2021/01/15 輪をかけて

お題:【列車】をテーマにした小説を1時間で完成させる。


 観光客で賑わう休日の駅から先生と環状線に乗ったのは今週末に開かれる会議のための出張だった。というのは建前で、先生はともかくとして私がついていくのはただの観光だったりする。もしかして大学の経費で落ちるかもと淡い期待を胸に抱いていた。

 混雑する一般客室を避けて、コンパートメント席を予約していた。

「荷物が多いね」

 先生が持ってきたのはトートバッグが一つだけ。対して私は大型のキャリーケースを持ち込んでいた。

 私が進行方向に対して前向き、先生は後ろ向きに座った。

「久し振りに電車に乗ったよ」と先生が窓を開けている。

 煙草を吸おうとしているな、と思った。

 三人が座れる席が向き合った室内には私と先生の二人しかいない。

 かなりの贅沢といえるだろう。

 車窓から見える町中の景色は綺麗なものではない。基本的に線路側に背を向けて立っている建築物が多いからだ。

 しばらく乗ったあとに、列車を乗り換えて会議が開かれる田舎の都市へ向かう。

 先生は火の点いた煙草を咥えたまま車窓を眺めていた。私は横顔を見つめていた。

「ミドガルドシュランゲって、知ってる?」その横顔の口が開いた。

「ミドガルド……、なんです?」

「ミドガルドシュランゲ」

 私はカタカナを頭の中に並べる。ドイツ語っぽい、と思った。

「ミシュランなら分かります」

「多分知らないと思って訊いた」煙草を左手に持ってこちらを向いた。「ヨルムンガンドとも呼ばれている。北欧神話に登場する蛇だ。自分の尾を咥えられるほどに大きい。それに肖って名付けられたドイツの戦車があってね、車輛が27輛も連なっている。頭にはドリルが付いていて地中だろうがお構いなしに進むことができるそうだ」

 未完成だけどね、と付け加えた。

「へぇ……」

「尾を咥える蛇という概念は他にもあって、有名なウロボロスだろう。名前がそのまま〈尾を飲み込む〉を意味している。化学者ばけがくしゃのアウグストは、尾を噛んだ蛇を夢に見てベンゼン環を発想したらしい。またヒンドゥー教では、世界は大きな象と亀によって支えられているけどその周りはさらに尾を噛んだ竜が取り巻いているんだよね」

 捲し立てるよう並べられる先生の話に私のインプットが限界だった。

「それが、どういう……?」

「ちょうど、今乗っている路線も環状線なんだよな」

 煙を一杯に吸い込んで、窓に向かって吐いている。

「君は気付いていないかもしれないけど、この列車はずっと同じところを走っている」

「え?」

 私は先生が何を言っているのか分からなかった。

 それはそうだろう、これは環状線なのだから。

「環状線だから同じところを走るのは当然なんだけど、一回も停車していない。その様子だと、既に何周も回っているのに気づいていないね」

 先生は新しい煙草に火を点けた。

 いつの間にか、窓枠には山盛りになった煙草の吸殻が置いてあった。

「これは一種の認識阻害のまじないだ。誰かがこの列車に乗っている人を降ろしたくないのかもね。蛇には死と再生のモチーフがあるから、環状線みたいなループとは相性がいいんだろう。時計を見てご覧」

 私は思わず左手の腕時計を見ると、文字盤は私たちが乗り込んで三時間ほど経過していることを示していた。

「どういうこと……?」背中に嫌な汗が流れているのが分かった。

「大丈夫。手は打ってる。蛇は煙草の臭いが苦手なんだ。もうすぐどこかの駅に停まるさ。無駄に何箱も吸う羽目になっちゃったけどね」


 先生の言う通り、しばらくすると列車は駅に停車した。他の客は何事もなかったかのように降りていった。

「会議が明日でよかった。あと、どこかで煙草を買いたいな」


(未完)

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