そのころ赤木は


「悪いわね赤木さん。手伝ってもらっちゃって、重かったでしょ?」

「いえいえ、困った時はお互いさまですからっ」

 西実館中学校の家庭科教師「大丸だいまる 福子ふくこ」が3階資料室に荷物を運ぶというので手伝いを名乗り出た赤木。大丸先生のまんまるとした中華まんのような温かい笑みと感謝の言葉に自然と笑顔になる。手伝って良かったなと心が温かくなると同時に、チクリとちょっとだけ罪悪感も覚える。

「じゃ、あたしはこれで、失礼しました」

 ペコリと頭を下げて資料室を出る赤木がたまたま見かけた大丸先生を手伝ったのにはわけがある。純粋に大変そうだったから手伝おうという善意があったのも確かだが、赤木は元々別の理由で3階に来ようと思っていた。手伝ってくれて喜んでいる大丸先生には申し訳ない真の目的はというと。

(えっと、噂の一年生「白井しらい いさむ」くんはA組だったかなあ?)

 噂の一年生「白井くん」とは三年生のミーハー女子の間で芸能人アイドルみたいにカッコイイと噂のイケメン一年生だ。同じく実はミーハー女子である赤木はその噂の一年生を拝みにやってきたというわけだ。西実館中学校の一年生の教室は3階にあり、三年生の教室は1階なのでよほどの用がなければ上がってくる事は無い。学校のイケてる男子全員の名前と容姿を全てインプットする程のメンクイである赤木。是が否にでも芸能人レベルのイケメン白井くんも直にみたいというのも無理はない話だ。放課後は大事な部活があるので、この休み時間がイケメンを網膜に焼きつけるチャンスというわけだ。自然に3階にゆく方法は無いかと思案していたそんな中、現れた女神が荷物を持った大丸先生だった。

(あぁ、マルちゃん先生、邪な気持ちでごめんなさい)

 いま一度、痛む良心にお祈りのポーズで大丸先生に謝罪する。これを心中でやってればいいのだろうが、実際に廊下の真ん中でやってしまっているのだから、後輩達には変なひとに見えているだろう。そして、余計な事をしていると注意力は散漫になるものだ。目の前の女子トイレから生徒がひとり出てきてあわやぶつかりそうになる。

「わっ、とっとっ」

「っっ!? ぁっ」

 間一髪、部活で鍛えた体幹と反射神経が働き、ぶつかる寸前に止まる事ができた。向こうも驚きはしたようだが倒れる事は無かったようだ。

「ご、ごめんなさい。考え事してて、だ、大丈夫だった?」

 慌てて相手の女子に謝罪する。ぶつかってはいないはずだが、自分のせいで怪我でもしていたらと赤木は心配になる。

「……ぁ、あ、ぁっ」

 だが、ぶつかりそうになった女子はなにかショックでも受けたかのように口をアワアワと震わせて「あ」を繰り返すだけだ。

「ぁ……あ、ぁ、あぁあああああああっーー」

「ーーな、なに? あの、ホントに大丈夫?」

 まるで壊れたスピーカーのように「あ」を繰り返し続けるのでやはりどこかぶつけてしまったのかと心配して、顔を覗き込むが妙に長い前髪で眼が隠れていて表情が読み取れない。と同時に顔を近づけるとビクリと身体を震わせて、両手で前髪を押さえて後退る女子は

「あっっ!?」

 威嚇するように大きな「あ」を叫び、女子トイレへと逃げるように戻っていった。

「な、なんだったの?」

 なにがなんだかわからない赤木は取り残されて眼をパチクリとさせてなにか怖がらせてしまっただろうかと考えて、自分の胸元の紅玉色のタイを見てハタと気づく。

(あ、三年生ってわかって怖がらせちゃったのかなぁ)

 三年生の証、紅玉色のタイはよく目立つ。小柄な自分でも三年生と気づかれるだろう。それに、いるはずの無い場所で上級生とぶつかりそうになるなど怯えて当然だ。赤木も一年の時に同じ目にあったらビビるだろうと納得する。

(悪いことしちゃった)

 やはり、一年生の教室の前を三年生がウロウロするのはよく無いと赤木はひと目、噂のイケメン一年生を眺めたら目立たないように帰ろうと決めて1ーA教室へと向かう。この時点で赤木は「おかしな先輩がいるぞ」と注目され目立ってしまっている事にまるで気づいていなかった。

(うーん、それにしてもいまの娘。どこかであったような?)

