メッセージ
「ああ。だからね。そうじゃないんですってば」
有坂に怒られた。「貸して」と、有坂はおれの手からフライパンを取り返した。
「いいですか。ハンバーグはね。強火で焼き色を付けて。それから蓋をして火を弱くするんです。こんな火力でジュウジュウ焼いているから、すぐに真っ黒こげになるんですよ」
「そうなんだ。興味深い」
「まったく。どんだけ世間知らずなんですか。仕事はできるのに」
「仕事はできて当然」
「じゃあ、料理もちゃんとしましょう」
彼は細く吊り上がった眉毛を震わせている。——もしかして、怒っている?
じっと彼の横顔を見つめていると、「もう」と声を上げた。
「だから、おれのことを見ていてもうまくなりませんから。そっちのミニトマトのヘタとってくださいよ」
「うん。わかった」
シンクの中にあるボウル。その中には色鮮やかなトマトが水に濡れて山のようになっていた。これ全部、弁当箱に入るかな?
有坂はどうしてこんなにも要領よく料理ができるのだろう。ふと不思議に思った。
「え? おれが料理をするようになったきっかけですか」
「昔からするの?」
彼はフライパンの蓋を抑えながら、しばらくの間押し黙っていた。あれ? 変なこと。聞いたのかな。
「ごめん」と謝ると、「なにがですか」と有坂は言った。
「いや。嫌なこと、聞いた?」
「嫌じゃないです。——家は、ずっと母子家庭で。その母親も去年亡くなりました」
「兄弟は?」
「いません。一人っ子です」
そう。じゃあ、有坂は独りぼっちなの?
「母はずっと病気がちでしたけど。いつもおれに料理作ってくれて。おれ、それまでは料理なんてしたことありませんでした。けど。母が死んで、自分で料理をしてみて。うわ……大変だったんだなって思って。——気がつくのが遅かったんです。結局。『ありがとう』って言わず終いです。後悔しました。だから、今度はおれが作る番だ。おれは誰かのために作っているわけじゃないけど。おれ自身を大事にしようって決めたから」
有坂はふとおれの目をのぞき込んできた。
「課長はどうなんです。料理の腕やセンスは、まったくもって皆無なんですけど。そこまで壊滅的な人は珍しいとおもいますよ」
おれは——。
「うちも母子家庭。母親は医者だから。家にはほとんどいなかった。祖父母の家に行くように言われたけれど、自由が欲しくてずっと一人で過ごした。だから、料理って作るものだって知らなかった。ずっと母親が買ってきたお弁当、食べていた。お弁当がないときはお菓子を食べた。だから。人が作った料理って、よくわからない」
「それって虐待になりませんか」
「さあ。でもおれはここまで育ったし。母はやることはやっていたのだと思う。祖父母の家に行かなかったのは、おれの意思がそうしただけ」
人のために料理を作る。作った料理を食べて、「おいしいね」って言ってもらえることがうれしいことだって知らなかった。
台所に立つ母親を見たことがなかった。料理をしている人を見たことがないのだ。人は見様見真似をする。有坂は、料理をしていた母親の後ろ姿を見てきたに違いない。
「お前の卵焼き、見栄え悪いけど。すっごくうまいな」
焦げた卵焼きをほおばって、にこって笑う実篤を見ていると、心がきゅんとした。ああ、おれは嬉しいんだなって思った。卵焼きだけじゃなくて、もっとなにか作ってみたい。そう思った。だから、料理が得意な有坂にお願いしているのだけれど。実篤は面白くないみたい。どうしてだろう。実篤のためにやっていることなのに。迷惑なのだろうか。
「生きるためには食べることが必要です。人は食べることをおざなりにしちゃいけないんです。——一人分作るのも、二人分つくるのも同じことです。課長のお弁当、作って差し上げましょうか」
「え! 有坂が作ってくれるの? おれの弁当? 毎日?」
「——でも槇さんのは作りませんよ。槇さんのお弁当を作るのは、課長の仕事じゃないですか。そのために弁当の作り方を習いにきたんでしょう?」
「有坂のお弁当なら間違いない。けど……」
おれは手元のトマトを見下ろした。
「実篤。喜ぶのかな……」
有坂はフライパンからハンバーグを取り出す。おいしそうなにおいがした。そっと手を伸ばすと、その手を有坂に叩かれた。
「味見はなし」
「少し。食べたい」
「ダメです。ほら。弁当作るんでしょう?」
そうだった。彼は四角い弁当箱にご飯を詰めた。それから、キッチンバサミで海苔を細く切る。なにをするのかと眺めていると、なんと。海苔でご飯の上に文字を作り始めたではないか。
「おお。なにそれ。面白い」
カタカナで「スキ」と書かれた文字。
「好き?」
ふと有坂を見ると、耳元まで真っ赤にしている。ああそうか。恥ずかしい言葉にしたのを後悔したんだ。思わず笑ってしまった。すると、彼はおれに視線を向けてきた。
「なに?」
「あの。おれ。課長が——す……」
おれのことが「す」ってなあに? ああ、わかった。「す」って言えば。
「スクランブルエッグ?」
「へ?」
「卵じゃない? すき焼き? おれは別にすき焼き好きじゃない。有坂が好きなの?」
有坂は時々。頓珍漢なことを言う。こういうところは実篤と一緒。
「スクランブルエッグでも、すき焼きでもないですよ」
「じゃあ、なあに?」
「……もういいです。おれが馬鹿でした」
「うん。有坂はお馬鹿さんだと思う」
有坂は首を横に振ると、ため息を吐いた。ああ、まただ。人の気持ちがわからない。なにか彼を落胆させることをしたようだ。「ごめん」と呟くが、それは彼には届かない。有坂は話題を変えるように弁当に視線を落とした。
「ですからね。こうしてご飯にメッセージを書くと、相手は喜ぶわけです。槇さんに渡すんでしょう? この弁当。メッセージ書いてあげたらどうですか」
「メッセージ。……難しいね。文字数が多いと作れない」
「ですから簡潔に」
そう。実篤へのメッセージね……。そうだ! いいこと思いついた。おれは有坂が作った海苔の帯を持ち上げて、メッセージを作った。実篤、きっと喜んでくれるに違いない!
