21. 御前試合、奇襲

 上覧試合の場は、オアシスの中央へ特設された浮き島だ。

 底なしの泉に薄紙うすがみを広げたように広大な足場が組まれている。オアシスの周囲には王宮の回廊が三階にそびえ、しかしその威容でさえこの戦場からははるか遠く、他の屋根と大差なく一望できた。


「鷹の方位 樹生新杖流ユーピトン・バウ ジダール・マジュフド・イーリス。

 梟の方位 樹生陰杖流アリスィス・バウ エレベア・イーリス。


――双方、国王様に礼を」


 ながながと口上をぶった審判が乗ってきた船上からそう締めくくる。

 エレベアとジダールはともに片膝をつき彼岸ひがんの玉座へと頭を垂れた。もはやここは隔世かくせいの地であり、二人よりほかは存在できない決着の戦場。


「やっと小うるさいのが居なくなったわ」

「……」


 かつてイステラーハがその技を知らしめたという場の空気を、立ち上がったエレベアは存分に吸い込んだ。

 対して、同じく向き合ったジダールは静かにたたずむのみ。


「で、それはどういうつもりかしらお義兄さま?」


 一まつの不気味さをおぼえつつもエレベアは訊ねた。

 ジダールの手にあるのは一振りの中魔杖リム・バウ。樹生新杖流皆伝かいでん天樹精てんじゅしょう位の証たる短魔杖クラブ・バウではなく。


「――どういうつもりとは」

「大魔法に理なし、少なくともアタシはそう習ったけど」


 こと個人戦において短魔杖クラブ中魔杖リムに勝るというのは師イステラーハがはっきりと明言したこと。にもかかわらず中魔杖が杖士の装備として支配的なのはその携帯性と急所を狙わずとも威力が期待できる扱いの容易さゆえだ。

 達人同士の戦いにおいて中魔杖に利はない。エレベアはそう信じてきた。


「言ったはずだ。技は工夫し変化させるもの。先代を越えることもまた当主たる者の務め」

「ふぅん。じゃ、そのハンパな得物えものがアンタの工夫ってわけ」


 怖さは感じない。どんな奇手でこようと身につけた技で即座に応対、無効化するだけ。

 ゆえにこれ以上の探りは無意味。あとは互いの手足で証明するほかないと杖を構えて――。


「――あ、そうだ。お義姉さまから言付ことづかってるわよ」

「ユディウが?」


 同じく持ち上げた杖をおろしたジダールに先刻の伝言を告げる。

 聞き終えてジダールは――エレベアはぎょっとする―—噴き出した。


「フフフッ、そうか。俺はあれに仕合のひとつも見せたことがなかったか」


 肩を揺らし、なんとも、と。ひとしきり笑ったあと峻厳しゅんげんな顔つきを取り戻すと、構え。


「まずはくらいをみてやろう。小手調べだ、来い」

「……へぇ」


 上段から見下ろす誘いにエレベアは乗った。むろん小手調べで終わらすつもりなどない。


「これでおしまいよ」


 杖を二本とも投擲トスする。左右へ。踏み込みと同時にどちらかで仕掛けるとみせかけて、実際拾うのは微妙な回転で跳ねさせたリバウンド後。

 相手の横から真後ろを一気に半周回して振り切る奇歩。シャラの踊りから見いだしエレベアが名付けていわく、


 陰杖流舞足ぶそく“四の歩み”あらため“まんじけ”


 老翁ライハーンをも出し抜いた高速軌道でジダールの背後を確かにとった。


(とったハズ、なのに……!?)


 目の前にジダールの杖先があった。

 まるでエレベアがそこへ突っ込むのがわかっていたようにしなりながら振り上げられる杖。とっさに魔法を使わず顔をかばう。


『――よ』


 新杖流、水月すいげつ

 打突に備えたエレベアをあざ笑うようにジダールの両腕が水牢すいろうと化した。エレベアの頭部を総包そうづつみにし、穴という穴へ侵入しようとする。

 ツンとした鼓膜こまくの痛みに恐怖し、口鼻を押さえた口腔を思いきりふくらませながら飛びのいた。一方の手で胴の体脈へ杖を交差する。


(――炎――!!)


