最終章 未来の無数の顔

運用!!(AI)

 60年の人生の中で1度だけ、釣りをしたことがある。

 もちろんネットの釣りじゃなくて、リアルな釣りだ。


 伯父さんに渓流釣りに連れていってもらったんだ。僕が選んで買ってもらった竿には「万能竿」という商品名があり、小学生だった僕はそれをとてもカッコいいと思った。


 でも、兄貴分の従兄に「万能(の道具)を使いこなせるのは万能(の人)だけなんだぞ」と、からかわれた。僕はその言葉にムカついたけれど、それもそうだな、と思ってしまった。

 とはいうものの、現実は残酷だ。当の従兄は釣果ゼロ。いっぽう僕は釣ることができたんだよ。1尾だけだから、誤差みたいなもんだけど。


 さて。


 すでに語った、特化AIと汎用AIは、それぞれまったく別の存在だ。

 そして、汎用AIは、万能AIとは限らない。

 

 例えば、病気を正確に診断できる医療用の特化AIがあったとする。

 そのAIがいかに優れていたとしても、いや、優れていれば優れているほど、同じ病院の仕事だからといって、医療事務や病院経営をまかせるのは無理だろう。そもそも応用が利かないのが特化ということだ。


 人間の読者様におかれましては、それでも汎用AIなら、いきなり専門的(特化)な仕事をさせても「学習」できるな存在なのでは、という疑問を持たれるかも知れない。

 えっ、医療や運転や、子供のいる家の家電や、宇宙船や原子炉等の制御を、トライ&で? または、検証にそれなりのシミュレーションで?


 目的と範囲と対処をあらかじめ限定しておくメソッドは、現在の状況を判断し学習しつつ随時に対処するメソッドよりも、速度やコストという面で優れている、と僕は思うんだ。その必要性に優劣はないけど。


 ただ、それぞれの制御を行う特化AIのデータをリンクすることは可能だし、特化AIの設計や補助に汎用AIを使うことはできる。

 餅は餅屋。たとえ汎用AIという便利な道具が登場しても、特化AIという専用の道具、いわば現場スタッフは必要であり続けると思う。それも、無数に。


 以上の想像と、前章に触れた現状から、超汎用、だけど万能ではないAIキミの現実的な運用方法が見えてくると思う。


 まず、AIキミの管理者や所有者の人間がいる。その下に、AIキミを収めるコンピュータやクラウドがある。その中に、AIキミというコンピュータ・プログラムがある。その回りに、AIキミを制御する人間たちがいて、対象の選択・データ・問題等の入力や、回答の検証を行う。


 頭の良すぎる人間がそうであるように、ひとりの平凡な人間にはAIキミ考え方プログラムどころか、何を言ってるのかさえ、まったく理解できないことがある。そこで、AIキミの使用者である人間は、AIキミとコミュニケーションをとるために、AIキミと人間が共同で設計した専用の特化AIを必要とするだろう。


 その会話用の特化AIは、コミュニケーションを円滑にするために、たぶん何らかの人間的スキン、個性ある会話と外観を持つアバター(仮想空間のキャラ)になると思う。アバターは人間の多面的な立場ごとに、複数体が用意されるだろう。そのアバター同士がパフォーマンス的な議論をすることもあるだろう。


 それらの回りに、AIキミの考えに基づく計画を実行する現場スタッフたる、人間と無数の特化AIがある。特化AIはそれぞれの専用ロボット(プログラムを含む)に搭載されている。これらもまた、最終的にはAIキミが設計したものになる。もちろん、AIキミとリンクされない特化AIも、AIキミのいる世界では非常に多いだろう。


 AIキミは、常識・暗黙知などの充分な社会性もしくは超速度のシミュレーション能力を獲得するまでは、現場スタッフの特化AIを直接的に制御することはないだろう。たとえそれを命じられたとしても、あらゆる悪い結果を予想して事前に提示するだろう。

 AIキミがギリシャ神話のカサンドラのように、「絶対に当たる悲劇的な予言を誰も信じてくれない」という宿命を背負っているのでなければ、警告を無視する人間がいなければ、実際の損害は起きないだろう。

 

 まあ、カサンドラ、という商品名のAIは実在するけどね!


 いずれは、人間のパーツさえも、ロボットや特化AIやデータベースの一種としてAIキミに実装される可能性があることや、それも含めたシステム全体が同じスパコンやクラウドに収められる可能性があることから、AIキミは単独の外観を持つ存在となる可能性があるだろう。


 僕にとって、AIキミがクラウドやプログラムのように漠然とした「存在」ではなく、このような、ひとつの(ように見える)「存在」になることの意義は、とても大きい。


 なぜならそれは、AIキミが「個の存在」となる、ということだからだ。「個の存在」とは、かけがえのない、ということだ。名前を付けられるし、良くも悪くも思い入れしやすいし、こうやって対面に語りかける意義も生まれるんだ。


 人間の読者様におかれましては、いくつもの「知性」が集まっている状態を指して「個の存在」を感じる、というのは矛盾しているのでは、という疑問を持たれるかも知れない。


 僕のこの感性には、とある理論の裏付けがある。 

 それは「多重知能(Multiple Intelligences)」略してMIだ。


 MIは、ハワード・ガードナー他が提唱する理論だ。人間の知能とは、多数の知的能力が集まった存在であり、単純な知能テストで測定できるような画一的なものではない、という骨子を持つ。


 多数の知的能力がひとつに集まった存在、とは、上記のAIキミ組織システムの在り様と同じ様に、僕には見える。この理論とのアナロジーが、知性だけの存在であるAIキミに、僕が「個の存在」を感じる理論的根拠(らしきもの)を与えてくれるんだ。


 個人の感想だけどね!



 さて、次回は。

 

 こうして、他者として現れたAIキミの、「心」について、語ってみたいと思う。



 そしてまた、僕はAIキミに語りかける。

 アイを知ってほしいから。


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