第2話 ホタルノヒカリ -後編-

 薫と美由紀は東武東上線で都内近郊まで移動する。有名なパン屋の2階にある、パン屋が営むお洒落なレストラン。雑誌で紹介されてからは、混むので敬遠していたが、今日は土曜日にもかかわらず、客の入りは疎らだった。


 美由紀はカリカリに焼いたバゲットを、ビーフシチューに浸し頬張った。美由紀は終始上機嫌で、先月買ったばかりのくすみピンクのワンピースを汚して無いかだけ、不安気に確認していた。


「今日もスーツ?接待麻雀でしょ」

「まぁ、お得意さんだし、聞き慣れない人もくるみたいだから、新規契約の可能性もあるしね」

 美由紀は納得した様に大きく頷いた。


 その後、美由紀のウィンドウショッピングに付き合い、駅前のカフェで薫はブラック、美由紀はソイラテを堪能して別れた。


 薫は別れた後、電車を乗り継ぎ都内某所のとあるBARまで足を運ぶ。法律事務所のビルの地下にひっそりとある重厚な扉を開けると、カランと錆びたベルが客の入りを知らせる。


 薫はカウンターに座り、老いぼれたマスターに待ち合わせと告げると、「RESERVE 」と書かれたプレートを薫の隣の席に置いた。


 薫はジャックターを頼むと、マスターは「畏まりました」と一言、冷たいおしぼりを手渡す。

「御通しになります」

 コトンと置かれた小さな皿には、キャンディー状に包まれたリンツのチョコレート。


「奥様が良くお頼みになっていたのを覚えてまして。ご主人は甘いのはお嫌いでしたか?」

「いえ、ただコレは忠告と受け取ればよろしいのでしょうか?」


 マスターは暫く答えず、節くれだった指をセクシーに動かし、氷の入ったシェイカーをシャカシャカと鳴らした。


「いぇ、愛には様々な形がありますので。しかし、貴方はお優しい。時に優しさは人を傷つけ、身を滅ぼすのではないかと、老ぼれの過度な心配で御座います」

「心に留めておきます」


 淵の深めのロックグラスに細やかな氷が敷き詰められ、琥珀色の液体が注がれる。薫はマスターの言葉を飲み込む様にグラスを傾けた。


 カランと乾いたベルの音が店内のジャズミュージックに紛れて耳に入る。


 ドアを開けた幼い顔をした少年は、背負っていた黒いナイロンのギターケースを壁に立てかけ、薫の横にチョコンと座った。


「やぁ、優真ゆうま君。急に呼び出して、すまないね」


 優真と呼ばれた少年の顔は未だあどけなく、未発達の身体は抱きしめたら折れそうなくらい華奢だった。薫は本人から去年の暮れに高校を卒業していると聞いてはいるが、見た目は中学生と間違えるくらい幼かった。


 優真はマスターに勧められるがまま、ジントニックを頼み、ジャックターを飲み終えた薫はアードベックを注文した。


「ネックレス。良く似合ってるね」


 優真は濃紺のデニムにローマ字の書かれたシンプルな黒のTシャツを着ている。首から下がる十字架のシルバーネックレスが、薄暗い店内で一際存在感を表していた。


「薫さんのおかげです」

「私はお金を出しただけだよ、選んだのは君だ。それと……」


 薫は茶封筒をスッと出し、優真の前に置いた。

「金額は先日と一緒だ。受け取って欲しい」

「そんなには受け取れません。ここまで、良くして貰ってるのに」


 優真は茶封筒の中身が三万と気付き、遠慮がちに戻そうとする。薫は手を置き静止させた。

「また、会う時まで食い繋いでくれればそれでいい。そのためなら惜しくはないよ」

 優真は茶封筒をクシャっと握ると、デニムのポケットに詰め込んだ。


 複雑そうな表情の優真だったが、薫がリードする会話と酒の力も相まって、顔が綻び穏やかな表情をチラホラと見せる様になる。


「酒ばっか飲ませて、すまないね。ついつい長話をしてしまった。ツマミだけじゃ、腹へったろ、飯にしようか」


 薫はそう言って、二人は店を出た。薫が何を食べたいか聞いたら、牛丼と答えが返ってくる。薫はすかさず「遠慮しなくていいんだぞ」と言ったが、優真の熱意に押され、近くのチェーン店で夕飯を済ませると、薫は予約を入れていたホテルに案内した。


 薫は高杉薫と記帳した下の欄に、高杉優真と偽名を書いて部屋を借りた。普通に考えたら、年齢の違う男二人の相部屋は怪しまれるかもしれない。しかし、薫のピシッとしたスーツ姿にフロントは疑問を抱く事もなくルームカードを手渡した。


 2人はホテルのエレベーターは四階を目指す。

「手を握ってくれるんですね。でも無理しなくていいですよ」

 優真が手を振り解こうとすると、薫は力強く握り返した。

「マスターから聞いたのかい」

 優真が頷く。


「俺は欠陥品だ。女性と居たいと思う。女性と手を握りたいし、デートだって女性としたい。でも、体は男を。ゴツゴツした骨ばった筋肉質な男を求めてしまう。きっと君には分からないだろうな」

「はい、わかりません。なら、なぜ僕に優しくするのか。理解が出来ません」

「優しいか。それは買い被りすぎだよ」


 薫はルームカードを壁に押し当てドアを乱暴に開くと、グィっと強く手を引き、優真をベッドに押し倒した。


「俺は人間の真似事がしたいだけさ。君みたいに身も心も誰かに捧げる事が出来ない」


 薫は倒れた優真に馬乗りになって黒いTシャツを捲し上げる。薫が平たい胸板をそっと撫でると優馬は頬を赤く染めた。


「薫さん、恥ずかしいです」

「知ってる」

「薫さん、くすぐったいです」

「知ってる」


 薫は優しく唇を重ねると、優真のデニムのジッパーに手を伸ばす。薫は高鳴る鼓動を抑えることが出来ず、遮二無二しゃにむに舌を這わせ、優真の漏れ出る吐息を味わった。


 薫のスラックスはぱんぱんに盛り上がり、身体が満たされていく。心と身体が解離して空いた隙間が満たされていく。


 優真の筋肉質な身体が硬直して行く。薫はワイシャツを脱ぎ捨て胸板を、優真の色白な薄い胸板に押し当て、二人は指先を絡め合うと欲望のまま一夜を過ごした。


「帰っちゃうんですね」

 優真は甘えた顔で薫を見つめる。

 薫は振り向く素振りもせずにワイシャツのボタンを閉めていた。


「やっぱり受け取れません。受け取りたくありません」

 優真は涙目でくしゃくしゃの茶封筒を差し出していた。

「いずれ、気持ちに折り合いがつかない時が来る。それは、君のためでもあるんだ」

「でも、それじゃ薫さんは」

「もし、君に心から愛してくれる男性ひとができて、今日の事を後悔することがあれば、最低な男に体を売っただけと思えばいい。その方が、まだ割り切れる」


 薫は支度を整え早々に出ていく。

 ホテルのフロントを出ると眩い光に目をくらます。夜は眩い程瞬いていた歓楽街の蛍の光は消え、代わりに朝の陽光が全ての明かりを飲み込んでいた。


 僕らは蛍みたいだ。常識という蚊帳に閉じ込められ、死を待つだけの源氏蛍。きっと、あのホタルも蚊帳に入れられた時から運命を定められたのだ。


 美由紀の問いに答えを出した薫に、夏の太陽は絶え間なく強い日差しを浴びせていた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホタルノヒカリ ふぃふてぃ @about50percent

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