 強く強く無詠唱で念じる。エレベアの全身がおぼろな火炎と化した。


「悪あがきを!」


 容赦ない水威が半端な魔炎を消し去っていく。全身が蚕食さんしょくされる感覚に歯を食いしばるも、こちらの炎は水を蒸発させることすら満足にできていない。

 上昇する熱気にのって無理矢理に離脱し、上空で回帰した。全裸で地面に叩きつけられ、無我夢中で転がって距離を取る。

 近づけば反撃する、そう心から思い込んで凶笑。ジダールが追撃の踏み込みを躊躇ちゅうちょした。


 ――殺されたと思った。


 非才の義兄あに相手にそんな感情を起こすことが意外に過ぎて、さりとて我が身の劣勢を直視しないわけにはいかない。


「げホッ……どこが小手調べよ」


 周到しゅうとうな必殺の罠だった。

 あの応対は初見では不可能なものだ。であれば。


「お義姉さまに虚報をもたせたわね? ハイサムを捕まえたなんて形だけでしょう。何も知らないフリして本当はキッチリ対策済みってわけ?」


 ならば合点がてんが行く。ハイサムが全て白状したのは真実で、だがジダールはそれを逆手にとった。挑発し無防備をよそおって、エレベアの初手をしぼりこんだ。


「だとしたら何だ」

「卑怯者……!」


 意味のない罵倒だとわかっている。真剣勝負で裏をかかれる方が悪いのだ。が、言わずにはいられなかった。


「お前からそんな言葉を聞くとは。薄汚うすよごれた野良猫が人並みの誇りをもったらしい」


 ジダールの身ごなしに油断はみえない。こうして会話につきあうのは彼自身も腕にわずかな欠損を負ったがゆえか。それとも瞳に沈んだ喜色の気配と関係するのか。


「昨日のことのようだ。年端もいかぬ子供と比べられ、実の母にお前は期待外れだったと告げられたのが」

「おばあ様がそんなこと言うはずないわ」


 少しでも話を引き延ばそうとしながら突破口をさぐる。あの中魔杖リムが最初のカウンターでの火力だけを見込んでのものなら攻略は可能だ。

 ジダールは鼻で笑う。


「あの女の全てを知ったつもりか。あれは魔杖の鬼だ。ひたすらに技を鍛えそれをのこすことだけに血道をあげる、な」

「それはアンタの劣等感コンプレックスでしょう!?」

『――Χ!』


 ジダールが伸ばしたうでしに吼えた。

 感覚の甘い体をひきずるとエレベアはかわしざま間合いへもぐり込もうとする。だが。


「ほう、存外まだ動けるらしいな」

「――な、アンタ、それ」


 ジダールはこちらを見据えていた。

 足から胸ほどの長さの中魔杖リム・バウ。半ばまでが炎の魔法へ変化した残りの


「これが俺の工夫だ。お前をくだしあの女をも凌駕りょうがする」


 連節杖れんせつじょう。理屈にすれば単純だった。一本の中魔杖を二つに分け、改めて切断面をいでいる。


短魔杖クラブの利は杖での打突を捨てて得た応変おうへん力にある。連接杖ならばその利を保ちながらの白兵戦が可能だ」


 まるで南方の組木細工くみきざいくのごとき複雑な断面は、持ち方によってしなり、折れ、分割と接合強度を変化させるものだろう。

 炎より回帰した半杖は握りを変えた手の内により即座に元の中魔杖へと戻る。

 生半なまなかな試行錯誤と修練によるものでないのは明らかだった。


「どうりで、簡単に代わりの杖をよこすわけだわ。あの時にはもう必要なかったってわけ」


 手にした元ジダールの短魔杖をもてあそぶ。今思えばあれは彼なりの古い常識への返報へんぽうのつもりだったのかもしれない。


短魔杖術クラブ・バウは小兵が大兵を制するための理だ。母やお前には適するだろうが俺の結論は違う」


 まるで一本の杖と変わりなく軽くそれを振りまわしてジダールは片脇へはさむように構えた。


「来い。お前もあの女も、まとめて否定してやる。俺はこの日を待っていた」

「アンタ……どっちの味方よ」


 ――堅い。エレベアはその隙のなさに瞠目どうもくした。

 横溢おういつする気の圧力はさながら、ただひとりの孤空を往くようで。


「俺は俺の価値をあかすためだけに戦う。魔杖士とは本来そういう生き物だろう」


 ギリ、と唇を嚙みしめた。こんな、こんな男に養母の面影を見るなんて、と。

 そして自分もまた彼の在り様を否定できない。


「……ならどっちが勝っても道統はおしまいね。軽んじれば排除する、だったかしら。エラそうに言ったってアンタも邪道じゃどうじゃない」


 自らの罪悪感をそそぐようにあげつらった。例え内から生まれた工夫であれ、ジダールの杖法はイステラーハの唱えたそれから乖離かいりしている。ならば別流を名乗るべきであり、こうして杖流の名を背負って公然と戦うことすらおこがましいと。


