第7話 Sinさんの正体は外国人美人姉妹ぃ?!

「お前、カズだろ」


 彼女の低く嗄れた声は、大通りを過ぎゆく車の騒音に呑みこまれることなく、僕の耳を優しく撫でた。


 もう、周囲の視線に怯える必要はない。


 恐怖が霧散すると、代わりに、期待や不安が膨らんでくる。

 二年間いつも一緒にオンラインゲームを遊んでボイスチャットをしてきたけど、一度も会ったことがない相手が、今、背後に居る。


 一歩、また一歩と声の主が近づいてくる。


「巡査のお兄さん。おつとめご苦労さんね。んで、オレのツレがどうかした?」


 僕は振り返る。


 たくさん想像していた顔の、どれとも似つかない。


「え?」


 青灰色の瞳に、白い肌と灰色の短い髪。

 ミリタリーファッションの外国人女性が、人懐こそうな笑みを浮かべていた。

 かなり背が高い。180くらいありそう。

 黒いタンクトップは大きな胸のラインが顕わに……って視線を下げるな!


「Sinさん?」


「おう」


 目の前の美人がSinさんと同じ声で返事をしたけど、どういうこと。

 なんで、この外国人はSinさんと同じ声をしていて、しかも僕の問いかけに応じるのか。


 答えは分かっているんだけど、脳の処理が追いつかない。

 僕の脳が処理落ちしている間にアリシアが泣き止み、Sinさんらしき女性に全身で抱きついた。


 Sinさんがアリシアの頭を撫でる。


「この泣き虫はオレの妹。で、こっちはオレの友達。ゲームで負けて泣いちゃっただけ。周囲のみなさんには変な誤解を与えちゃったかな。別に心配するような関係じゃないから」


 警察官もギャルも、口をぽかんと開いて、信じられない物を見たという感じだ。


 分かる。


 世界史の試験で、世界三大美人の名を挙げる設問があったら、彼女の名前を書けばきっと正解になる。


「お騒がせして悪かったね」


 Sinさんらしき外国人女性が手を振ると、ギャルは罠にはまったサルような顔で、警察官は初恋に落ちたような顔で、何度も振り返りながら去っていった。


 北栄駅の四番出口前には僕たち三人が残った。


「Sinさん? 本物?」


「偽者なんて居ねえだろ。まあ、疑いたくなるのも分かる。オレほどの美人は世界中の何処にも居ないからな。けど――」


 Sinさんは笑い「あと五年もすれば、オレは美人ランク、二位だ」と、アリシアの頭をくしゃくしゃに撫でた。


 自信過剰でも冗談でもなく、Sinさんは美人だった。

 けど、女優やアイドルのような女性らしい美しさとは無縁だ。

 刃物や銃器が持つ、目的を成し遂げるために洗練された無駄のない形。


 間近で相対した僕が軽く射竦められていたら、Sinさんは口の端を吊り上げる。

 表情はまるで悪ガキ。


「カズ、お前、オレのこと日本人だと思ってただろ」


 間近で見下ろしてきた。


「ち、近いですよ」


 おでこが触れてしまいそうな距離なので、僕は上半身を反らして、後じさった。


 赤面を晒すのが恥ずかしいから、顔を背けようと思ったけど無理だった。


 逃がさんとばかりに僕の頭に手が伸びてくる。


「へー。これが前言ってた頭の線か。ほら、アリサ、見てみろよ。カズの頭にヘッドセットの跡ができてる」


 Sinさんが頭を下に押してきたから、僕の視線が下がり、大きな胸を見てしまった。

 いやいやいや、落ち着け。

 変なところを見るな。

 胸を見ているのを気付かれたらからかわれるし、嫌われる。


「Fuck!」


「いたッ!」


 左の脹ら脛に痛みが走った。


 反射的に見れば、アリシアのローキックが炸裂していた。


「ジェシー! カズが酷いんだよ! カズのくせに、私のこと5キルした!」


「よし、アリサ。めっしてやれ。めっ」


 Sinさんがアリシアの両腋を抱えて持ち上げた。

 僕の目の前にアリシアの平たい胸が迫る。


「え、何これ、本当に線がある。変! カズの頭、おかしい!」


 アリシアの指が僕の耳から耳へと頭を往復していって、くすぐったい。

 Sinさんが降ろすと、アリシアは腰に両手を当てて、小さくふんぞり返った。


「ふふん」


 意味ありげな視線を僕に送ってきているけど、いったいなんだろう。


 アリシアのドヤ顔の意味が分からないでいると、ジェシカさんが手を出してきた。


「ジェシカ・サンチアゴ。22歳。喜べ。ご覧のとおりお姉さんで、しかも美人でグラマーだ」


 ジェシカさんはどう見ても握手を求めてきているが、僕はこれまでの人生で異性と握手をした経験などない。


「藍河和樹。17歳です」


 勝手がわからずにおずおずと手を出しかけると、ジェシカさんの手が伸びてきた。


 ジェシカさんの手は力強くて、熱かった。


 そして、ジェシカさんは握った右手を引き寄せると、僕を抱くようにして開いた方の手で背中をバシバシ叩いてきた。


「いやー、ほんと、会えて良かったよ。『初めまして』というのも変だよな。相応しい挨拶は、なんだ。とにかく、よろしくな」


「よ、よろしく、お願いします」


 というか、僕の鎖骨に、おもいっきり胸が当たっているんですけど!


