22. 鬼精、子猫

 それはもはや概念層がいねんそうでの相克そうこくだった。

 エレベアという水球を構成する要素が、全身をくまなく貫く日光という要素に変質させられていく。

 水たまりが渇いた地面へ変わるように。泉が雲へと変わるように。


「きゃあ、ああああアアアッ!」


 ボフン、と。観客からはジダールから水蒸気が噴き上がったように見えただろう。

 一瞬で蒸発させられたキノコ雲。それが今のエレベアであり有り体にいってその内心は惑乱わくらんの極みだった。


(な、なん、なんなん――

――なヴッ!?」


 かと思えばいきなり凝縮ぎょうしゅくされ、半ばムリヤリに回帰させられて地面へ叩きつけられる。

 ボロッと蛇がひび割れた体を持ち上げるように頭をもたげて。


「ぁ」


 硬直した。同時にじんと目の奥へこみ上げるものがある。

 光り輝く人の形。まぶしくて眩しくて、内側は直視できないがその小柄で懐かしい輪郭りんかくはたしかに。


「――おや、少し見ないうちに野暮ったくなったかい、エレベア」

「おばあ様っどうして!?」


 陽光があせ次第に凹凸がみえてくる。童女そのものの肉体に腰までかかる蜂蜜はちみつ色の髪。意識を喪ったジダールのかたわらに、裸のイステラーハが立っていた。


「ユディウ殿のつかいだって坊やが鍵をもってきてくれてね。嫁御殿よめごどのはあれでなかなか魔女らしい。過去に縛られないところとかね」


 サファールのご老公は今ごろほぞを噛む思いだろうよ、と。


(あのバカ女、やってくれたわ)


 馬鹿も馬鹿、大馬鹿だが頭に“有益な”がつくバカだ。おかげでまだるっこしい手順を踏まずとも済むようになった。エレベアは震える足で立ち上がる。


「おばあ様、ここは一度身を隠すのが上策と思いますわ」


 拘禁中のイステラーハが現れるという事態に、対岸が騒ぎになっているのが見える。兵を乗せた船が数艘すうそう、こちらへ向けて漕ぎ出したところだった。

 だが。


「身を隠す? さてな、そういうわけにもいくまいよ」

「……?」

「杖流の当主が他流の杖士に倒された。五体満足でおもとをここから出せば面子めんつが立つまい、な?」

「そんっ――」


 なバカな話が、と見返してもイステラーハの目は湖面のように静か。どころか敵意めいた笑みすら浮かべていて。


「塔の上から見させてもらったよ。どうやら妙な流れをれたようじゃないか。婿むこを探せとは言ったがタマなしの爺に引っかかれと言った覚えはないよ」

「それは……! ええ、そうねごめんなさい。でも今はっ!」


 叱責も、叶うなら矯正きょうせいもあとで受ける。だがここでのんびりしていれば千載一遇せんざいいちぐうの好機を逃すことになる。そう訴えているのに。


「ならんな。そうして勝ちはあの男の樹生陰杖流アリスィス・バウとやらかい。お許は杖流に泥をぬるつもりかえ?」


 膨らむ殺気がとまらない。覚悟はしていた。どんな恨み言も受け止めるつもりでいた。何よりまず生きて欲しいと願ったからこそ。でも。


「お、ばあ様は、それほどアタシが許せないの……?」

「ああ反吐へどがでる。それ以上喋らないでおくれ。苦労してみがいた玉が自分からころげてまっぷたつになった徒労がお許に分かるかい?」

「……!」


 その言葉でもう心が割れそうだった。唇をかみしめ立ち続けられたのは皮肉にもイステラーハの殺意のすさまじさゆえ。杖士としての習性が、強敵を前に無防備をさらすことを許してくれない。


「そんな物はいっそ粉々に砕いて砂へ帰してしまったほうがいい。血縁の情などないほうが楽かとお許に目をかけたが、それもここで終わりだよ」

「アタシを殺すのっ?」


 恐怖よりも絶望が、絶望よりも悲嘆が喉をわって溢れ出る。

 そんなエレベアを前に、ついにイステラーハが構えをとった。


「ッう!」


 冗談じゃなく呼吸が一度止まった。肺腑はいふをしめつけるような緊張が場に満ちる。


「杖士の命は砂一粒、そんなことも忘れたのかい」

「……!」


 一瞬、かつて教えを受けた時間が戻ってきた気がした。

 剣呑すぎる死の圧を前に、できるかぎりそれを受け容れようと努める。


(そうよ、殺されてもしょうがないと思ってたじゃない)