 そして、また余計な考え事をして他の生徒とまたぶつかりそうになるのだった。





(んー、いないかなぁ?)


 1ーA教室をチラチラと眺めてみるが芸能人レベルのカッコイイ男子らしき姿は見当たらない。休み時間であるから必ずしも教室にいるわけでは無かったかと思いながらも、教室で騒いでいる後輩達を眺めてるとなんだか自分が一年の頃の初々しさを思い出す。まだ、中学の制服も着慣れず、去年までランドセルを背負っていた小学生が抜けきらない気分。先輩達がちょっと大人っぽく見えたあの頃が懐かしいと感じた。いつの間にか自分も三年生になった赤木は特に大人になれてるのかもわからないが、ただ目指したあの背中には近づけたろうかと目を瞑り、眩しかった10番の背番号を思い浮かべる。

(……キャプテン)

「キャプテン?」

 なにかしみじみと干渉に浸り思い浮かべる言葉と耳に聞こえる言葉が妙にシンクロするなと赤木はぼやっと眼を開ける。


「なにをしてるんですか?」

「おおっとぅおおっ!?」


 目の前で綺麗な蒼い瞳に見おろされて、思わず素っ頓狂な言葉を発し飛び退くと向こうも一瞬驚いた顔をすると、瞬きをして顎に手を当て首を傾げている。


「あ、雨宮さん?」

 よく見なくてもそのお人形さんのように整った顔立ちと蒼い瞳の女の子は女子サッカー部話題の一年生「雨宮 リア」だ。同じ部活のキャプテンとしてもちろん名前は覚えている。それ以前に目立つ容姿と紅白戦で見せた話題通りの華麗なプレイは忘れる方が難しいだろう。

(な、なんでここに)

 と、喉まで出かかってここが一年生教室階であることを思い出す。なんでここに三年生の赤木がいるのだと訝しがられるのが自然だろう。難しい顔をしている雨宮を前にどうしようと心の汗が焦りでタラタラと流れる。やがて、雨宮が顎を触る手を離すとジッと赤木を見つめる。間近でじっくり見ると睫毛が長くて宝石みたいな瞳だなと惚けながらも、背中の汗は冷たい。

「もしかして、ワタシに会いに来たんでしょうか?」

「え?」

 なにを言ってるんだろうと眼をパチクリな赤木。

「A組はワタシのクラスなんですけど?」

 まさか噂のイケメンと話題の一年生が同じクラスだとは思わなかった赤木。この偶然に乗らない手はない。ハッタリで乗り切ると決める。

「そそそっ、そうだねえぇっっ、うん、会いにきたんだっ」

「……そうですか」

 雨宮の眼が細まる。一瞬、ハッタリがバレたかとヒヤヒヤな赤木。

「この前の紅白戦ですね」

「そうそう、紅白戦のはなしっ」

 どうやら杞憂なようで、ホッとしながらとりあえず赤木は話に乗る。

「ちょうどよかったです。ワタシもキャプテンに言いたい事があったんで」

「はい?」

赤木が目をパチパチとさせて、言いたい事ってなんだろなと聞き返そうとすると雨宮はチラッと後ろを見てため息を吐いた。

「ハァ、ここじゃ邪魔が入るかもですから、ちょっと向こうで話しましょう」

「へ?」

 なんの事かわからないままに雨宮に掴まれて赤木はどこかへと引きずられて行くのだった。



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