第11話ハゲしくカマン、カンマ一秒の札勝負

「うか……」

二字決まりの札。

覚え方は「うっかりはげ」

下の句は「はげしかれとはいのらぬものを」

毛の生え際が気になる男性陣ならば、一度聞いたら二度と忘れられないその札。

俺様が、さっきお手つきした一枚だ。

お気に入りの一枚は、すぐに取れる場所に配置しておく。取りやすいように。

バシッ……!

手刀が風を切って、畳の上の「はげしかれとは」を飛ばす。

その瞬間、静の声が続いた。

「……みわび 干さぬ袖だに……」

ああ、残念。間違いだ。

「うか」と見せかけて「うら」だったというパターン。

またしても静はズル読みをしやがった。

だが残念だったのは、俺様ではない。

「はげしかれとは」を弾いたのは宗時だった。

俺様は、左下に隠していたその札をトンと指一本で押さえたまま、顔を上げた。

「あれぇ、下の句は『こひにくちなむ なこそおしけれ』とちゃいましたやろか?」

「ちはやふる」の詩暢ちゃんばりにニタリと笑ってやる。

「『うか』かと思うたら『うら』やなんて。ほんま、よお聞いとかんとあきまへんなぁ。こわいわぁ」

チラと静を振り返れば、そのこめかみはピクピクと脈打ち、いかにも漫画チックな怒りを表現している。

ある意味すごい演技力だ。さすが流し目一つで喜怒哀楽を表現した稀代の白拍子。

だが、演技なら俺様も大得意だ。

ある時は人畜無害なウサギとして島流しへと減刑してもらい

ある時は悲運の貴公子として女心をくすぐり

ある時はザ・御曹司として源氏の白旗をはためかせ

またある時は征夷大将軍として憤怒の表情で周囲を脅す。

どうせ、どいつもこいつも上辺の顔しか見ていない。

「ほな、うち一枚取らして貰いましたよって」

楚々と笑って、勝ち取った札を下げる。

京言葉は相手の気を逆撫でするのに絶大な効果がある。特に京言葉を使い慣れない人間が口にするのを聞くのはさぞかし耳障りで苛つくことだろう。

ケッ、ざまあみろ。

そうそう同じ手にかかるものか。今度は俺様がトラップを仕掛けてやったのだ。

先に初心者が大好きな「うっかりはげ」に手を出しておき、この札に手が伸びやすいことを印象づけておく。

上級者から見たら、初心者がどの札を狙っているかなど一目瞭然。そこを逆手に取って「うか」待ちを装った。

勿論、静がギリギリまで「うか」を読まないことは予想の範囲内。

同じ「う」始まりの「恨みわび」はまだ読まれていない。ならば、そちらを先に読むはず。でも、その「恨みわび」の下の句である「こひにくちなむ」を宗時に取られては元も子もない。だからその存在を隠した。

「こひわたるべき」「こひしかるべき」「ころもほすてふ」など、似ている仲間を綺麗に一列に並べておいたのだ。もちろん、別の列には「ひと」始まりの札を一列に綺麗に並べておく。いかにも初心者がやりそうな並べ方だが、『木は森の中に隠せ』とはよく言ったもの。おかげで「こ」始まりの札は下辺に並べられているということは宗時の中に入っていても個々の札には注意がいかなくなった。

それに宗時は、俺様に『一枚だって取らせるものか』と豪語していた。ならば俺様が動けば、取られまいと宗時が突っ込んでくることも織り込み済み。ほんのカンマ一秒の勝負の世界。

静が読み始めた瞬間、俺は右手を大きく「はげしかれとは」に伸ばしつつ、左手で「こひにくちなむ」をこっそりガードして、静が言い逃れ出来なくなるまで札を読み込むのを待ったのだ。

舐めんなよ。

京のやり口など知っている。その二枚舌も。笑顔の裏の毒も。

思い込んだら猪突猛進、単純馬鹿の宗時が相手で助かったぜ。

とにもかくにも、一枚取った。残りは二枚。

対して、宗時の持ち札は残り五枚。

うーん、どうするか。

つか、アレしかないか?

