第5話「憎悪」

『遺伝子界の権威――原田隆氏が、デザインズ・ベイビーの研究に成功したと成功したと成功したと発表しました。

 これにより、赤ちゃんの――』


「すごい。これで、優秀な遺伝子を残せるようになるのね」

 

美和は、食事をしている手をとめた。隣に座っている都が、無言でテレビを消す。

 

 美和が不満そうに都を見た。

 

 リビングに静けさだけが漂っている。母親の相田和江は仕事に行っており、この場にいない。

 

 二人だけの朝食にも慣れていた。

 

 父親の相田実も単身赴任のために、海外で働いている。都が初めて実と話した時も、あっけらかんとしていた。美和がいつも都のことを話しているために、受け入れが早かったのだろう。

 

 心の余裕があったのだろう。

 

 都と相田家に血のつながりはない。

 

 実の母親である奈美が隆の部下たちに、目の前で殺され逃げ込んだ公園で、美和と和江に保護された。

 

 その後、相田家に正式に家族として迎え入れられた。

 

 テレビに映っていた隆が、実の父親だということは言っていない。

 

 デザインズ・ベイビーだということも伝えていない。

 

 奈美が隆に殺されたことも話していない。嘘をついて普通の人間として生きていることを、知られたくなかった。


「私たちよりも、賢い人たちがいるのね」

「美和は実験に賛成か?」

「私たちの未来のことだからね」

「僕は反対だ。神様にでもなったつもりか?」

 

 息子を実験台にして、自然の摂理に逆らっている人間が、人間界の頂点に立つなど考えられない。

 

 立ち続けるつもりなんて、それだけは、許さない。

 

 許されない。

 

 自分の命とひきかえになってもいい。

 

 滅びてもいい。

 

 この世界から自分という存在が、消えたっていい。

 

 残る力を振り絞って、隆をとめるつもりでいた。

 

 都の瞳に負の感情が浮かんだ。

 

 生れてきたことを憎み――恨んでいるかのようだった。

 

 その瞳に美和は息をのむ。


 美和が瞬きした瞬間――都のその負の感情は消えていた。何を考えているかわからないいつもの都の瞳に戻っていた。

 

 都は朝食に手をださずに席を立つ。


**********


「調子でも悪いの?」

「――別に」

 

 そういえば、ここにきた時よりも、一回り小さくなった気がする。ここ最近、顔色も悪い日が続いていた。


「自分の身体を知るためにも、病院で検査してもらえば? あなたは身体が弱いでしょう?」

「ご飯を食べなかったぐらいで、騒ぎすぎだ」

「待って、都」

 

 話は終わっていないと美和は呼びとめる。


「まだ、何か?」

 

 問題でもあるのかと、都が迷惑そうにふり返った。

 

 都の拒絶に慣れているとはいえ、やはりへこみそうになる。

 

 心が折れそうになる。

 

 美和はくじけそうになる自分に気合いを入れる。

 

 ここで、折れるわけにはいかない。


(がんばれ、私。くじけるな)

 

 それでも、負けるものかといった美和の表情が、都にも伝わってきた。


「お母さんも心配していたわ。私たちだと頼りにならない?」

 

 美和はまっすぐ都を見つめる。


「一つだけ言えることがある」

 

 都の言葉に美和は期待した。


「――何?」

 

 都の瞳が不機嫌そうに細められる。

「僕はこの手で父親を殺したいぐらい憎んでいる」


(今の家族に手をだすものなら、容赦はしない)


「父親を? 都の本当の家族なのに?」

「家族だから、何? 感謝でもしろと? 敬えとでも? 生まれてきたことを、喜べとでも? 実の父親でも許せないことはある」

「話し合えばいいじゃない。きっと、理解(わか)りあえるわ.

血のつながった家族だもの」

「この世界は綺麗事ばかりじゃない」

 

 感動ばかりではない。

 

 嬉しいことばかりではない。

 

 優しいことばかりではない。

 

 失敗作として生れた場合、簡単に切り捨てられてしまう。使えないと判断をされてしまうと殺されてしまう。

 

 生きるか。

 

 死ぬか。

 

 都がいた遺伝子研究所は、そんな甘い場所ではなかった。その中で、都は必死に生きてきた。


 生き抜いてきた。


「都の言っていることがわからないわ」

「分からなくていい。知らなくてもいい」

 理解されなくてもいいと、都は思っていた。

「お願いだから自分を大切にして。好きになって」

 

 都は答えることなくリビングをでた。

 

 なぜ、人目がつかない場所にいたのか?

 

 けがをしていたのか?

 

 本当の家族は探しにこないのか?

 

 聞きたいことは沢山ある。

 

 あの公園で出会った時は、まだ小さかった。お互い成長して、姉弟という関係になってから十年の月日が流れていた。

 

 それなのに、都は心も開こうとはしない。

 

 本心を話そうとはしない。

 

 未だに迎えにこない両親のことを、聞かせてくれない。

 

 教えてくれようとはしない。

 

 いつもどこか、陰があって、笑顔を見せたことがない。

 

 待っていれば、いつか笑顔を見せてくれるのだろうか?

 

 笑いあうことができるのだろうか?

 

 気持ちが通じあうことができるだろうか?

 

 まるで、全てを嫌っているかのようで。

 

 自分自身――都自身を否定しているかのようで。

 

 手の届かなくなってしまいそうな場所にいってしまいそうで――。

 

 美和はそんな気がしていた。


(都。あなたのことが遠いよ)

 

 見えない壁が二人の間に、立ちふさがっていた。

 

 

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