第2話 日常が変わった日

 二〇XX年、某日。


 夜勤明けで基地の宿舎で眠っていたマシュー・テイラーは、突然の警報に飛び起きた。


 抜き打ち訓練か、と即座にブーツに足を突っ込む。しかし、放送は緊急事態であることを告げたのち、「これは訓練ではないディス・イズ・ノット・トレイニング」と繰り返した。


 上着に腕を通しながら部屋を飛び出す。同様に廊下へと出てきた同僚たちと共に、駆け足でブリーフィングルームへと急いだ。


 が、途中で戦闘機乗りパイロットは直接格納庫ハンガーへ行くようにとの指示が入った。


 マシューは同僚と別れ、一人格納庫へと向かう。


 昼の連中は演習中だ。飛べと言われるだろう、と予測する。寝起きだが、大量に分泌されたアドレナリンによって脳も体も完全に覚醒していた。訓練の賜物たまものだ。


 格納庫に着いてみれば、すでに上官はそこにいて、他のパイロットが駆け寄っているところだった。


 全員がそろい、気を付けの姿勢をとった所で、上官が口を開く。

  

「ホワイトハウス上空に謎の飛行物体が出現した」

 

 淡々とした声だった。普段の訓練のときと何も変わらない。だが背後では、警報と共に「これは訓練ではない」という放送が流されている。


「直径一海里マイルの金属と思われる構造物だ。上空一六、〇〇〇フィートの位置に静止している」


 マシューは耳を疑った。


 直径一マイルの構造物? 一六、〇〇〇フィートの空中に


「飛来元は不明。突如出現したとの報告が入っている」

「敵国の兵器でありますか」

「不明だ。各国に問い合わせている」


 中国か。北朝鮮か。中東か。


 チームメイトの発言に、攻撃を仕掛けて来そうな国名が脳裏をよぎる。このアメリカをおいて他にそんな技術力を持ち得るとしたら、中国しかない、と思った。


「相手に通信を呼び掛けているが、応答はない。攻撃もあり得る。以上、各自戦闘配置につけ」

「イエス・サー」


 マシューは他のパイロットと共に、愛機に乗り込むべく格納庫の外へと走り出た。


「おいおい……」


 先に出た隊員が、ホワイトハウスの方向を振り向いて、足を止めた。緊急事態だというのに、と内心とがめながら振り向いて、マシューも足を止めた。


「オー・マイ……」


 空に巨大な白い円盤が浮いていた。雲一つない快晴の中、くっきりと見えた。鮮やかすぎて逆に合成写真なのではないかと疑いたくなる。だが、残念ながらこれは現実だった。


「行くぞ」


 ぽん、と相棒バディに胸を叩かれて、我に返る。ほうけている場合ではない。


 マシューはエンジンのかかった戦闘機の前席に乗り込んだ。後ろの席にはバディが座る。手早くシートベルトをつけ、ヘルメットを被る。機器をチェック。オーケー。問題ないノー・プロブレム


