってり返り、巨大飛行物体の真上まで続いているようだった。壁伝いに歩いたとしても、出入り口があるとは思えない。アルベロたちは閉じ込められたのだった。


 アメリカの巨大飛行物体からはドローンが出現し、爆弾を落としていた。この巨大飛行物体も同様だろう。どうすれば市民を守れるか。


 どこか丈夫な建物に誘導したいところだったが、道には周囲の建物から出てきた人々であふれている。中心部に着陸した巨大飛行物体の脅威から逃れようと、今も多くの人々が壁の方へと流れてきていた。近くの大学が最適だと思うも、あちらにもすでに多くの人が駆け込んでいるだろう。現実的ではない。


 アルベロは相棒と相談し、ひとまず市民たちを周囲の建物の中に誘導することにした。


「みなさん、建物の中にお戻りください。外は危険です。建物の中に入って下さい」


 声を張り上げて叫んだが、従ったのは、壁に挑んで敗れた者たちだけだった。


 その最中、中心部の方から悲鳴が聞こえてきた。向かってくる人の流れが急に速くなる。


 ドローンか!? と空を見上げるが、機影は見えない。


「黒い変な奴が銃を乱射してる!」


 アルベロが適当な男をつかまえて尋ねると、そう言って腕を振り払って逃げて行った。


「行くぞ!」


 相棒が腰の拳銃に手を伸ばし、人波に逆らって走り出した。アルベロもその後を追う。


 かき分けて進んで行くと、逃げ惑う人々の向こう側に、黒い全身スーツを着た人影がいた。黒いフルフェイスヘルメットを被り、市民に対して銃のようなものを向けている。人がばたばたと糸が切れたように倒れていった。


 一瞬、映画の撮影にまぎれ込んでしまったのかと思った。


 それだけ黒スーツの外見は空想じみていた。


「止まれ!」


 最後尾を抜けて前に出た相棒は、両手で握った拳銃を向けて叫んだ。アルベロは人波にはばまれて近づけない。


 黒スーツは相棒の制止の声を聞かずに、市民を撃ち続けた。その銃口からは光の弾のような物が飛び出したように見えた。


 パンッ


 相棒の拳銃が火を噴いた。


 ぴゅっ、と黒スーツの太もものあたりが裂けた。黒スーツのヘルメットに覆われた顔がようやく相棒の方に向く。そして銃も向いた。


「待っ――」


 アルベロが制止の声を上げようとしたとき、黒スーツがその場に崩れ落ちた。足を痛めたせいで膝を着いたというわけではなく、力なく地面に横たわっている。


 ようやく人波を突破したアルベロは、拳銃を構えて相棒と共に黒スーツに歩み寄った。


「両手を後ろで組め!」


 相棒が命じるが、黒スーツはぴくりとも動かない。


 アルベロは素早く近寄って、黒スーツの両手を取り、後ろ手に手錠をかけた。意識がないのか、何の抵抗もなかった。


「なんだこれは……?」


 しゃがみ込んだ同僚の指先を見ると、ねちゃりとした赤い粘液がついていた。初等教育の科学の授業で作ったスライムそっくりだった。


「馬鹿、むやみに触るな」


 ゲームではスライムと言えば、溶解や毒の攻撃をしてくるモンスターだ。それにこいつは、あの巨大飛行物体から出て来たに違いない。変な病原菌を持っているかもしれない、とアルベロは右腕で口元を覆って一歩下がった。


 一方の同僚は、頓着とんちゃくせずに傷口を調べている。中からは、スライム状の粘液が流れ出て来ていた。


 同僚がおもむろにヘルメットに手を伸ばした。


「おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫だろ。こいつのツラおがんでやろうぜ」


 引っ張ってもヘルメットは取れなかった。同僚が首元を探る。ほどなくして、ぷしゅっと音がして、ヘルメットがわずかに浮いた。アルベロはもう一歩下がった。


「うわっ」


 同僚が悲鳴を上げてった。ヘルメットが後ろにころりと落ち、どぷりと粘液があふれてきたからだ。あるはずの頭部が存在していない。そしてスーツの首元を見ても、肉体らしきものはなく、ただスライムがみっちりと詰まっているだけだった。


「なんだこれは」


 同僚がスーツの腹辺りを手で押すと、粘液はどんどん出て来る。それはのっぺりとアスファルトに広がっていった。


 本物のモンスターだ。


 ごくり、とアルベロはつばを飲み込んだ。


 とその時、ぶぅぅん、とプロペラの音がした。


 まさか――。


 見上げれば、長く伸びる道路の向こうにいくつもの黒い点があった。


 そしてその下には胸元に銃を持って走ってくる何人――何体もの黒スーツが。


「みなさん、早く建物の中へ!」


 倒れた人の様子を確かめている人、助け起こしている人、彼らを避けながらぱらぱらと逃げて来ている人へと声を掛ける。


 アルベロは胸の前で十字を切り、拳銃を構えて黒スーツたちを見据みすえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る