2021/01/16 面影

 刑務所から出て初めてできた彼氏とは、六ヶ月の付き合いだった。

 収監中に猟犬としての適性を見出されて、短期で出所した私は刑事になった。とは言っても、私がそのお役目を果たせなくなった際には、あの冷たい監獄に送り返される準備だけはされていた。つまり首輪もリードも付いた飼い犬というわけだ。


 非番の夜、私の足は失踪した元彼の部屋を向いていた。年中雪の降る街は暑がりの私でも外套なしでは歩けないほどに冷たい。

 彼が失踪してもう三ヶ月ばかりになる。なんの音沙汰もなく、忽然と姿を消したことから、私は「もう、終わったのか」と思った。それでもふとした瞬間には、誰もいない彼の部屋へと向かい男の記憶を引き留めていた。

 民営の集合住宅は不景気の影響で正規の入居者はほとんどおらず、廃墟も同然と化した。荒れ放題の、照明のない部屋には気兼ねなく土足のまま入り込んだ。

 金目の物はほぼによってかっぱらいに遭い、残されたのは瓦礫の山と割れた窓硝子のみである。

 破られた窓から入り込んでくる夜風が私を冷静にさせる。

 床中に散らばる窓硝子の破片が、電気の止められた天井の照明器具に月光を映している。その円形の白いフォルムの中に、小さな影を見つけた。

(………………?)

 瓦礫の破片を拾い上げ、照明のカバーに向かって投げ付ける。

 小さなは影は照明器具の中で跳ね上がり、一瞬姿を消すと空いた穴からストンと床に落ちてきた。

 硬貨ほどの大きさのそれはシルエット・ベースと呼ばれる機械だった。


 個人主義が加速し、飲酒を含む会合が消滅した現代において、居室で独り酒を楽しむというのは富裕層にはよくある習慣の一つだ。そこに目を付けた企業が開発したのが、シルエットAIと呼ばれるホログラムの投影装置だ。

 硬貨より少し大きい程度のベースからホログラムを投影し、搭載された人工知能と会話ができるという道具である。ホログラムや人工知能は個人でカスタマイズが可能で、独り暮らしをする富裕層を中心に広く普及していったのである。

 言うなれば、セルフキャバクラだ。


「へぇ、第四世代型か。YP、どこでこんなの見つけたの?」

 仔犬パピーの質問を無視して私は煙草に火を付けた。

 シルエット・べースを拾った私は、匿っているエンジニアのパピーに連絡を取り、彼女のアジトに転がり込んでいた。

 パピーは私に膨大にして余りある借りがあるため、私の言うことには逆らえない。

「始めて」紫煙を吐きながら言った。

 パピーが操作する端末は壁際に置かれたシルエット・ベースに繋がれている。

 元彼が置いていったシルエットAIを解析することで、足取りが追える可能性があると踏んでいた。

 だが、会ってどうしようというのか?

「第四世代型はまだ新しいから、セキュリティが固いんだよね」

「口より手を動かしな」

「へ-い…………、できた」

 余裕そうに端末を操作するパピーの手が止まると、シルエット・ベースの電源が入り、上向きに蒼白い光が放たれ、円筒の形を作る。

 試験管みたいで悪趣味だな、と思った。

 ホログラムの投影が開始されて、瞬く間に人型が現れた。

 濃紺の長髪と碧眼を持つ、白っぽいワンピースを着た少女の姿。

《シルエット・第四世代フォウア起動完了しました。加籠かご夫人、ご用を承ります》

 手に持っていた煙草の灰が落ちた。

 彼に似ている、と思った。

「プライバシーの点から、普通は登録者からしか起動を受け付けないんだけど」パピーが一仕事終えたとばかりに手を伸ばしている。「データベースをクラックして、YPを元の登録者の伴侶として登録したんだ。上手いもんでしょ」

 私のことを〈加籠夫人〉と呼んだのはそういうことか。

 煙草を足下で揉み消して、私は投影されたシルエットを見る。

「貴女のことはなんて呼べばいい?」

《はい。登録者・加籠圭嗣かごけいじからは、特定の名前の預かっておりませんので、〈フォウア〉とお呼びください》

 ホログラムの少女は召使いのように流暢に喋る。

「音声はデフォルトだけど、容姿はかなりカスタマイズされてるね」

「フォウア、加籠圭嗣の居場所を知っている?」

 そう尋ねると、首を横に振って否定する。機械的に返事をしないのは、人工知能が学習しているのだろう。

「貴女の姿は、誰がカスタマイズしたの?」

加籠圭嗣マスターです。彼が提出した写真を元に構成されています》

「写真って?」

《彼の妹です。写真は五歳の時のものでしたので、現在まで生きていればという仮定のもとで生成しました》

 酒飲みの相手に自分の妹の姿をさせる。私という存在がありながら。

(シスコンだったのか……?)

 少しだけ血圧が上がったが、元彼の幼稚な面が見られたのでよしとしよう。

《加籠夫人、他にご用件はありますか?》

「その、〈加籠夫人〉って呼び方やめて」

《なんとお呼びすればいいでしょうか》

「YP」

《ワイ・ピー……、YP……、降伏点でしょうか?》

「違う。黄燐の方のYP」

《Yellow Phosphorus …………、畏まりました。

 フォウアが私の本名を呼んだので、パピーの方を見た。パピーも目を丸くしている。

「ネットに繋がってるの? なんで早く言わない」パピーに尋ねた。

「そんな危険なことするわけないじゃん」パピーは腕を組んだ。「これは彼女の学習領域に入っている知識だろう」

《左様です》

 ホログラムの女はそう言って笑みを浮かべて続けた。

《間宮燐様、マスターからの言伝を預かっております》

 それが私とシルエット・フォウアとの出会いだった。



お題:【ヒロインとの遭遇】をテーマにした小説を1時間で完成させる。

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