第9話 傷心と不良の相手

 帰りの電車はずっと無言やった。というか寝たふりをされた。最寄り駅に着いて起こそうと思ったら、彼はいきなりすっくと立ちあがって「ほんじゃ」とひとことだけ述べ、私を残して去っていってしまった。少しの間その場で唖然としていて、発車ベルの音を聞いて慌てて下車した。辺りを見回したけど彼の姿はもうどこにもなかった。


 送ってすらくれないんや、とは思わん。むしろありがたいと思った。もうこれ以上は一緒にいられん心境やったから。彼も同じなんや、きっと。


 私が悪かった。彼の気持ちにこたえられんかった。ほんまに好きか、よく考えることから逃げて、曖昧にして、答えを先送りにして、ごまかしてなんとなく過ごして、その結果、彼をこんなにも傷つけた。


 でも。


 だからと言って、じゃあキスしたらよかったか、と言うとそうやない。そうやないよ、出来んかったんやもん。付き合おとるはずやのに、嫌と思ってしまった。そもそも下の名前も知らんような相手を『恋人』なんて呼べるんか。それも、なんで今まで知りたいとすら思わんかったんか。それは、やっぱり私が彼のことを────


「やーっぱな。ウケんかったんじゃろ、あの水着」


 そこはもう家の目の前、聞き慣れたその声とタバコの匂いにはっとして顔を上げた。


 ……ていうか。人の家の前でタバコ吸いながら座り込んで待ち伏せなんてほんまにやめてほしい。通報したろか、今日こそ。


 とはいえ今日はもうこの不良の相手をする気力はない。無視をしてさっさと玄関へと向かった。すると相手は「ほんまセンスないわー」となおも傷つけに来るから、もう我慢できんようになって、悔しいけど泣けてきた。


「わるかったなぁ、センスなくて」


 絞り出した私の涙声にこの相手が怯むはずもなく、案の定余裕で「ふん」と鼻を鳴らした。


「ちゃうわアホ。相手の男や。おまえみたいなんに水着せがむとか、ほんまセンスないで、そいつ」


「……はあ?」


 意味がわからんくて困った。振り向いてその顔を見ると、いつも通り冷めた目をしていた。


「俺なら百パー浴衣じゃわ」


「なんよ……それ」

 あかん、意味不明すぎる。


「水着みたいなんはな、もっとこう、ばーん、とした子やないと」


 胸の前に両手を持ってくるいやらしいジェスチャーにまた苛立つ。


「……悪かったな、貧乳で」

「嫌やったじゃろ」

「え……」


 今日のためにわざわざ買った水着。嫌なんを我慢して着よったんは事実。それなりに褒めてもらったのはよかったけど、実際はほとんど上着で隠して過ごした。


「女の子が嫌やち思いよんのに気づけてない時点でアウトや。論外」


 言いながら親指を下に向けた。


 黙る私に「だから言うたじゃろ、あいつはやめとけち」と更に言う。


 なにか言い返そうと思いながら、涙が溢れてしまって上手くいかんかった。


 誠司は小さくため息をついて、ゆるりと立ち上がると、こちらに近づいてぽすん、と私の頭にその手を乗せた。


「無理すんな」


 なにも答えれん私を「ふ」と笑うと「じゃーな」と自分の家へ帰っていった。



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