「わすらる……」

ビターン!! バラバラッ

豪快な音と共に、大量の札が宙を舞う。そう、俺様がぶっ飛ばしたのだ。「ひと」始まりの一列、いやその上下の札も合わせて、手持ちの半分くらいを豪快にぶっ飛ばしてやった。

「この、恥知らず! そんな汚い手を使ってまで勝ちたいの!」

静が今度は顔を真っ赤にして叫んでいる。鉄面皮のコイツが珍しいことだ。「そんな汚い手まで使って」だって? どっちが? と聞き返したい所だがやめておく。

「あら、飛んだ中に読まれた札があれば、ルール上問題ないでしょ」

「ちはやふる」でも、豪快にぶっ飛ばしてたヤツがいた。初心者である俺様がやっていけないワケはない。

静が読むのが空札なら宗時は動かない。宗時が俺様の陣へと手を伸ばした瞬間がチャンス。その近辺の札全部を力いっぱいぶっ飛ばせばいいのだ。同時なら自陣の方が優勢、つまり俺様の勝ちとなる。

「さて、二枚取らしてもらいましたよって、大詰めどすなぁ」

あと一枚。たった一枚だ。

だが、ぶっ飛ばし作戦はもう効かない。宗時が俺様を嵌めようとしたら簡単だからだ。

さて、どうするか。

チラリと自陣の札を眺め渡す。目の端に映る「あまのおふね」。千幡の詠んだ札だ。

「ちはやふる」でも、各人に得意札があった。

千早なら「ちはやふる」、詩暢なら「しのぶれど」、ならば俺様なら、やはり「よのなかは」しかない。

末の子は可愛いとはよく言ったもので、俺様も政子も千幡を溺愛していた。

『父上、千幡は京が大好きです』

一家揃って上京した都で、千幡は華やかなりし京の都の虜となった。

『京の都はいい匂いがして、きらきら光っていて、素晴らしい音楽が流れて……』

うっとりと女子のように微笑む可愛い千幡。

京。

俺様にとっては過去の場所。忌まわしき場所。焦がれつつ嫌悪しつつ、トラウマとなった場所。

だから、いつか越えてやると、そう誓った場所だった。

人の子が創った都なら、俺様にもつくれぬはずがない。

天孫の系図と言うなら、俺様とて辿ればそうだ。何ら変わらない。

唐の長安すら凌駕した都をつくってやる。

そう、鎌倉で。

あの頃の俺様は野心に燃えていた。既に朝廷など敵とは見ていなかった。

だから足元をすくわれたのだ。

『姉上は京の人となるのでしょう? いいなぁ。千幡もちょくちょく遊びに伺ってもいいですか?』

入内を控えた大姫に、無邪気にそう問うていた千幡。

対して大姫は俺様に似た表情で、おっとりとにこやかに微笑み返しつつ、そっと横を向いて「ケッ」と舌を出していた。よくも悪くも俺様に似た娘だった。

あの後、家族がバラバラになったのは自分のせいだ。

もしもやり直せるなら、あの京への旅からやり直すのに……。

ギリッと奥歯を噛む。

それから慌てて気付いて頬を叩いた。

いかん、いかん。歯を食いしばるのは厳禁だった。

前世の俺様は歯が悪くてひどく苦労した。だから生まれ変わったら、絶対歯を大切にすると誓ったのだ。

こんな時なのに、つい感傷に浸ってしまった自分を軽く恥じる。

何はともあれ、今の俺様はその復讐の機会も与えられている。

この勝負に勝って静をギャフンと言わせ、古地図から神宝を掘り出し、諸願成就させるのだ。

よーし、来い来い。三枚目の取り札!

なんてったって俺様は運の良い男だからな!

……今は女だが。

無理矢理に気分を盛り上げ、目の前で歯をくいしばる宗時を睨みつける。

宗時は俺様の陣の札を目を細めて凝視していた。各札の場を一枚の絵として記憶しているのだろう。

ケッ! そうはさせるか。

俺はその宗時の視線と、自陣の札達の中間地点でわざと素振りをしてやる。

そのついでに、札をバレないように並び替えてやった。

悪いが、これは昔からの俺様の得意技。

『無くて七癖、あって四十八癖』 とよく言うが、俺様の悪いクセは、女や色恋に対してだけではない。

とにかく手癖が悪いと、乳母によく嘆かれたものだ。

許せよ、比企尼。これも生き延びる為なのだ。

「あ、おい、お前……!」

気づいたらしい宗時が不審な顔をした瞬間に、俺様は静を振り返って口を開いた。

「ちょっと、まだ? 早く読んでよ!」

バチバチッ!

