第10話血逸(ちはや)ふる、世の中舐めて滑川

宗時は昔から頑固な男だった。

時政には似ぬ一本気な性質。

それもそのはず。

宗時は時政の妻の連れ子で

血の繋がりがなかった。

そして、その生い立ちのせいか

なかなか本心を見せなかった。

その時のままのクソ真面目な顔で

自陣の札を睨みつけている宗時。

ちっ、面倒くせえ。

油断させて早々に三枚取ってやろうという

俺様の計画が台無しだ。

宗時は札に目を落としたまま口を開いた。

「この勝負に俺が勝ったら

二度と政子に近付くなよ」

俺様はしっかり無視してやる。

「オイ、聞いてるのか!」

声を荒げる宗時を睨み返す。

「今回は静との勝負。お前はタダの駒!」

そうして、俺様は静を睨んだ。

静は少し離れた机の向こうに立ち、

重ねた札の一枚に手を添え

冷たい顔をして俺を見ている。

くそっ。

俺はギリリと唇を噛みしめる。

静が読んでるのが、また気味が悪いのだ。

どうにもこうにも呪詛をかけられているようで

心が落ち着かない。

恨むなとは言わない。

でも、怨むなよ。祟るなよ。

お前の声、マジで怖いんだからっ!

その時

「世の中はぁ……」

キタキタっ!

俺様の次男坊、千幡の詠んだ和歌。

「いただきますっ!」

パァン……!

俺様は自陣の左下に隠しておいた

その一枚を思いっきり手刀で払った。

ああ……今の俺様

”ちはや”っぽいかも!

気分はすっかり『ちはやふる』の千早で

ウッキウキと遠く彼方まで飛んでいった札を取りに行った。

が、取って戻って来た俺様の前で

宗時のヤツが、にたぁっと笑ったのだ。

「馬鹿め」

「え?」

「今のはこっちだ」

宗時の手の中には

『やまのおくにも しかそなくなる』

の下の句がある。

で、俺様の手の中には

『あまのおふねの つなてかなしも』

……ん?

宗時は片頬だけを上げる

嫌味な笑い方で口を開く。

「今のは『世の中よ』だった。

『世の中は』じゃない。引っかかったな」

「は?」

静を見る。

静は読み終わった札を掲げ上げた。

『世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る

山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる』

皇太后宮大夫俊成、藤原俊成の歌だ。

「ムキャー!」

俺様は奇声を上げた。

「違う!『世の中は』って言ってた!」

宗時の頬がひくりと引き攣る。

「お前は……どこまで厚顔ふてぶてしいヤツなんだ」

「言ってたものは、言ってたもの!」

すると、袖を引かれた。

「兄ちゃん、それは無理だって。

静ちゃんは、ちゃんと下の句まで読んでるもん」

義経だった。

その後ろに静が立っている。

「ええ、確かに『やまのおくにも しかぞなくなる』って

最後まで読んだわよ」

にぃ、と薄い唇を大きく横に広げて笑う。

「俊成卿の和歌と鎌倉右大臣の和歌を取り違えるなんてね」

片手を腰に当て

オホホ笑いをする静。

藤原俊成は定家の父だ。

息子の定家とは違って

権力に屈しやすく割と扱いやすい人物だった。

静も京にいた頃、俊成とは面識があった筈。

こんの京女!

意地でも俺様に札を取らせないつもりか。

さっきは絶対『世の中はぁ』って言ってたのに。

「私が取った瞬間に

『世の中はよぉ 道こそなけれ』

って読んだんでしょ!」

俺様がそう叫んだ途端、

静が笑いを收めて目を光らせる。

その瞬間、義経の手が俺様の口を塞いだ。

「駄目、兄ちゃん。

競技かるたでは読み手の読み癖に

クレームつけるのは禁止なんだよ。

反則行為になるの、知らない?」

「は?」

んなもん知るか!

だって、明らかな不正行為なのに!

だが俺様は義経に口を塞がれ、

モガモガと呻くしかない。

そんな俺様の前で

静は白い指を頬に当て、

観音のごとく薄っすらと微笑んだ。

「あら、今、私の読みに

何か文句でもおっしゃったのかしら?」

「いいえ! 文句なんてまさか!」

元気よく答える義経に殺意を覚える。

静は大仰に髪をかきあげ顎をのけぞらせると

読み札の元へと戻って行った。

「いてっ!」

義経が小さく叫んで俺様を離す。

俺様は素知らぬ顔でまた畳の縁に膝をついた。

ムカついた。

おぅよ、ムカついたぞ。

こうなったら、ぜってぇこの勝負勝ってやる。

そんな俺様の目の前に

一枚の札が差し出される。

お手つきで送られてきた札は

『よをおもうゆえに ものおもふみは』だった。

俺様は宗時の顔をチラと見る。

宗時は素知らぬ顔で下を向いている。

これの上の句は

『人をもし人も恨めしあじきなく』だ。

「ひ」で始まる上の句は三つ。

「ひと」で始まる上の句は二つ。

まだどれも読まれていない。

「ひと」は上の句は二つだけだが

下の句に結構多い。

だから俺様はいつも混乱する。

現に、俺様の陣には

『ひとにはつげよ あまのつりぶね』

とか

『ひとにしられで くるよしもがな』

とか

『ひとのいのちの おしくもあるかな』

とか並んでて、かなりウザい。

が、問題はそこではない。

送られてきたこの札の歌い手は

鎌倉の倒幕令を出した後鳥羽院。

後鳥羽院は安徳帝の腹違いの弟だ。

三種の神器なしで即位したことを恨みに思ってか

後々、鎌倉に対して承久の変を起こした。

……つっても俺様はもう死んでて、

政子が撃退してくれたんだけどさ。

ケッ、俺様が平家を滅ぼさなければ

即位も出来なかったかもしれないのに。

恨むなら、草薙の剣を無くした義経を恨めっての。

ま、それはともかく、

この札を送ってきたのが偶然なのか

または俺様への宣戦布告なのかってことだ。

俺は宗時の前に並んだ札を眺める。

すると、それは宗時のちょうど右手前にあった。

『なほあまりある むかしなりけり』

順徳院の歌だ。

順徳院は後鳥羽院の子。

温厚な兄、土御門院とは違い

幕府に喧嘩を売るために

率先して譲位した熱血野郎。

静がゆっくりと口を開く。

「も……」

その瞬間、宗時の手が順徳院の札を囲った。

「……ろともにぃ あはれとおもへぇ」

バシィ……

俺様の手が一枚の札を叩いた。

宗時の眉がぴくりと動く。

だが、俺様の取った札を見て、元の位置に戻った。

「またお手つきだぞ」

俺様の手には

『はげしかれとは いのらぬものを』の札。

この札の上の句の始まりは

『うかりける』だ。

「うっかりはげ」で覚えたから間違いない。

そう、お手つきだ。

俺は口の端を上げて答えた。

「うるさいわね。

とにかく三枚取ればいいんでしょ?」

そう。俺様はどうせ最初から部外者。

宗時の目の前の札が全て無くなる前に

三枚取ればいいだけだ。

宗時の大きな目が軽く細められる。

送られてきた札は

『なほあまりある むかしなりけり』

順徳院だった。

俺は確信する。

宗時には前世の記憶がある。

俺様が頼朝だってわかってる。

わかった上で俺を毛嫌いしているんだ。

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