第3話 訓練最終日

 巨大飛行物体のことを知ったとき、爽平そうへいは高校二年生だった。


 ある朝、寝起きに腹をぽりぽりときながら居間に行くと、普段ならバタバタと出勤の準備をしているはずの父親が、ソファに座って食い入るようにテレビを見ていた。


「あれ、会社は? ゆっくりしてていいの?」

「お前も見てみろ。大変なことが起こった」


 テレビには、アメリカのホワイトハウスと、その上空に大きなUFOが浮かんでいる様子が映し出されていた。右上に「宇宙人か? 軍事兵器か?」と書いてあり、画面下部のテロップには「直径二キロもの謎の巨大飛行物体が降下する様子」とあった。アナウンサーが何か言っているが、早口すぎて、まだ寝ぼけている爽平には聞き取れない。


「新しい映画?」


 爽平はSF映画の宣伝だと思った。


「現実だ。ワシントンにUFOが現れて、ホワイトハウスが破壊されたらしい」

「はぁ?」


 何を大真面目に言っているのだ、と爽平はぼぉっとした頭で考えたが、見ろと言われので父親の隣に座った。


 画面がぱっと切り替わり、男女のアナウンサーがスタジオで座っている様子が映った。お伝えしておりますように、と落ち着いた無表情でしゃべり始める。その背景の壁には、公共放送のロゴがある。


 内容は、父親の発言を補足するものだった。


 巨大飛行物体が現れ、ドローンらしき物を発出し、そいつらがホワイトハウス前庭に爆弾を落とし、ドローンはアメリカ空軍が撃墜し、巨大飛行物体が降下してホワイトハウス及びその周辺を押し潰し、周辺の住民の避難は完了し、アメリカ陸軍が戦車などで周囲を取り囲んでおり、空軍がその上空に偵察機を飛ばしていて、攻撃はしていない、数万人が下敷きになったと思われる、といったことを淡々と告げていた。


「これマジ?」

「マジだ」


 ようやく爽平にもそれが事実なのだと飲み込めてきた。


「え、どゆこと? UFO? 宇宙人?」

「わからない」


 画面の中では、防衛省に勤めていたという人物が、コメンテーターとして意見を述べている。現在の人類にはあのような巨大な物体を宙に浮かべる技術はない、と言っていたが、それくらいは爽平にもわかった。アメリカ軍が攻撃をしていないのは反撃を警戒しているからだろう、というのも同様だ。


「フェイクニュースじゃないの?」


 そう言う自分の顔が引きつっているのがわかった。国営放送がそのような偽情報に踊らされるわけがなかった。間違いなく裏を取っているだろうし、大がかりすぎてフェイクニュースとして成立しない。すぐに真偽が判明してしまうからだ。


 爽平は携帯端末スマホを取りに部屋に戻った。アラームを消したときには気がつかなかったが、通知がたくさん来ていた。クラスのグループチャットにたくさん書き込みがある。素早くスクロールしてざっと眺めた。


 ニュース見た? これマ? アメリカどうなんの? 今日休校になんないかな。絶対宇宙人! 大統領死んだの? 正規の大事件キタコレ。それ言うなら世紀な。生きてるらしい。それより今日のテストやばい。今北産業。バカテストなんかどうでもいいだろ。UFOが来たんだってば。お前テレビくらい見ろよ。


 みんな好き勝手に言っていた。ちょっとしたお祭り騒ぎだ。その気持ちは爽平にもわかる。画面の向こうの出来事は遠い場所で起こっていることで、自分たちとは関係ない。何の現実感も湧かなかった。


 ブーッブーッとスマホが鳴った。父親のだった。父親はスマホを確認すると立ち上がった。


「とりあえず仕事行ってくる」

「あー、うん、気を付けて」


 爽平は父親を見上げて言った。こんな時でも仕事に行くんだ、とは思わなかった。クラスメイトは休校を期待していたが、今連絡が来ていないのなら、通常通り授業はあるのだろう。自分も早く学校に行く準備をしなくてはならない。




 通学電車の中で、誰しもがスマホの画面をじっと見つめていた。乗客の多くがスマホを見ている光景は珍しくないが、爽平がこっそりのぞいてみれば、皆が皆、事件の情報を集めていた。


