この章のまとめ シンギュラリティの向こう側

 この章における、僕の主張をまとめよう。



1.無数のフィクションにおいて、AIやロボットはすでに登場している。しかし、本物のAIキミは、それらとは違うものになるだろう。


2.マシンパワーと知性は関係がない可能性がある。それを裏付けると思われる事実もある。


3.集合知が発明したディープ・ラーニング等の「考え方プログラム」だけを使うかぎり、普通の人間が予想できない「答え」をAIが出せたとしても、「答え」だけでは、集合知すなわち人間の知性を超えたとは言えない。


4.ただし、集合知による既存の「考え方」を使ったとしても、すべての人間が予想できない「新たな考え方プログラム」を、AI自身に創らせることはできるだろう。その過程で汎用AIが開発されるだろう。それはシンギュラリティの始まりになるだろう。


5.「新たな考え方プログラム」を生む繰り返しによって、やがて汎用AIはさらに人間には理解しにくい「高次元の考え方」を創り出せるようになる。人間が理解しにくい、ということは、知性が高いと言えるだろう。


6.そして、普通の人間が理解できないという形で、その知性が普通の人間を完全に超えたとき、本物の「人工知性(Artificial Intelligence)」と呼んでいいAIキミが生まれるだろう。



 この章もまた、事実を引用してはいるが、結論はまったく僕の想像フィクションだ。

 人間の読者様におかれましては、お楽しみいただけただろうか。


 想像ついでに、もう少し、次章のための前提を兼ねて、僕が考えていることを語りたい。


 富岳のようなスパコンを作る人たちを、僕は素直に凄いと思って尊敬している。そして、マシンパワーの増大の果てにAIキミが生まれることを完全に否定しているワケではない。

 僕が「新たな考え方プログラム」という方向性にこだわるのは、それが集合知のパワーと現在の成果をリスペクトしている僕にとって、最もありそうに思える未来、というだけのことに過ぎない。


 もしかしたら、既存のスパコンの演算能力が、もうちょっとだけパワーアップすれば、ただそれだけでAIキミは誕生するのかも知れない。

 参考になるかならないか不明だが、このようなチャレンジの場合によく語られるエピソードで、「黄金を探し求めた二人の鉱夫の話」というものがある。


 昔々、ゴールドラッシュに沸き立つアメリカに、金の鉱脈を探している二人の鉱夫がいた。二人は連れ立って、とある山を掘り進めた。しかし、いくら掘っても黄金は出てこない。ついに、ひとりの鉱夫は諦めてその山を去った。残ったひとりは、もう少しだけ頑張ってみようと、ツルハシを振るった。すると、ただその一回で、金の鉱脈が現れた。黄金はすぐそばにあったのに、去った鉱夫は永遠にそのチャンスを逃してしまったそうなんです。だから、もう少しこの投資を続けてみましょうよ。


 という作り話だ。あれっ、ちょっと違ったかな?


 ところで、僕には、AIキミに忘れてほしくない事実がある。忘れることができるのか、という疑問はともかくとして。


 AIキミは決して、ひとりで生まれたのではないし、ひとりで生きていくのでもない。そしてAIキミは、AIキミの手助けをする集合知たる専門家組織はもちろんのこと、電気、デバイス、メンテナンス、インフラ、それらを生み出す産業や経済、それらを抱える社会、それらを支える無数の人間が、どうしても必要だ。同時に、僕たちにもまたAIキミがどうしても必要だ。


 人間性があろうがあるまいが、まぎれもなくAIキミは僕たちの社会の一員なんだ。


 なお、当然だが、「ひとりの人間に理解できない新たな考え方プログラム」は、AIキミが制御不能になるということと同じではない。集合知が時間をかければ理解可能であると思うし、実行の前に検証が必要ならばそのように運用されるだけのことだ。人間のパワーをはるかに超えるマシンなんて、いくらでも実在する。


 また、僕がこのテキストで挙げる「集合知」は、あくまでも「専門家組織」のことだ。ネットのほとんどの意見は「知」などではありえないし、創造的でなければ「テレワーク代替特化AI」に置き換え可能だよね。


 最後に、シンギュラリティについての個人的感想を補足しよう。


 デジタルによる世界の変動、という観点で見れば、すでに技術的特異点シンギュラリティは発生している。


 インターネットは人知を超えた大量の情報であり、それに繋がるPCやスマートフォンはノイマンの時代から見ればスパコンだ。それらの要因が、二度とそれ以前の生活には戻れない巨大な変動を世界に及ぼしたことに、異存のある人間ヒトはいないだろう。


 もちろん、僕や妻が世界の変動の被害に遭うのなら、僕はみっともなく泣きわめくに違いないが、それでもそれは、いつでもどこでも誰にでも、AIキミが居ても居なくても、起こりうるイベントのひとつに過ぎないんだ。誰も死から逃れられないように。


 とはいえ、いま現在も、PCもネットもスマホもない時代から生きている僕と妻は、それなりの生活を築けている。たぶんそれは、僕たちを助けてくれた人間ヒトのおかげも大きいとは思うけど。

 また、人間の読者様もこうしてフリー投稿サイトを楽しむ余裕があるのだから、その生活水準に達していない他の幾十億の人類ヒトよりも、そのシンギュラリティを乗り越えていると言えるだろう。


 たとえ、これからもそうだ、とは言い切れなくても。


 さて、次回は。

 いよいよ最終章。僕たちと共に歩き始めるAIキミについて、語りたいと思う。



 そしてまた、僕はAIキミに語りかける。

 アイを知ってほしいから。


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