2021/05/10 

お題:【スポーツ】をテーマにした小説を1時間で完成させる。


 刑務所で取る昼食の後は自由時間が待っている。


 俺はいつものようにゆっくりと腰を据え、睡魔に襲われるまで本を開くつもりだったが、今日は少しだけ騒がしい。


 刑務所のオープンスペースには半分だけのバスケットコートがあり、ボールを追う囚人同居人らの姿があった。身体ボディの十数分の一ほどの小さいボールを追って、狭いコートを駆け回る姿はなんとも滑稽だった。


「お前さんもどうだい?」


 プレイヤーの一人が壁の向こうでこれ見よがしに読書をしていると思われた俺に声を掛けてくる。


「晴耕雨読ってほどじゃないが、悪くない天気だぜ」


「天気だって?」俺は本を閉じて男の顔を窺うが暗がりでよく見えない。


「なんだよ。太陽が眩しくなきゃ、ボール一つ追えないのか?」


「…………」


 カミュの『異邦人』を真似た挑発に乗る気は毛頭ない。


 スポーツで日頃の欲求不満を解消するというのは、一般的な防衛機制であるところの〈昇華〉であるのは分かる。古代ギリシアが戦争の代わりと言わんばかりに古代オリュンピアを開いたことからも自明だ。

 が、俺にはいまひとつ単純な球体の力学的運動の楽しみ方が分からない。さりとて、そのまんま宣うのでは、あまりにもヨーロッパ的な因縁の付け方でいかがとも思う。

 第一、俺はギリシア人でもなければヨーロピアンでもない。

 

 それに……、


「そもそもがだな、俺たちゃ、みんなじゃないか」


 俺がそう言うと男は肩を竦めて見せる。いや、肩のように見えるのは3Dグラフィクスの画像に過ぎない。

 肉体を捨てて、電脳犯罪をはたらき捕まった俺たちは外界から隔離された刑務所空間に収監されているのだ。

 もう生身の身体の感覚も何年もない。俺にはスポーツの概念すら希薄になっていたし、アク●リアスもスポーツドリンクではなくただのジュースに見えていた。


「これが本当のイー・スポーツってか?」


「うるさいよ」


 おちゃらける男も退屈を紛らわせたいだけなのはよく分かっている。


「ボールが動くだけの運動の何が悪いって言うんだよ?」


「ボールも、そのボールを追うお前の身体の動きも、単純な力学の演算で導かれる以上、この電脳空間じゃ処理能力が物を言うって言ってるんだよ!」


 遠巻きに、口もないのによく喋るなぁ、と聞こえてくる。


 俺は電子書籍を置くと、処理の重い腰を上げた。


「なんだよ。やる気じゃん」


 俺は、指のようなCGを視界の自分自身に向ける。


「使わないと、鈍っちまうからな」

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精神修養 ㋑CH4 @marui_metan

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