 ――司令部からC隊チャーリーへ。発進を許可する。

 ――チャーリー・ラジャー。


 命令コマンドに隊長が応答し、マシューは誘導員マーシャラーの合図に従って戦闘機を動かし始めた。



 * * * * *



 観光でホワイトハウスを訪れていたジン浩然ハオランは、自分の記念写真を撮ってもらったお返しに、他の観光客のカメラを構えていた。


イーアルサン茄子チェズ!」


 ホワイトハウスを背景にピースする四人家族を写真に収めたハオランは、カメラから顔を離した。天気は快晴で、白いホワイトハウスが青空に映えた、いい写真が撮れたと思う。


 写りを確認してもらうために、家族にカメラを渡した時、突然視界が陰った。


 見上げれば、白い塊が空に浮いていた。


 一瞬、何が起こっているのかわからなかった。


 何度も目をこすってみるが、真上にある円形をしたそれが視界の五割を覆っていて、太陽を隠している光景は変わらなかった。


 あれはなんだ、と誰かが叫ぶ。


 ハオランには見当もつかなかった。素材はプラモデルに使われるような合成樹脂に見えた。もしくは生まれる前に使われていたスペースシャトルのタイルか。


 だが、こんな巨大な物、空に浮かぶのだろうか。


 大きすぎて高度の目算すらできないが、ジャンボジェットなど目ではないサイズなのは間違いない。


 ぱしぱしとシャッター音が鳴り始めた。


 視線を下げれば、皆が空にカメラやスマートフォンを向けている。


 ハオランも慌てて尻ポケットからスマホを取り出した。正体は不明だが、大ニュースに違いない。SNSに上げれば一躍有名になれるかもしれない。


 ハオランは夢中で写真を撮った。拡大しても、スマホのカメラでは表面の様子は全く撮影できなかった。ホワイトハウスを入れた構図が一番よく撮れたので、急いでそれをアップする。


 SNS上はこの話題で持ち切りになっていた。


 何かの宣伝ではないか。大きな飛行船だ。一枚の布を広げているのではないか。いきなり現れたのはなぜだ。光学迷彩を使った新兵器だ。


 様々な疑問と憶測が流れていく。


 中には宇宙人の襲来だなどという荒唐無稽こうとうむけいな投稿もあり、ハオランの周囲でもそんな声が上がっていて、苦笑するしかなかった。


 馬鹿げている。宇宙人なんているわけがない。SF映画じゃあるまいし。


 広告だという説が有力だと思った。中国の企業のどれかが仕掛けたのだろう。祖国は偉大なのだ。


 だが、入口の両脇に立っていた警備員が走り寄ってきたことにより、その楽観的な考えを捨てることになる。


「みなさん、慌てずゆっくりと、ホワイトハウス内に入って下さい。慌てないで」


 そう言って誘導する警備員たちの顔は青ざめていた。


 広告ならば、事前に政府に連絡を取っているはずだ。さすがにアメリカの首都上空でゲリラ開催することはないだろう。


 なのに、警備員は観光客を促しながらも、耳に着けた無線でどこかとせわしなく連絡を取っている。


 これがホワイトハウスが仕込んだアトラクションだとすれば大歓迎だが、さすがのハオランもそこまで前向きには考えられなかった。


 アメリカ政府のあずかり知らない非常事態が起こっているのだ。


 ハオランは戸惑いながらも誘導に従って、入口へと向かう白い階段を上り始めた。


 目の前では、さっき写真を撮ってあげた家族の二人の幼い子どもが、それぞれ両親の足にしがみついている。緊張感を肌で感じているのだろう。両親が大丈夫だと声を掛けているが、その表情は硬い。