 怨念で編まれた復讐の技をあますことなく習得しながら今更なにを、と。

 気当きあてとはつまるところ対手の生存本能へしかける攻撃であれば、生きながら命を捨てた者には効果が薄い。


「さて見間違いかね。べらしの位が下がっている」


 とはいえ完全に執着を断つのは至難しなんだ。どんな達人も人界に身を置く以上欲がある。加えて今のエレベアにはどうしても生きたい理由があった。


「好きな人ができたの」

「ほぅ、そんな下命ばかり律儀りちぎにこなしてお許は」

「おばあ様に言われたからじゃないわ!」


 揶揄やゆする響きについ言い返してしまう。減じそこねた殺気が開けた口から内臓を押し込んでくる。えずきそうになるのをギリギリで堪えた。さすがに死んでも死にきれない。


「シャラっていうの」


 万感の思いで名を口にした。呼ぶのも聞かせるのも最後かもしれないから。


「そうかい、ならその恋人シャラを言いわけにして死ぬといい」

「ッ、こんのクソババア、いくら親でも許さないわよ!」


 キレた。

 気当てへの対処はべらし以外にもうひとつある。相手以上の殺気でもって押し返してしまうことだ。

 エレベアは飛びのいて遠間とおまを駆けるとジダールに弾かれた杖を回収する。

 死ねない、死んでたまるか殺してでもと噛みしめた歯の奥で叫びながら。


 彼我、十三歩。それだけの間合いをとって対峙した。


「……る前にいっこ、文句言いたいんだけど」

「聞こうかね」

「アタシの性格、可愛げがなさすぎ」

「ふはっ!」


 その軽口をもって別れとした。これより先は互いの半生と人生をかけて削り合う修羅のちまた。師弟の情などありはしない。

 ステップを前に踏み、先にトスを投げたのはエレベアだった。

 落下地点は相手正面。そこへ合わせるように踏み込みながらも視線はイステラーハのわずかな動きさえ見逃すまいと皿のように見開かれる。


「――、」

「――」


 短魔杖術クラブ・バウにおけるトスとは卑近にいうならジャンケンでグーを出すぞと宣言する行為によく似ている。いわば勝負を心理戦へと変更する行為であり、それ以前が運否天賦うんぷてんぷだろうと膂力りょりょくの勝負だろうとこの変化についてこられない手合いは漏れなく敗北する。

 つまり二人の注意はいま、エレベアが投げた杖を使うのか使わないのか、その一点に集約されていると言っていい。

 拾うか、跳ね上げるか。回り込むなら左右どちらか。無数の可能性が両者の間を飛び交い吟味ぎんみされ、たがいにただ一つを確信して選び出す。その結果は。


『――И『軽き足――!』


 イステラーハと杖を目前にして背を向けたエレベアが突っ込んだ。胸に抱えた片杖を見せないまま、耳だけで相手の魔法を察知しそこへ乗りかぶせるの先。


 樹生新杖流、“合撃がっしち”破調くずし、“波音なみ返し”


 だがイステラーハもそれを読んでいた。質量差で容易にまくられる四元素ではなく動物変化の魔法を選んだ。

 結果何が起こるかと言えば。


「ニャヴぎッ」


 ×字に切り裂かれる黒白はちわれの背皮。苦悶の鳴き声をあげながらもエレベアは全身猫と化した体をねじりあげ反撃の的を視認する。

 だが、両手を獣爪と化したイステラーハは即座に飛びのいていた。


(――回帰)


 猛追しながらもエレベアは冷静。獣の瞬発力で得た加速を残したまま魔法を迅速に解除する。腕のみのイステラーハの方が戻りは早いがしかし。

 最後の最後まで維持した四足が、イステラーハの目前でかき消える。一度のクロスステップからの270度旋回。


  陰杖流舞足ぶそくまんじけ”破調くずし――

――名付けていわく“虎走とらばしり


 自身の胸と背中から剥がれ落ちた双杖を受けとり組み合わせた。


『――Χ

「っつあ!」


 完全に背後をとられたイステラーハの後ろ髪が燃えあがった。つんのめり前転し、白い煙をふきながら消火するかと思いきやその全身が床を走る野火のびとなる。


『――Χ、燃え盛るもの』


 さながら地底から噴きだすガス穴に火がついたように。炎は火球となって急上昇する。

 仰いだそれが直上の赤日せきじつを背にしていると気付いたときエレベアは寒気を覚えた。


『――太陽ʘ、盲いさする日輪』


 飛びのいた床がなんの前触れもなく焼け落ちた。

 浮き島に穴をあけたその正体は熱線ねっせん。いまだ真実のあやふやな陽光のイメージを、実物の内へ身を置くことで強化した反則技。

 両腕を光らせてイステラーハが着地する。


「さても忌々しいね。よくそこまで癒合ゆごうしたものだ。もはや切り離しは無理だろう」

「覚悟の上よ。もう一度――」


 貴女に会うために、という続きはもはや口にできないと思った。かわりに。


「おばあ様と戦いたかったの。今なら勝てそうな気がして」

「――ハ」


 内心を秘め、尊大にわらう。

 そうあれと戒められたからではない。せめてそれが自身が凌辱りょうじょくした一人の魔杖士への礼儀だと思ったから。


「ハハハハ、アハハハハハハハ――ッ小娘がァ!」


 激高し、凶笑する。そんなイステラーハを前にどうしてこんなにも胸がわきたつのだろうと考えて。


鬼精ジン


 かつてお伽噺とぎばなしの魔人にたとえられた護国の鬼女。その真の姿こそ彼女アレなのだと合点して。


「一手、ご指南お願いいたしますわおばあ様」


 まるで目の前の夜叉を親と信じた子猫のように、あどけなく笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る