2021/01/13 変数グザイは何か

お題:【おにぎり!】をテーマにした小説を1時間で完成させる。



「何喰いたい?」

 台所で夕飯の支度を考え、背中越しに居間の方へと問いかけた。

 居間の方は、私の問いが虚空の濃さに飲み込まれてしまったように静かであった。

 しばらく黙々と手だけ動かして聞き耳を立てていると、

「おにぎり!」

 と機嫌の悪そうな声の返事があった。


 我が息子ながら臍曲がりなものだ、と思った。

 これから私が作っているのは夕飯だ。台所で支度をして、同じ空間内のテーブルで振る舞う食事に過ぎない。戦闘糧食でもなければ、それはピクニックの弁当でもない。茶碗に盛って出すだけの白ご飯に数工程を加えて、片手間に食べられる物を欲してくる。TPOを弁えた方がいいのではないか、と思考にべったりと粘性の高い意思を塗りつける。

 間違いなく、同じテーブルに着きたくないという意思の表明であった。

 頭ではそう考えながら、身体は冷蔵庫をおにぎりの中に入れる具材を探す。基本的に自分が指示を待っている人間なのだと自覚する一方で、単調な作業を身体は欲しているというシンプルな行動だった。

 反抗期の息子は、帰宅するなり居間に籠もって姿を見せない。大方ソファを一人占拠して堕落した姿を晒しているに違いない。鞄に入った弁当や体操服はそのままにして、飯を待つばかりの阿呆の姿に、自分の父の姿を重ねていた。

 子供時代の私が、母とキッチンで食事の準備をしていると、仕事から帰ってきた父は何も言わずに風呂に入り、パンツ一丁でキッチンに現れビール片手に居間に消えていく。

 息子もそういった大人になるのでは、と密かに不安に思った。

 そうこうしている内に完成した握り飯は、直径100ミリメートル級の球体であった。思考が虚脱してしまった身体が生み出すものもまた身体同様に思考の表現型、とある生物学者の言葉を真似てみたが想定外に力を込めて握られた握り飯は見かけ通りの砲丸のように重い。

 具材には何を使ったか、私の頭は既に忘却の彼方にあった。


「うわ、なんだよこれ、砲丸?」

 皿に乗せた握り飯を見た息子が姿を現したのはそれから十分後。

 予想外にも彼は食事のテーブルに着いた。

 私は何も言わずに味噌汁を啜る。悶々としながら作ったにしては、今日の味噌汁の出来は高水準だった。

 息子は目の前の白飯の怪物と臨戦態勢に入っている。

 球のどこまでが白米で、どこからが具材なのか、あの握り飯と格闘する上ではそれがキーになるだろう。塩を全体にまぶしているため、一口二口と白飯ばかりの層を囓っても、疲労をしている息子が欲している栄養を的確に与え食欲を減衰させない私なりの最低限の配慮が働いていた。

 しかし、肝心の具材に関しては、他ならぬこの私でも判然としない。

 シャケか、梅干しか、それともおかかか。あるいは中の具材をさらに米で覆ったミルフィーユとなっているのか。


 格闘を続けている息子が唐突に口を開いた。

「今日はごめん」

 虚を衝かれた私は思わず箸の動作を止めてしまう。

「あんまり愛想良くないからさ、俺。つい顔を合わせると意地を張っちゃう。……やんなっちゃうな、子供っぽくて」

 気恥ずかしそうに言う息子は、笑って見せるともう一言付け加えた。

「俺、この父ちゃんのおにぎり好きだよ」

 紅潮した顔を隠すように握り飯に食いつく。

 すると、穏やかな時間が流れていた食卓に硬質な音が鳴った。

「いてッ!」

 息子が握り飯から顔を離すと、怪訝そうな視線をこちらに向ける。

 握り飯に指を突っ込み、危うく誤飲しそうになったそれを摘まむ。

「これ、何?」

 それは鍵だった。

 どうやら私は鍵を握ってしまったらしい。

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