六年目 人の音色は化生を鎮める

「ほう、……これは、ううむ……、ほほう」


 何やら感心しながら、化生が蔵の中を漁っている。深い塗箱に収納された何かに興味を持ったらしく手を伸ばしているが、前傾に体重を任せるようにして箱に頭を突き入れる様子は、体格相応に子供らしい愛らしさがある……だが、我々は知っている。彼女が唯の童女ではない事を。幾百幾千の時を経た、人にあらざる化生であるという事を。


「……ぃよい、せ、っと」


 その化生が、蔵の中で、埃に塗れ、妙な可笑しさを顕しながら箱の中に半身を収めてしまっている……いや、今その中身を取り出した。


「ほう、三味線かの、これは……懐かしいのう……」

「ご経験がおありで?」


「ああ……、何代前じゃったか、お前の先祖にな、それはもう素晴らしい三味線巧者がおったものよ。あれはなんという名前じゃったかのう……」


 むむむ、と渋い顔をして化生は顔を顰める。皺を寄せて記憶の底を浚うその顔は些か滑稽な造形つくりではあるが、奇妙な愛嬌がある。


 今日は折角の休日ではあるが、蔵の中身を整理しようと2人で示し合わせていた。なんせ彼がこの家を継いでから、ほんの1、2度開かれた程度だ。戦々恐々としつつも、開いて見やればがらくたばかりで大した事はない。埃に塗れたあれやこれやが詰め込まれているばかりだ。


 万一に備えた彼の準備は無駄になってしまったが、はたきに雑巾、棕櫚しゅろや箒やらの出番だけは順当にあるようだ。そうして、そんな魔境探索の途中で、楽器を見つけたのである。


「これで8つ目ですか……、歴代の方は本当に多種多様なものを用いていたのですね……」


「そりゃあそうじゃろうて」


 ひとりごちるように彼が呟くと、当然じゃろう、と化生は返した。


「お前達の一族は、己の力で呪いをする、というよりも、神仏化生に諸々を奉納する家系じゃからのう……。始まりの部分は巫覡ふげきよ、笛やら舞やら、芸の才は巧みなれど、どうにも武には疎かったからの」


 だからこそ最初の儂が興味を持ったのだがな、と言葉を続ける。


「そうですね……お陰で策謀やら御家騒動やらと、見事衰退してしまったのですけれど……。それと、私の一族、ではありませんよ。私達の、ね」

「はン、今代の小僧は口先の手管ばかり鍛えておるのぅ」


 憎まれ口を叩きながら、呵呵、と嬉しそうに化生が笑う。少女はそのまま三味線を取り上げると、彼に手渡す。


「どれ、1つ奏でてみせるがよい。舌から生まれた一代男でない事、儂に見せて御覧よ」


 人の子は、ええッと驚いた顔で慌てふためくが、少女はその有り様をよっぽどおかしそうな顔で見つめながら、優しく肘の辺りに触れる。


「なに、曲がりなりにも一族の末じゃろ。2、3手触ればすぐ分かるじゃろうて……、ほれ、折角直してやったんじゃから弾いてみせい」


 男が見やると、蔵中の楽器達が蘇っていた。小鼓の骨組みには凛とした革が貼られ、罅の入った龍笛や能管は傷が埋められ、つやつやと輝いている。

 そして三味線は弦が貼り直され、ばちに至るまで見事に磨き上げられたかのような光沢を放っている。


「ああっ、使いましたねっ。いけませんよ、こんな時ばかり……」


「阿呆、己の楽しみにこそ使わんでどうする。儂は享楽主義ではないがの、けれど、楽とは良いものなのじゃよ」


 分かりましたよ、もう、と半ば呆れながら男は三味線を抱え直す。練習どころか触れたこともない楽器だ。ぺいん、べぴぃんと調子外れな音を何度か出した後、一度ゆっくりと眼を瞑り、そして開いた頃にはもうその楽器は、彼のものになっていた。


 流暢な演奏が彼の手から紡がれる。それが奏者にとって初めて触れた楽器に寄るものであると、誰が分かるだろうか。


 合間合間の静寂をこそ音として掻き鳴らす和楽器の持つ独特の響きは、記憶にない郷愁を彼の脳裏に幻視させる。長閑なる山間の集落に、段々畑の水田群が広がっている。農家の民草が連れ立って、灰色の泥に塗れながら苗を植え付けている様子。

 覚えのない感傷を惹起されるのは、日本人の血の中にそれが刻まれているからだろう……。


 ともあれ、彼の紡ぐ旋律は叙情的に奏でられる。時に楽器を変えつつ、寂しくはないが叙情的に、五月蝿くはないが心を揺さぶる調べを化生の耳へと引き寄せる。


 彼女はうっとりとしながらも、何処からか取り出した琴を並べて爪弾き始める。2人だけの時間で彼らは旋律を重ねる。時に調子を外し、打ち損ないが不協和を奏でつつも、直ぐに又一つになり、唯唯穏やかに響き合う。


 共鳴する音の調べは次第に静かになり、それでも決して寄り添うことを止めはしない。人と化生の重ね合う音調べは、西日が彼らの眼を眩ませるまで続いた。

 


***



「……しまった、もう夕方ですよ。早く片付けて、夕食の用意をしなければ」


「おおう、早きものは時の経つことじゃのう……。よかろ、夕餉の仕度は任せぃ、片付けは頼むでの」


 油断したなぁと狼狽える人の子を尻目に、化生は呵呵として喜色を見せつつひらりと立ち上がる。


「一寸お待ちを、盛大にあれこれ楽器を引き出したのは貴方でしょう。人力で戻すとなると大変なんですよ、もう」


 人の子は狼狽して異議申立てるが、化生の方は堪えた様子がない。


「ああ、すまんが調子に乗って使い過ぎたようでのう、今日はもう力が出んのじゃ……」

「へえー、それは仕方ないですねえ」

「じゃろう、そうじゃろう?」


 ふふん、とふんぞり返る化生。笑顔を固まらせた人の子は、間合いをおいた後、呆れたように溜息を一つ吐き出す。


「嘘おっしゃいな。遊んだ後は片付ける、子供でも出来ることですよ、全くもう」


「はてさて、童女の儂には分からんことじゃ~」


 少女は歌いあげるように男の追求を交わし、するりと屋内へと逃げてゆく。


「ああ……行ってしまわれた。全く、奔放な方だ」


 引き止める間も無く視界から消えた少女を見送り、改めて蔵の方を見やる。手当たり次第気の向くままに、雑多に取り出された楽器の山を眺めつつ、人の子は嘆息した。

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