 警備員の声に従わず、まだ写真を撮り続けている観光客が何人もいた。


 もしこれが他国――祖国かもしれない――の軍事攻撃だとしたら、真っ先に死ぬのはこいつらだな、と思った。映画では、こういう自分勝手な行動をした者から死んでいくのだ。


 キィィンと飛行音が聞こえてきたかと思うと、四機の戦闘機が頭上を通り過ぎていった。この異常事態に、アンドルーズ基地から緊急スクランブル発進してきたのだろう。


 気がつけば、パトカーや消防車など、緊急車両が次々と敷地内に乗り入れていた。門前で足止めを食らっているのは、マスコミだろうか。


 警察が拡声器を使って誰何すいかしている。有人な訳はないのに。それとも操作している何者かに呼び掛けているのか。


 一人が、あっ、と声が上がった。


 つられてハオランは再び空をあおぐ。


 何も見えない。ただ銀色のような灰色のようなそれが見えるだけだ。


 声を上げた人物は、あれ、あれ、と言いながら指を差し続けている。


 目を凝らすと、何か動いているのが見えてきた。最初は羽虫が何匹も飛んでいるのかと思った。しかし砂粒のようなその黒い何かは、どんどん大きくなっていく。


 同時に、かすかにぶぅぅんという羽虫のような音もし始めた。


 四角いフォルムの四隅でプロペラが回っている。


 ドローンだ。


 荷物の配達でお馴染みの形だったが、真っ黒の機体を見るのは初めてだったし、近づくにつれ、それが大型の物であることがわかってきた。街中でみることはまずないサイズだ。


 ついに四階建てのマンションほどの高さまで近づいたとき、それは無人小型タクシーほどのサイズにまでなっていた。


 それがホワイトハウスの庭先で、いくつもホバリングしている。なんとも不思議な光景だった。


 人間、想像を越えた現実をの当たりにすると、冷静になるものらしい。ハオランは階段の最上段に片足をかけたまま、ディスプレイでも見ているかのように、静かにその光景を見守っていた。



 * * * * *



 基地からホワイトハウスまではあっという間だ。マシューたちはすぐに円盤の下に到達した。


 円盤の影の中に入ると、その巨大さがまざまざと感じられた。ホワイトハウスを中心として、ビル群がすっぽりと影に飲み込まれていた。ホワイトハウスの南東にある議会議事堂がかろうじて日光を浴びている。


 影の中から飛び出すと、四機は旋回してもう一度下に潜った。


 マシューの鼓動はどくどくと嫌な音を立てていた。敵国の兵器などでは絶対にない。人類よりも優れた科学技術を持つ何者か――おそらく宇宙人――の仕業なのだ。


 他のメンバーも同じことを考えているのか、誰も軽口を叩こうとはしなかった。マシューもいつもなら口笛の一つも吹く所だが、とてもそんな気にはなれない。


 見上げる円盤の底は、むき出しの金属のような色をしていて、建造物などは見当たらなかった。近づけば継ぎ目があるのだろうが、マシューからはつるっとしているように見えた。


 ――司令部よりチャーリーへ。目標について報告せよ。

 ――チャーリーより司令部へ。底面に凹凸おうとつは無し、ミサイル発射台など兵器のたぐいは見られない。


 隊長が淡々と報告した。機体についているカメラの映像を司令部も見ていることだろう。


 と、突然、底面の金属が四角く口を開けた。見た目からはわからなかったが、両開きのハッチがあったようだ。それが複数。


 どくん、と心臓が大きく鳴った。操縦桿そうじゅうかんを握る手に力がこもる。


 ハッチから黒い物体が飛び出て来る。


 ――目標から何かが出てきた! 小型の飛行物体のようだが、システムで補足できない!

 ――こちらでも映像では見えているが、レーダーには映っていない。


 隊長の言葉通り、円盤からは次々と黒い飛行物体が吐き出されているのが窓越しに見えているのに、そこにマーカーが投影されていない。補助システムが認識できていないのだ。


「円盤の陰にいるから衛星も使えない。手動で設定する」

「頼む」


 後ろのバディが追尾をレーダーから光学装置へと切り替えた。ディスプレイをタップして、手動でマーカーをつけていく。次々に吐き出されてくる飛行物体は、三十を超えた。

 

 飛行物体は円盤のすぐ下をホバリングしていた。さらにその下をマシューたちが飛んでいく。


 ――チャーリーから司令部へ。小型飛行物体にはプロペラが四機ついている。ドローンと類似した形状をしている。サイズは目測で六フィートから七フィート。


 巨大飛行物体のハッチが閉まった。飛行物体の発出は終わったようだ。ざっと五十。


 すると、黒い飛行物体が下降を始めた。


 ――司令部、撃墜しますか?

 ――命令を待て。

 ――ラジャー。


 領空侵犯は明らかで、呼びかけに答えない時点で問答無用で撃墜するのが通常だ。司令部がゴーを出さないのは、未確認飛行物体が真の意味で未確認アンノウンであるという証左だった。攻撃した結果何が起こるのか予測できないのだ。


 四機は、ドローンが高度を下げるのに合わせ、高度を下げていった。二、二〇〇マイル、二、〇〇〇マイル、一、八〇〇マイル――。


 戦闘機では下降するのに限界がある。ここはアメリカの首都ワシントンD.C.の中心部なのだ。マシューは戦闘機を操りながら、じりじりとした焦燥を抱いていた。


 本当に撃墜しなくていいのか? ホワイトハウスが目の前にあるのに? こいつらが敵性勢力だったら、市民はどうなる?


