五年目 番いの褥

 厳しくも土塀打ち門扉を立てたる、昔気質の屋敷が一つ。松の木を抱える庭は侘びを感じさせつつも柔らかき緑が茂り、当時の宮大工が図を引いたという家屋周りは頑健にして優美。だが、その屋敷の真に凝らされた技とは、昼のうちにお眼にかかれるものではない。


 そう、このような夜にこそ。


 大気澄み渡り、木々がそよ風に乗せて論議を始め、猫が高きに上り、犬が低きに頭を垂れる。人海に身を潜ませた狐狸が尾を伸ばし、人心を弄んだ蜘蛛が潤んだ瞳で爪先を舐めて取る。そんな闇の中にあって、この屋敷は本当にその権能を発揮させるのだ。


――けれども、


 それは今の彼らには関わりのない話だ。そう、関わりのない話だ。


 屋敷の内部は既に灯りが落とされているが、この屋敷の主人達、人と化生の両名は未だ眠りの国へと沈んではいない。


 素肌で触れ合いながら同衾している彼等、化生の方は愛おしげに男の腕を自分のそれで弄びながら、楽しそうに彼に語りかける。


「本当に悪い子じゃのう、おまえは……。ふふふっ。こぉんな幼気な少女を手篭めにして、何もかも吐き出して、それでもまだまだ足りんと強引に求めるなんてのぅ……、儂は教育を間違ったのかもしれんのぅ、よよよ……」


 と笑顔のままで、あからさまな空泣きをしている。男はぬぅ、と小さく唸った後、眉を怒らせて抗弁する。


「……最初は兎も角、2回目以降云々については異議を申し立てます。と、言うより、スイッチが入ってからは私よりも……」


「おや、何か言ったかねぇ……」


 少女のような姿の化生は、飛び切り悪辣な顔で、呵呵と笑いかけてくる。


 彼は思う、この笑顔だ、と。彼女の笑顔が見たかったからこそ、自分は彼女を求めたのだ、と。そうして人の男は、今日もまたその悪党面に為す術もなく敗北するのだ。


「本当に酷い御方、邪智暴虐の愚王の類よ……、けれども安心するがよい。儂はもう、そんなお前から離れられんのだ」


 少女の華奢な指先が、柔柔と男の爪先を撫で上げる。むず痒くも愛おしい感覚に、男は知らず身震いする。


 けれども、と、少女は伏し目がちに言葉を繋ぐ。


「儂はお前さんの得るべきものを、人と人の交わりというものを徒に奪ってやしないかと思うんじゃよ……、本来のお前が手に入れるべき、正常なる交わりを……」


「お気になさるのも分かりますが、それは私が望んだものなのです。……お気になさらずとは申せませんが、それでも許して頂きたいと、そう思うのです」


 彼は迷いなくそう言った。いかに尋常ならざる交わりであっても、それだけは。それだけは彼の通すべき道であり、人と化生の唯一の交差であった。


「ふ、ふ……、そうか、そうか」


 化生は喜哀入り混じった顔で、それでも彼を肯定した。いかに長命のものであっても、彼を否定し切る事は出来ない。何より、彼の愛を受けているものが自身である以上、尚更。


「それに、案外役立つ部分もあるのですよ。病弱な嫁の傍に居てやりたいと言えば、大抵の接待やら酒宴は回避できますので」


「呵呵呵、ま、虚言ではなかろ。見ての通り儂は弱くてちっぽけな生き物じゃからのう……」


 あなたの愛を受けて、それは一層強くなったのだと。そう紡がれそうになった言葉を化生は飲み込んだ。男はそれを知ってか知らずか、呆れ顔で、


「嘘おっしゃい。並の人間より余程上等でしょうに」


 と言葉を返す。


「ははは、か弱い少女をいじめるでないぞ、ははははは」

「少しは取り繕ってくださいよ……。笑いながら言わなくたってよいでしょうに……」

「はは、すまんすまん、おかしゅうてな、はふ、ふふふ」


 人と化生は馬鹿話をしながら互いに身を寄せ合う。


「……悪いのですか?」

「なに、どのみち腐って死ぬのが定命の道よ。遅い早いの違いはあれど、皆……」


 化生は抱き合った男の背中を、儚い掌で強く抱える。


「離さんでくれよ、大切な人よ」

「ええ、決して。……愛していますよ」

「……阿呆」


 男の胸板に顔を隠すようにして押し付ける化生。その頭を、人の子は優しく撫で摩すった。

 戯れにしなければ、そんな馬鹿話にしなかれば、生き物は受け入れられないのだ。老いというものを。死というものを。

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