巫山戯ふざけるな」


 だが斜に睨み据えるいわおの表情は揺るぎもしない。


「他流にてられて自信を失っただけの未熟者が。俺の根幹こんかん樹生新杖流ユーピトン・バウただひとつにして師はイステラーハ・イーリスをおいて他になし。連綿と受け継がれてきた道統の、これが新たな一枝ひとえだでなく何だという」

「そんな――そんな理屈!」


 通るものか、と叫びたかった。他の何をも取り入れたことがないから正統だなどと。

 通るはずがないと耳を塞ぎ、化けの皮をはがしてやろうと吶喊とっかんする。


「ッやあ!」


 身体のしびれはいくらかマシになっていた。投擲は一本、敵の間合いの右内へ落ちる放物線。

 矢のような踏み込みから低く低く左へ踏み込み、さらに軸足を押し込んで急旋回する。並みの杖士であればまず捉えられない左右への変転。

 陰杖流ねんきょく矢歩しほ


「破!」


 投げた杖がエレベアのかざした腕へ渡る直前、ジダールの振り出した杖先がそれを打ち払った。

 先んじてエレベアは残りの一本を曲げた片肘かたひじへと小転トワルさせている。


『――!』


 杖の切り替えしよりも早く挟み込まれる二つ目のやじり。だが。


『――よ』


 杖を振った勢いのままジダールは上体をひねっていた。連接杖がふたつに折れ、右手にあったそれが左腕へ受け渡される。横回転の推力で上腕に張り付いたまま、それはエレベアの上空へと戻ってきた。


かわされ……っ!)


 新杖流の初歩にして基本。中魔杖を両手のみで操り身の回りに自在に沿わせるそれは、短魔杖の小転トワルに対して大転ロールと呼ばれる手技。


「っつおおッ!」


 腋下の急所をえぐるつもりで打ち出した風のきりは向けられた肩甲骨けんこうこつの上を浅く切り裂いただけ。

 ――鉄鎚てっついのごとき風塊が降ってきた。


「ッチィ!」


 地面へ張り付くように頭を逃す。代償だいしょうに脇腹から背中へかけてが床と風鎚との板挟みにあった。肋骨ろっこつきしむ感覚。


「ひゅ――、むぐ!」


 肺気でむりやり外圧へ拮抗きっこうしながらはじけ飛んだ。

 かつて道場で仕合ったときとは別人のようだった。中魔杖による打突と威力の高い魔法がかつて鈍重なまとでしかなかった巨躯を無視できなくしている。

 何より、どこまでも杖を体脈ナディへ沿わせて離さない体さばきは確かにイステラーハの杖風を彷彿ほうふつとさせて。


(強い――!)


 こちらの手の内が割れているというだけではない。

 至高とあおいだことわりにみずから背を向けたという自負が、いわば背水はいすいの鋭さとなって技の内にあふれているようだった。


「技や得物えものなど、表面上だけのもの。杖流の真髄しんずいとはそんなところにあらわれるのではない」

「だったら」


 何に、と暗に問いかける。口にするのも、それを投げたと察されることさえ業腹ごうはらだがせずにはいられなかった。

 身構えか、体捌たいさばきかはたまた、精神こころの奥底か。


 ――遊ぶように


 ふと、最後の戒めがよみがえった。


 ――屋台へ飛び込んだ子猫のごとく振る舞うのがいい

 ――子猫は店主の目を気にしないし、倒れ掛かる瓶にかかずらうこともない


 そういうある種場当ばあたり的な稚気にこそ短魔杖は応えると。

 であれば確かに、目前の険しい顔をした男がそれを捨てたのは果断といえたのかもしれない。


 ――あれは真面目過ぎてね


 そう苦笑したあのとき既にイステラーハは息子が自分とは違うことを察していたのか。


「つまり世界をどうるかということだ。仮に母ならば、折り取った小枝こえだひとつ持たせたとて十二分に新杖流の妙味をあらわすだろう」


 ジダールは今度こそ口を閉ざした。もう語ることはひとつとしてないと粛々と間合いを詰めてくる。

 こちらの手にあるのは短魔杖の片方だけ。


(――おばあさま)


