第10話 幸せのカタチ



 こちらに向かって大きく手を振りながら走ってきているのが奏乃だったからだ。

 慌てた様子でせっせかせっせか走っている。ようやく近くまで来たところで、、奏乃は足を滑らせた。前に転倒しそうになったところを、ギリギリで俺が支えた。


「危ないぞ」


「あはは、ごめんごめん」


 誤魔化すように笑って、奏乃は体勢を立て直した。

 ぱっぱと服を払って、すうはあと息を整えた後に、奏乃は俺の横に並ぶ。暫しの間その様子を見ていた俺を不思議そうに見返してきた。


「行かないの?」


 こてんと首を傾げて奏乃は言う。

 そう言ったときの彼女に、昨日の面影はなく、無理している様子も見当たらない。いつもどおりの、白井奏乃だった。


「あ、ああ……行く行く」


 言われて、俺は歩き出す。奏乃はそれに続くように横に並んで歩き始める。

 いつもどおりだった。

 怒っている感じもない。悲しんでいる様子でもない。辛そうにも見えない。昨日俺が感じたものは彼女からは見当たらない。あれは気のせいだったのだろうか。いろいろあって神経質になっていただけで、本当は何でもなかったのだろうか。


「今日ごめんね、朝行けなくて」


「え?」


「ちょっと寝坊しちゃって。遊くん、よく一人で起きれたね」


 えへへ、と舌を出しながら申し訳無さそうに奏乃は言う。


「そりゃ、一人で起きるくらいはできるって……」


「そかそか、そうだよね」


 そして、沈黙。

 いつもと変わらないのに、なぜだろうか、何かが引っかかる。

 昨日の感じはなくて、今朝来なかったのも寝坊だったから。だったら何も気にすることなんてないはずなのに。いつもと変わらないはずなのに。どうしてか二人の間に距離というか壁というか、何かがあるように感じる。


「……」


「……」


 奏乃もこちらの様子をちらちらと伺っては、俯いて誤魔化す。俺が見ていることに気づけばハッとしてまた俯いている。

 分かっている。

 ただ、踏み入るのが怖いだけだと言うのは。

 でも、たぶん放っておいてはいけないことなんだ。昨日のことは、きちんと終わらせなければならない。


「あの」


「ん、んん? なにかな?」


 緊張した様子で俺に返事をする奏乃。俺は彼女の緊張が移ったのか、乾いた唇を湿らせる。


「昨日のこと……」


「あ、あー……あれはね、えっと、気になくていいんだ」


 どう言おうか、舌の上で言葉にならないものを転がしていると、奏乃が先に口を開く。早口に、誤魔化すようにそんなことを言う。


「わたしもね、昨日家に帰っていろいろ考えたんだ。何が正解なのかなって」


「正解?」


「そう、正解……でもね、分からなかった。何が正しくて、何が間違いなのか。たぶんずっと分からないままなんだと思う。その答えは見つからなくて、だから自分が決めたことが正しいことなのかなって」


 奏乃はこちらは見ない。まっすぐ前を見て、言葉を紡ぐ。


「だからね、待つことにしたの」


「待つって、何を?」


「んー、なんだろ。誰かさんが振り向いてくれるのを、かな」


「……それって」


 言おうとして、俺は口を噤んだ。

 ここで答えを出してしまうのは、早とちりな気がした。


「いいんだよ、別に……遊くんは遊くんの好きなように進んでいけば。わたしはね、こうして遊くんの隣にいられることが、すごく幸せなことなんだ」


 そう言う奏乃は、屈託のない笑顔を俺に向ける。子供の頃に見たような、純粋な心の底からの笑顔だった。


「だから、これから遊くんがどんな道を選んでも、こうしてずっと見ていられたらなって思う。できれば、隣で歩いていたいけれど……それが、わたしの幸せ」


 奏乃の幸せ、か。

 じゃあ俺の幸せってなんなんだろう。

 考えても、きっと今答えは出ないな。


「歩いてればいいんじゃないか、別に……」


 俺は何だか気恥ずかしくて、奏乃の方は見れないままにぼそぼそと言う。それでも彼女にはしっかりと伝わったようで、にこりと笑って俺に並ぶ。


「じゃあ、そうしようかな」


 ハッピーエンドについて、考えてみた。


「遊くんはどう? 今、幸せかなあ?」


 失ったと思ったものはそこにあって。

 思ったからこそ、大切だということに気づいて。

 けれど、それを言葉にすることはできなくて。自分の気持ちも分からないままで。


「……さあな」


 その大切なものは、すぐそこにある。

 俺にとっての幸せのカタチはまだ分からない。たぶんこれからもずっと探し続けていくんだと思う。本当の幸せは、まだまだ手に入りそうにないけれど――。


「そっかあ、わからないか。それなら仕方ないね」


 そのカケラは、確かにこの手の中にあった。


「何だよ、その顔……」


 にやにやと笑う奏乃の顔が何だかやけに嬉しそうで、俺は照れ隠しのように無愛想に言った。それでも彼女の笑顔はなくならない。


「んーん、なんでもない」


 俺の物語のハッピーエンドは、まだ見つかりそうもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたの理想のヒロインが目の前にいるというのにどうして気づいてくれないの? ――思考提供、白井奏乃(美少女) 白玉ぜんざい @hu__go

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