 服越しでもめっちゃ分かる!


 外国人ってみんなこんな感じなの?!

 ジェシカさんのスキンシップが過剰なの?!


「むーっ。無視しないでよ!」


「いたっ」


 またアリシアが蹴ってきた。


 痛みで反射的に、僕はジェシカさんから離れてしまった。

 嬉しいような、残念なような……。

 もし抱かれたままだったら頭が蕩けて変になるところだった。

 アリシアに蹴られて現実に戻ってくることが出来た。


「なんで私の名前は聞いてくれないの! カズ、レディに対して凄く失礼です!」


 あー、さっきの意味ありげな視線は名前を聞けってことだったのか。


「ま、レディの年齢を聞かなかったのは、紳士的な態度だって評価してあげます」


 おしゃまな口調で目を細める仕草は、必死に大人びた態度をとる子供みたい。


「アリシア・サンチアゴ。14歳です。今日はカズに私をエスコートさせてあげる。感謝してもいいですよ」


「えっ?」


 14って中学二年生なのか。

 背が低いし、赤と黒のワンピースが子供っぽい感じだし、小学生だと思ってた。


 つうか、中二のくせに、さっきはゲームに負けてマジ泣きしてたのか。


 ジェシカさんがアリシアの肩を掴んで、僕の方に押しだす。


「ごめんな。オレ、カズを騙していたんだよ。オレはOgataSinじゃないんだ。恥ずかしがり屋なお姫様の代わりに喋っていただけ」


「えっ? どういうことです?」


 お気に入りのポーズなのか、またアリシアが腰に両手を当てて踏ん反り返っている。


「いっつもカズを助けていたの私だから。たっぷり感謝してくださいですよ」


「え、でも下手だったよ」


 自らの失言に気付いたときには、もう蹴られていた。

 アリシアが顔を真っ赤にして「家なら勝ってたもん!」と息巻く。


 家なら?


 あ、そうか。

 Sinさんは標準コントローラーではなく、モーションコントローラーで遊んでいる。


 テレビの前で右手を挙げれば、ゲーム中の兵士も右手を上げるという、同じ動作で操作しているのだ。

 携帯ゲーム機では上手く操作できなかったのだろう。

 操作は下手でも、カンが冴えていて反応が鋭い理由に納得した。


「じゃあ、Sinさんはゲームやらないの?」


 ジェシカさんに話しかけたら苦笑いが返ってきた。


「うん。オレはゲームやらないよ。あと、オレのことはジェシーって呼べよ」


「私のことはアリサって呼んでもいいよ」


「え、あ、うん」


 アリサはともかくジェシーは無理だ。

 僕には年上の女性を呼び捨てにする度胸はない。


 えっ、というか、アリサがSinさんなの?


 Sinさんの声で喋るんだから、ジェシカさんがSinさんだよね?


 二年前から一緒にゲームしていたのは、アリサ。

 ボイスチャットで話していたのは、ジェシカさん。


 じゃあ、僕が「Sinさんと組めば誰にも負けない。最高の相棒だぜ」って思っていたのは、どっちなの。


 答えが書いてあるわけでもないのに、僕はふたりの顔を交互に見比べる。


 金髪碧眼のちびっ子と、灰色の髪で青灰色の瞳をした美女。

 対照的なふたりの、どっちがOgataSinなんだろう。


 僕の困惑を他所に、ジェシカさんは唐突にコンビニのビニール袋を付きだしてきた。


「それ、アリサの朝食ね。多めにあるからふたりで食べててよ。オレは家賃やら何やら振りこんでくるからさ。引っ越しの手続きがまだあるんだよ」


 ジェシカさんは胸元に引っかけてあったサングラスを取り、装着した。

 サングラスで目元を隠したジェシカさんは、軍人みたいに凛々しい。


 ジェシカさんは踵を返すと、行軍のようなキレのある動きで歩きだした。

 足が長く歩幅が広いから、ただ歩いているだけなのに絵になる。


 僕は見とれてしまっていたのか、見送っていたのか自分でも分からないけど、ジェシカさんがコンビニに入るまで、立ちつくしてしまった。

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