 内よりこぼれた声。救いを乞うでもなく啓示けいじを祈るでもない。ただ自分の原風景を手繰たぐり寄せるために投げたか細い糸。


 ――ほう、これは。せ犬がたかのヒナをくわえてきたよ


 あのとき、自分を見出したイステラーハはまず何をした?

 記憶にあるのは大きく幼い黄金色の瞳。であれば相手もまたエレベアの目をのぞいていたのではなかったか。


(せかいを、どう、みるか)


 それはまばたきほどの瞑想だった。深く記憶へ沈み込んだ意識が、問題を解決しないまでもひとつの疑問を具体化する。

 すなわち、同じ状況でイステラーハならばどうするか、という。


「――」


 意図せず身にまわせた技を、じれて折れかけた心を、一切合切いっさいがっさいかきあつめてかつて憧れた魔の武神へとブン投げる。

 ともすれば現実逃避でしかないその行為はしかし、すくなくともこの場では劇的な効果をあらわした。


「なんだ、こんなこと」


 吊り上がった口唇からこぼれた言葉は誰のものだったろう。

 エレベアが、かつて見たが杖をトスする。片杖しかなくともその挙動は初めに見せて破られた陰杖流“卍抜け”そのもの。


弛破シアッ!」


 容赦なくジダールの杖が投げられたそれを打ち払った。

 明らかな劣勢。

 半身はんみ入り身の利点はあくまで投げた杖と手元に残した杖、どちらが攻撃の起点となるのか読ませないことにある。二本投げはあくまで奇襲で、そのうち片方が落ちているとなれば残るのは無策に投げ出された杖と無防備な身体だけ。


『――よ!』


 ジダールが両手剣の突きのごとくたわめた腕を突き込んでくる。

 根元から水槍と化しはじめる連接杖。だがしかしその先半分が変化するより早く。


『――


 胸を貫くそれを半身でかわしたエレベアは唱えていた。ジダールの杖の先端を両腕と胸で挟み込んで。

 とぷん、とその全身が巨大な水滴と化す。


「な……ん!?」


 無数に炸裂する針飛沫はりしぶきのごとき水槍を後押しに利用して、エレベアは自身を広くのばした。ジダールを抱擁するかのごとく。


 ――あのとき、父親は魔杖を盗もうとしたのだ。そしてそれは一度成功した。

 追っ手へむけ父は見よう見まねの魔法を放とうとしてそして――。


「――無杖取むじょうどり、とは」


 思いもしなかった、という表情でジダールが見上げてくる。

 大魔女イステラーハがその半生において幾度かあらわした身ごなしの絶技。それとて相手はいずれも実力差のひらいた賊徒ぞくとを対手としてのもの。

 間違ってもこんな土壇場どたんばで使うものではない。それゆえに不意打ちになりえるとエレベアは閃き、裏を返せばそれはもうまったく後がない背水の陣を意味していた。


(ここで殺しきらないと)


 体力も気力も、こちらが二倍三倍と消耗している。この奇襲で戦闘不能にしなければ勝ち目が消えるばかりか自分が危ない。この隙にもジダールは水獄すいごくから脱する策を張り巡らせつつあるはずだった。

 一切の抵抗を封じるように上体すべてを呑みこもうと総身を震わせた瞬間。


「ジダーーーーーールーーーー!!!!!」


 対岸から響き渡る絶叫。

 未練と後悔に塗れたそれを耳にしてもエレベアは止まらない。気の毒に思う気持ちはあるものの基本的にはユディウの自業自得。余裕がないいま他人の心配までしていられない。ケタケタと老翁の哄笑がそこへ混じった。

 それでも。立場が逆なら悲鳴はユディウでなくシャラだったかもとふと心にかかって。


『――太陽ʘ


 瞬間。オアシスを見下ろす石塔の頂上から。

 あまねく焼き尽くす白光が戦場へと降り注いだ――。

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