二日目 蹴り飛ばす憂鬱

 カーテンを開ける。

 小鳥のさえずりが聞こえるような爽やかな朝は僕の住む地域にはないのだと、9歳の頃ふと思った。

 思い描いていた日常と、実際にここにある現実との差に若くして気が付いた僕には落胆するほどの度量もなかった。

 今日も学校がある。

 朝ご飯を食べるためにリビングへ行くと、母の姿があった。ここ最近、ダイエットを始めたとかでやけに姿勢を意識しているらしいが、深夜のスナックをやめることができず、結果的に姿勢が良いふくよかな人になっただけである。

「おはよう」

 何気ないあいさつを交わし、用意されていた目玉焼きと、毎朝見ているニュース番組をおかずに米を頬張る。

 ニュースキャスターは相変わらず淡々と世の中の動きを滑舌よく告げていた。その光景はいつもと変わらないようで、逆に言えば変われないだけのように思えた。

 そろそろ家を出る時間だ。椅子から立ち上がる瞬間のためらいを少し感じつつも、逆らえない時間に素直に従った。

(行ってきます)

 無言で告げ、ドアノブを掴む。冷たい。金属の真っ直ぐな温度に憂いを覚えながらも世間の光に足を踏み出す。

 

 駅までの15分。すでに帰りたい気持ちでいっぱいである。何故あそこで1歩踏み出してしまったのか、自分への反省点をぐるぐるかき混ぜながらも足を止める勇気はなく学校までの距離は確実に近づいている。

 家を出て、5分ほど経っただろうか。2つめの信号を渡ったところで、ふと足元に自分の拳ほどの大きさの石が落ちているのが目に入った。

 何故かよくわからないが、無性に蹴りたくなって軽くつま先で弾いてみる。

 楽しい。

 2mほど転がった石は道路標識の前で止まりこちらを伺っているように見えた。

「蹴ってみせろよ。」

 不敵に笑って見上げているのに見下しているようなこいつに僕は苛立つ。

 笑われることには慣れていたのに。見た目や振る舞い、私服のセンスなどあらゆる面において馬鹿にされ、嘲笑されてきて、そんなことは当たり前になってしまっていたのに。

 この石に笑われたことには自分自身の腹の底から湧き上がる感情が血液とともに体を循環する。

 足に力を込める。重心を低くして、次の一蹴りに全てをかけようと思った。

 もう笑わせない。誰にも馬鹿になんてさせない。

 ふと頭の中に、クラスメイトの宮田が浮かんだ。成績優秀で女子からも男子からも人望があり、誰にでも優しかった。僕を除いては。

 宮田と誰もいない二人きりの教室で掃除をしていたとき、クラスでの振る舞いとは真逆の黒くて、汚くて、曲がりきった腐った態度を僕にしてみせた。

 こんなやつがいるのかと。全てを手に入れながらも、こんなにもつまらないやつが存在するのかと。

 世界の新しい一面を見たような気がした僕は落胆よりも、一つレベルアップしたようなほくほくとした満足感に溢れていた。

 この石は宮田だ。

 石は何もできないし、自分の意志で動くこともできない。ただ、こいつは全てを手に入れているように見えるんだ。

 宮田と違う点をあげるとすれば、「できる」ことで全てを手に入れている宮田と、「できない」ことで世界の一部として世界を手に入れていることの違いであろう。

 どちらにせよ僕とは対極に存在することに変わりはないのだ。

 右足を上げる。重力に預けて下ろしたつま先に石が当たり、自分が蹴ったとは思えないほどきれいな弧を描いて宙を舞った。

 石は何も「できない」まま道路脇の側溝に落ちた。整備がされていない側溝には泥がたまっていてかなり臭う。

 泥にまみれた石はさっきまでの余裕の面をぐちゃぐちゃに歪ませている。

 ざまあみろ。

 僕は不敵に笑い、側溝の石と、クラスメイトの宮田を上から見下ろした。

 

 

 

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