 隣でつり革をつかんでいるスーツ姿のサラリーマンが開いていたのはニュースサイトだったし、前に座る花柄のスカートを履いたお婆さんは耳に白い無線イヤホンをつけていて、UFOの動画を見ているのが窓に映っていた。ドア付近の爽平がよく見かける金髪のギャルの画面も乗るときにチラ見したが、いつもの落ち物ゲームではなくSNSチェックしていた。


 人々は緊張感のある顔をしているのに、空気はのんびりとしている。それこそ映画でも見ているかのような雰囲気だった。


 爽平もグループチャットで会話をしつつ、SNSを見ていた。トレンドのタグは全てUFO関連で埋まっていて、流れるタイムラインもそのことばかりだ。動画サイトのランキングも同様だった。何十億再生という数字を初めて見た。


 学校についてからの話題も当然UFOのことばかり。教室ではクラスメイトたちがそれぞれグループを作ってスマホ片手に話していた。爽平も男子三人のグループに混る。


「おはよう」

「おはよ」

「おっす」

「爽平は相手の正体は何だと思う?」

「やっぱ宇宙人?」

「だよなー。それしかあり得ない」

「間違いないな」

「宇宙人って、やっぱりグレイみたいな感じかな。頭と目がでかいやつ」

「火星人みたいなタコかも」

「宇宙船があれだけでかいんだから巨人かもよ?」


 爽平たちは、どんな見た目をしているのか、という予想で盛り上がった。


「お前ら座れー。ホームルーム始めるぞー」


 会話は、担任が教室に入って来たことで中断された。もじゃもじゃとしたくせ毛で眼鏡をかけたその男は、三十代後半で、最近結婚したばかりだった。爽平たちの担任であると同時に、数学の教科担任でもあった。


 ばらばらと生徒たちが席に座っていく。爽平も自分の机に座った。


「せんせー、授業は休みにならないんですかー?」

「緊急事態だと思いまーす」

「授業は通常通りだ」

「テストはー?」

「数学の小テストも予定通りやる」

「えぇー」


 生徒たちの不満の声が上がる。だが誰も本気でテストが無くなるとは思っていなかった。


 担任が伝達事項を告げ、図書委員から来週は読書週間だということ、保健委員から体育祭への準備についてお知らせがあったあと、ホームルームは終わった。


 国語の教師がやってきて、爽平はいつも通りの一日を過ごした。数学のテストもいつも通りできなかった。


 次の日も、その次の日も、爽平の日常は変わらなかった。父親も仕事に行っていたし、街の様子も変化がない。


 番組を取りやめてニュースを放送していた各局は、番組表通りの番組を流すようになった。ニュースサイトには特集ページが組まれていたものの、ネットの話題も別のことに移っていった。


 アメリカでは、慎重論を唱えていた国民が次第に攻撃すべきだという方に傾いていったが、潰される前にホワイトハウスから脱出していた大統領は、攻撃命令ゴーを出さなかったし、円盤の着陸地点にいた多くの人々の救出命令も出さなかった。



 * * * * *



 はぁ、はぁ、はぁ……。


 爽平は息も絶え絶えになり、自分が何をしているのかもよくわからないような状態で、緩やかな登りの坂道を、ただ足だけを前へ前へと動かして進んでいた。春の陽気を恨めしく思う気持ちはとうにどこかへ行ってしまった。


 同時に出発した同期連中の背中はとうに見えなくなっていた。坂の上にたどり着いて見下ろしても見つけられないだろう。ブーツの足跡だけが湿った土に残っていた。


 自衛隊の訓練日程の最終段階、三〇キロの荷物を背負い、アサルトライフルを持って五〇キロの山道を踏破する訓練を受けていたのだ。


 訓練期間はたった二ヶ月。体力強化と歩兵の戦い方を最低限学ぶだけ。素人に毛が生えただけの訓練しか受けていない。それでも、運動部に所属していたわけでもない爽平にとっては、過酷としか言いようのない毎日だった。


 逃げ出したくなったことは数知れず、実際に夜中に抜け出そうと基地の塀の前まで行った。だが、爽平には自衛官になる道しか残されていなかった。


 三か月前、父親が病気で急死してしまったのだ。二人だけの父子家庭で育った爽平は独りぼっちになり、親戚にも引き取ってもらえなかった。もう高校生なのだから、というわけではない。日常が非日常に取って代わられたからだ。