火花が散る。

静は鼻筋をピクピクと痙攣させ、机の上に裏向きになっていた最後の一枚を、怒りに任せてバッと取り上げた。

静は気付いていない。机の横に立つ、薄く白い影の存在に。

白い影は、静が取った一枚が置いてあった場所に残りの読み札を戻し、すうっと消えた。

「よ……」

札に目を落として口を開いた静が、ハッと顔をこわばらせて机の上を見る。

そうだ。その札は読み札の一番下に隠されていたはずの札。

千幡の札だ。

果報は寝て待つものではない。

自ら取りに行くもの。

静よ、続きを読むがいい。

さあ、どうする? 手札通りに「よのなかは」を読むか?

「よ」始まりの札は、本来、四枚ある。

千幡の「よのなかは」

先程、既に読まれた俊成の「よのなかよ」

俊成のライバル、俊恵法師の「よもすがら」

そして、清少納言の「よをこめて」だ。

静は一瞬唇を震わせて息を止め、俺様の陣と宗時の陣に目をやり、それから意を決したように口を開きかけて、またハッと机の横に目を落とした。

子供が立っていた。

七つくらいだろうか。

気の強そうな大きな目で、じっと静を見上げている。

静は子供と目を合わせると、途端に眉を下げた。

見たこともないような優しい顔をして、そっと首を横に振る。

まるで母が子に「安心しろ」と言うような……。

「……のなかは……」

続いて空気を震わせた澄んだ声に、無意識に手が動く。

宗時が千幡の札めがけて飛びかかって来たが、触れられる前にそっと横に飛ばした。

「よもすがら」なら空札、「よをこめて」なら、宗時の陣にあった。

なのに静は「よのなかは」を読んだ。

「千幡……親孝行な子だ」

そっと、ほくそ笑んで呟いた俺様の横で、何かが動いた。

と思う間もなく、スカートが揺れた、気がした。

「あっ!」

静の横に立っていた子供が、何故か俺様の隣にいて、そして俺様が大事に隠し持っていた古地図を開いているではないか。

「何すんのよっ!」

なんて、手癖の悪い子供だよ。自分のことは棚に上げてそう思う。

慌てて取り返そうと手を伸ばす俺様の攻撃を見事にかわして、子供はすました顔で笑った。

「はい、お姉ちゃん、これどーぞ!」

ちぎれた紙の一部をヒラヒラと振っている。静が破って手元に持っていた一部だ。

「直してあげるね」

そう言うなり、子供はフゥッと古地図に息を吹きかけた。途端、ちぎれてクシャクシャになっていた紙が、手品にかかったように綺麗な一枚へと繋がる。

「えへ、良かったね」

古地図を手にニッコリ笑う子供。俺様は何も言えず、口をパクパクさせた。

えへ、じゃねえよ。お前、手品師かよ?

つか、見たな? 今、古地図の全部を見たよな?

家系図じゃないのはバレバレで、さっきの静の態度から静と面識があることはほぼ確定で、だからやっぱり俺様ピンチじゃないか!

どうする! どうすればごまかせる?

どうやって口を塞ぐか。

……と、子供は人差し指をちょいちょいと折り曲げた。耳を貸せと言っているらしい。

「え、何?」

条件反射的に耳を下ろした瞬間、

「よぉ、久しぶり。クソ親父」

子供のものとは思えないドスの効いた声が耳の奥にズドンと響いた。

唾がゴクンと変な所に落ちる。

「……なっ」

お前は何者だ、そう問おうとした瞬間、

「わーーーーーっ!」

子供は俺様の耳元で、思いっきり奇声を上げた。

「ぎゃーーーーっ!」

鼓膜を破壊されそうになって耳を押さえた俺様を尻目に、子供はケラケラと笑って走り去った。

静の所に駆けて行って無邪気な顔で抱きつくと、俺様を見ながら半分だけ顔を出して目を細める。

黒々と子鹿のように濡れる瞳が、至極楽しげに揺れている。

それを見て、俺はゾッと背を震わせた。

――クソ親父

俺様のことをそう呼ぶのは、そう呼ぶことを許されたのは、過去にたった一人。

大姫。

日本最強の猫かぶり姫、出現す。

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