お題:【百合】をテーマにした小説

 今日も、私は道場を訪れる。いつも通りの時間に、いつも通りの道着で。いつもとは違う黒い百合の花を持って。


「ああ、来たんだね」


 双葉さんはいつも通りひだまりのような柔らかい笑顔を浮かべて私を迎えてくれる。その目が、最初は私の目を見てくれた目が、何かに気付いたように少し視線を下げた。


「ああ、そっか。今日がその日なんだね」


 無言のまま首肯で答え、私は竹刀を取り出して他の荷物はその場に落とした。それで十分伝わったらしく、双葉さんもそこから先は喋ることなく竹刀を取り出して構えた。


 合図はいらない。仕切るわけでもなく、いつも通り道場の真ん中あたりで向かい合う。ルールも特に守っていないしそもそも私は剣道をまともに習ったことが無い。私はただ、剣を振りぬくことだけを教えられた。


 構える。緊張と弛緩がないまぜになった、私にとってのベストコンディション。双葉さんはちゃんとした構えを取ってるのだと思うけど、なにぶんちゃんとした構えというものを知らないのでよくわからない。


 少しずつ、弛緩の割合を強めていく。緊張を保ったまま体を少しずつ、少しずつ柔らかく。力を籠めるべき関節や足の裏への意識は集中して、双葉さんがいつ攻め込んできてもいいように目線も逸らさない。そうして、私の肉体がお昼寝をする時のようなリラックスを手に入れて――


(今!)


 そこから、一気に緊張に持っていく。肉体の全てを一気に爆発させるイメージで駆動させる。踏み込み、振り下ろし、私にとっての最速を頭目掛けて思いっきり振りぬいて、その一太刀は


「ぁあああっ!!!」


 双葉さんの剣によって思いっきり弾かれた。


「……ふぅ」


 双葉さんはため息を一つ。私は、私の持てる最高の一太刀が通じなかったことに寂しさと、同じだけの満足感を覚えていた。


「うん、やっぱさ、習いなよ剣道。花ちゃんはきっといい剣士になれる」


「でも、結局今日まで一回も当てれませんでしたよ」


「そりゃあね?たった一太刀、必ず面が来ると分かっているものを防ぐのはそう難しいことじゃない。それに、普通剣道の試合って言うのはどっちかが一本とかを取るまでやるんだ。一太刀だけで終わらせず、その後も追撃したり胴や小手を狙えば全国優勝だって狙えるさ」


 双葉さんはきっと本心で言ってくれている。だけど、私はそれに興味は持てなかった。


百合ひゃくごう、それだけ打って一太刀も届かなければスパッとやめようって思ってたんですよ。だから、ありがとうございます」


「勿体ないね……私の現役時代は千合でもきかないくらい打ち合ったものだけど……いや、違うか。あまり深く聞くのは無粋、だったかな?」


 無言で頷く。双葉さんにはそれで伝わったらしく、それ以上何も言ってこなかった。私は荷物の中から黒い百合の花を取り上げて、道場の片隅にある花瓶に移し替える。たくさんの白い百合が刺さった花瓶、その中にたった一輪黒い百合を刺す。


「それじゃあ双葉さん、お元気で」


「うん、花ちゃんもね。……気が変わったら、いつでも連絡してちょうだい。今度は殺す剣じゃなく、試合のための剣を教えてあげるから」


 その言葉を聞き届けた後、私は道場を後にした。結局、私の剣では欲しいものを手に入れることなんてできなくて、それは悔しかったけどそれ以上に双葉さんの剣の美しさを証明できた気がして嬉しかった。


――私の剣が、白い百合を引き立てるための黒い百合になれたのなら、それに勝る喜びは無い。


<了>

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