「有坂。ありがとう。色々教えてくれて」
頭を下げると、彼は目元を真っ赤にさせてから、首を横に振った。
「いいんです。一人で作るばっかりでは面白くないんですから。——また作りましょう。料理」
「うん。お世話になります」
蓋を閉めてから、持ってきた風呂敷に包む。実篤はお弁当を開いたら、どう思うんだろう? きっと喜ぶよね。あれ? 実篤が喜ぶとおれも嬉しい? そうか。自分で作った料理を人が食べてくれるって、こんなに嬉しいことなんだね。
「ねえ、有坂」
「なんですか」
「有坂のお母さん。きっと有坂が『おいしいね。ご馳走様』って言ってくれるのが嬉しかったんだね。だから、毎日頑張って有坂にご飯作っていたんだよね。自分で作った料理を食べるのもいいけれど、料理は人のために作るものかもしれないね」
有坂はふと押し黙ったかと思うと、ぽろりと涙をこぼした。あれ。おれ、ひどいこと言った?
「ごめん。泣かせた」
「いいえ。いいんです。いいんですよ。課長」
有坂は目元をごしごしとすると、両腕を広げて、おれをぎゅっと抱きしめた。
「貴方って人は。なんでこうも、おれの琴線に触れてくるのでしょうか」
「ごめん。悪気はない」
有坂の気持ちはわからない。だって、おれは実篤の気持ちしかわからないから。ごめん。理解してあげられないんだ。けど、理解しようと努力はする。だって有坂はいい人だもの。
腕を伸ばして、有坂の頭を「よしよし」としてあげた。
「有坂はおれのこと嫌いかもしれないけど。おれは好きだよ。有坂が好き」
だって、有坂ってすごく興味深いから。
「そうですか。おれは——おれは。貴方が嫌いです」
「ごめん。嫌いなのに、料理教えてくれる? 有坂って、いい人なんだね」
「そうですよ。おれは、なんの取り柄もない。詰まらない男なんです」
有坂の腕の力が強くなる。どうしたらいいのかわからないから。ただじっとしていることにした。
「詰まらなくなんてないよ。有坂は面白いけど」
「槇さんの次に——ですか」
「実篤はお馬鹿さんなだけ」
ふと有坂が離れていった。そばにあったタオルで目元をごしごしとした彼は「片付けまでが料理ですよ」といった。
*
「お昼だね。おや珍しいね。お弁当?」
叔父に声をかけられて、嬉しい気持ちが押し隠せない。昨日の夜、雪から渡された弁当。有坂って野郎と作ったのが気に食わないけど。まあ致し方ない。食べ物には罪はないわけで。でも有坂は要注意人物だ。次の異動では雪と離してもらわないと。
すると昼時だというのに、澤井が姿を見せた。緊急の案件で市長に用事があるというのだ。澤井はおれに「気にせずどうぞ」と言った。そんじゃ遠慮なく。待ちきれないっていうのはこのことだ。
冷蔵庫から出てきた弁当の包みを解いて、それから蓋を開けた。しかし。おれの動きは固まってしまった。そんなおれの異変に気が付いたのか。叔父と澤井がおれの弁当をのぞき込む。や、やめてくれー。見るな。見るなーー!
「おお、これはこれは。なんという強烈メッセージですな」
澤井は肩を震わせて笑いを堪えている。くそ!
「愛がこもっているね」
二人は視線を交わして笑うけど。おれはショックしかない。だって。ごはんの上に海苔で書かれた言葉は「バカ」だったからだ。くそー。雪のやつ! 今晩はお仕置きだからな!
夜伽 雪うさこ @yuki_usako
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