 戦闘機が限界高度に達しても、飛行物体は下降していき、やがて静止した。


 ――司令部、撃墜しますか?

 ――駄目だネガティブ

 ――ラジャー。


 複数の隊員から悪態が聞こえてきた。


 ホワイトハウスの前庭に、複数の飛行物体がホバリングしている。


 突然、きれいに整えられ青々としていた芝生から、何かが吹き上がった。


 ――飛行物体が爆弾を投下!

 ――撃墜せよ!

 ――各機、撃墜せよ!


 司令部からの命令が耳に届いたのと同時に、狙いをつけていた飛行物体をロックしたマシューは、即座にミサイルを撃ち込んだ。それは正確に飛行物体へと飛翔し、爆発した。


 続けて次の飛行物体へ。そして次へ。


 飛行物体たちは見る間に数を減らしていった。とはいえ搭載されているミサイル数はわずかだ。戦闘機たちは全ての飛行物体を撃墜することはできなかった。


 全弾撃ち尽くしたあと、マシューは機関銃での攻撃を行った。マシューはたくみに機体を操り、バディが機関銃で掃射する。


 だが、飛行物体にダメージを与えることはできなかった。弾丸は全て弾かれてしまった。


「ちっ」


 マシューは次の飛行物体へと狙いを定める。すれ違いざまに再び掃射。だがやはり弾が通らない。


 ――チャーリー、加勢に来た。

 ――助かる。


 レーダーに映っていたのは、D隊デルタだった。残った飛行物体をミサイルで撃墜していく。


 地上には落下した飛行物体の残骸が煙を上げており、整えられていた芝生が爆弾により掘り返されていた。群がる野次馬を警官が制止しているのが見える。


 ――巨大飛行物体に向けてミサイルを発射する。各機退避せよ。


 無線と同時に、基地から一発のミサイルが放たれたことがシステム上に表示された。白煙を上げてミサイルが飛んでくる。


 一発だけなのは、相手の出方を見るためなのだろう。すでに攻撃を受けたというのに、司令部は及び腰だった。直接聞かないまでも、問い合わせた各国が関与を否定し、所属がわからない本当の意味でのアンノウンなのだろうことは推察できた。


 弓なりの軌道を取ったミサイルは、迎撃されることなく、巨大飛行物体の上部、外周近くに着弾した。


 何も起こらない。


 そう思った時、巨大飛行物体が動いた。


 ――目標が降下している! 繰り返す、目標が降下している!


 まさか地上に降りるつもりじゃないだろうな!? 真下にはビル群、そしてホワイトハウスがある。


 ――各機、巨大飛行物体を攻撃せよ。

 ――ラジャー!


 攻撃しろと言われても、機体の装備はもう機関銃しかない。これほど巨大なものを攻撃したところで何とかなるわけがなかった。ミサイルが全弾残っていたとしても、足しにはならなかっただろう。


 それに、多少ダメージを与えることに成功し、映画のように都合のいい展開が起きて奇跡的に破壊することができたとして、落下することには変わりない。


 だが、命令は命令だ。軍人であるマシューはそれに忠実にこたえた。


 ゆっくりと落下する巨大飛行物体の底面に寄り添うように飛び、バディが機銃を掃射していく。デルタの各機はミサイルを発射した。基地からは何発ものミサイルが飛んでくる。


 しかし、全弾を打ち尽くしても、巨大飛行物体の装甲一つへこませることはできなかった。


 巨大飛行物体の下から逃れたマシューの前で、それは地上の建造物を踏みつぶし、ずんっ、と静かな音を立てて、地上に降り立った。

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