 ワシントンに巨大飛行物体が着陸して二週間、アメリカ軍は自分たちをはるかに上回る技術を持つらしい敵を相手に安易に動けず、沈黙した巨大飛行物体を一キロメートル外側で包囲し続けた。アメリカは各国からも非難の声を受けていたが、ハト派の大統領は攻撃にも救助にも踏み切れなかった。


 膠着こうちゃく状態は、巨大飛行物体が放った一筋のレーザーによって破られた。上部中心から真上に向かって放たれたそれは、ちょうど真上に差し掛かったアメリカの軍事衛星を、一撃で破壊した。


 本体からの明確な攻撃意思を受けて、ようやく大統領は攻撃命令ゴーを出した。包囲していた戦車、上空の戦闘機、設置していたミサイル台、方々の基地から一斉に砲弾やミサイルが放たれた。


 大小様々なミサイルが方々から白煙を伴って飛来し、巨大飛行物体へと収斂しゅうれんしていく。これぞ米軍と言える、凄まじい猛攻撃だった。


 巨大飛行物体はそれらを迎撃することなく、全てをその身に受けた。爆発煙で巨大飛行物体全体が覆われる。


 するとその煙を突き破るようにして、巨大飛行物体から今後は赤く太い光の筋が打ち上がった。それは上空で百本に分裂し、球の表面を滑るような軌道でそれぞれ広がって、円盤から三〇〇メートル離れた位置で地面に突き刺さった。ものの数秒で、直径約七.五キロメートルの巨大な半球の骨組みができあがった。


 そしてその光の骨組みの間を埋めるように、頂上から不透明の膜のようなものが降りていった。膜はやがて地面まで達し、巨大飛行物体は、赤くぼんやりとした光を放つ半球のドームにすっぽりと覆われてしまった。


 その間も米軍による攻撃は続いていたのだが、膜がそれら全てを防いでしまった。どれだけミサイルをぶつけても、膜を破ることができない。ほどなくして攻撃は中止された。


 近づいて膜を確認せよ、という命令が下される。歩兵部隊及び戦車の数隊が動き出したとき、全世界に衝撃が走った。


 モスクワに、ロンドンに、東京に、パリに、上海に、ニューヨークに、北京に、ドバイに、シドニーに、ムンバイに、大阪に――各国の首都及び主要都市の上空に、一斉に巨大飛行物体が忽然こつぜんと現れたのだ。


 それらは空中に留まることなく降下し、ワシントンD.C.同様、建造物を踏み潰して着陸した。その後、上空にある軍事用や気象観測用や民間などの全ての衛星、建造中も含むISS宇宙ステーションがレーザーによって破壊された。


 当然各国の軍隊は攻撃を仕掛けたが、全て徒労に終わった。巨大飛行物体を傷つけることはできなかったし、その攻撃さえ、遅れて生まれた赤い膜に阻まれて届かなくなってしまった。


 膜に近づくことはできた。建物やアスファルトなどの障害物を全て切断して、地面の下へと潜っていた。地面を掘ってみれば膜はさらに下まで続いていて、球を形作っているのだと推測された。


 触ると硬いガラスのような感触だった。温度は温かくも冷たくもない。材質を特定することすらできなかった。


 人々は途方に暮れた。膜の内側を見ることはできず、通信することも出来なかった。物理的な攻撃のみならず、電波までもが遮断されていた。中に取り残された人々はどうなったのか。いま中で何が起こっているのか。


 ……そんで、あいつらが、出てきた。


 爽平は、はぁはぁと荒い息をしながら、あいつら――黒い戦闘バトルスーツを着た人型のスライムを思い浮かべた。


 直接目にしたことはまだない。テレビのニュース番組と、ネットの動画と、避難所の緊急放送と、軍での仮想現実V Rシミュレーターでしか見ていない。民間人として対峙たいじしていたならば、爽平は今頃生きてはいないはずだから、幸運なことだ。


 睫毛まつげまった汗が目に入ってみた。ごわごわとした迷彩服のそでぬぐったとき、ぎりぎりのバランスを保っていた体の重心が傾いた。


「あ……」


 ちょうどそこに木の根が張り出していて、爽平は上がり切らなかった爪先をぶつけてしまった。


 ふらふらの足ではよろめくことすらできず、爽平はどさりとその場に倒れ込んだ。頬が土の冷たさを感じ、土のにおいが鼻腔びこうに満ちた。


 限……界、だ……。


 爽平の視界は暗転した。

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