第5話

「ええい鬱陶うっとうしい! わたくしはあなた方のようなクソジャリに興味はないんでございますぅ!」

 そういえばどうやって部屋に帰ろうか、なんて思案をしながら帰ってくるとロビーで和装に着替えたツイナが多数の男子生徒に言い寄られていた。

 その気持ちは痛いほどに理解できる。

「ああご主人、ようやくお帰りになってくださいましたか!」

 なんたってツイナは黙っていれば芍薬を思わせる美人、﨟長ろうたける泥中の蓮なのだから。

 いち男としては口説いておかないと失礼とさえ感じることだろう。

「ほれシッシッ、さっさと寝蔵に帰って一人悲しくマスでもかいてなさいジャリンコ共!」

 他人の背中に隠れて言いたい放題なツイナ。

 デブにとってはコミュニティに属すのだけでも花が折れるというのにそんな暴言吐かれたらほら、徐々に和服美人をはべらせた羨望せんぼうから敵意の眼差しに早変わり。

「んんwww身内がとんで失礼をwww拙僧としては仲良くいきたいとこだっちゃwww」

「黙れデブ」

「喋るな腐れナード」

 言いたい放題言って去っていく男たち。

「ひぎぃwwwちべたいwwwキンッキンに冷えてやがるwwwん゛あ゛あ゛あ゛wwwwww」

「そんな事よりも夕餉ゆうげにしましょう、はいこれ。冷蔵庫には飲料しかございませんから、今晩は食堂を使いましょう」

 ツイナから電子生徒証を受け取ってからロビー左手、食堂棟に向かう。

 夕飯時ということもあって、生徒や教員で混み合っていた。

 食券機にできた長蛇の列に並び、夕飯は何にしようかと腕組みをして悩む。

 腕の長さが足りなくて組めていないのはご愛嬌。

 悩んでいる内にも列はどんどん消化されていく。

 長蛇であってもすることといえば食券を買うだけなので、一人あたりにそう時間は掛からない。

「ご主人ご主人、私の分は結構ですからね?」

 悩んでいるとツイナが袖を引いた。

「懐もそれほど暖かいというわけではありませんし、一先ずは自炊できる環境になるまで凌ぐのが焦眉の急。節制しましょう節制」

 確かにツイナは人ではなく神霊。食事もしなければ排泄もしない。

 できないというわけではないが必要がない。

 そして学園内では日本円ではなく独自通貨CREDITがまかり通っている。

 現在の手持ちは入学と共に配布された一万から雑費が飛んで七千ちょっと。

 節約すべきというツイナの言い分は正しい。

「だがしかし、否、断じて否ッ! 食べるという行為はつまり命の洗濯。憤怒、悲壮、怠惰、いずれも食事によって解消されるもの。腹を膨らますというのは副産物、食事という行為が満たすのは腹ではなく心。だから絶対に食事は節制してはいけないし徒疎かにしてはいけない。そんな財布の中身を心配して遠慮なんてしなくていいのだよ、わかったかなワトソンくん?」

「んもう、ご主人のそういう優しさ昔から変わらなくて好き…………発情してしまいます」

 艶かしく頬を染めるツイナの後半の言葉は聞かなかったことにして、食事という行為に対して抱く都京太郎の持論は概ね口にした通り。

 食事とは独りで静かで豊かでならないという意見もある。そういう気持ちにも理解は示せる。

 しかしそれはあくまで食への探訪たんぼうをしている時に限った話。

 普段の、栄養を摂取する食事は親しい者と食卓を囲んだ団欒だんらん。これが好ましい。

 だが食事は自由で救われてなきゃいけないという部分には違いない。

 それはそれとして何を食べようか、指をメトロノームに見立てて左右に振りながら佇立する。

 券売機も既に目と鼻の先、あまり迷っている時間はない。

 仕方ないので脳内の都京太郎に召集を掛ける。

「はーい集合! みんな何が食べたい?」

「炒飯」

「カレー」

「マグロのたたき丼膳」

「酢豚」

「ミートスパ」

「チタププ」

 ヴィジュアル系ロックバンドKYO、方向性の違いから解散。

「まとめなさいよ、せめて和洋くらいはまとめなさいよ。こんなんユーゴスラビアだって崩壊するわ。しかも最後に至っては完全に最近読んだ漫画に引っ張られてるじゃん。無いよ、こんな所にアイヌ料理なんて置いて無いから」

「ご主人どうしました、空きましたよ?」

 考えがまとまらないまま列の先頭に躍り出てしまった。

 ここで悩んでいる時間もない。後ろがつかえている。

「ご主人?」

「…………うーん、全部w」

 六品に加え白米一品にツイナの一品、そして飲料二つで所持金が半分を切った。まさかチタププまであるとは恐れ入った。

 明日からどうやって生きていこうか。

 生徒証が振動したのでロックを解除すると料理の出来上がった通知が来ていた。

 十数人体制で並行して忙しなく料理を作っているとはいえおそるべき速さだった。

「あれw燕氏ではござらんかwww」

 トレーを両手に座る席を探していると、独り周りから浮いたようにポツンと座って食事をしている冬薙燕を見つける。

 正式に転入するのは明日からとはいえ、一瞬到底教師が生徒にしてはいけない顔を向けられた。

「…………おい、誰が座っていいと言った」

「まあまあwここくらいしか席空いてないから勘弁してくだちぃwww」

 トレーをテーブルに置いてツイナと共に京太郎は冬薙の対面に座る。

 テーブルに置かれた料理の量を見て、冬薙がピクリと眉を釣り上げる。

「まさかおまえ一人でそれを食うつもりか?」

「そらもう育ち盛りですので?」

「それ以上肥えてどうするつもりだ……!」

「ホアーッ! 締め付けんといてぇwww頭がパーンてwwwwww危険な領域に突入しちゃうからwww燕氏やめちくりーwww」

 頭を見えない力で締め付けられるがそれでも京太郎のカレーを食べる手は止まらない。

 人間が生まれてしまったら呼吸を辞めれないように、デブは一度箸を取ってしまったら食べるのを辞められない。

「燕と呼ぶのをやめろ、都京太郎を名乗る肉塊に呼ばれる筋合いはない」

「ぼくが本物だっちゃwwwアヒィwwwwww強めんといてwww」

「づーぢゃん゛ん゛ん゛っ!」

 タックルめいた抱擁ほうようの横槍が冬薙の頭部に直撃し、締め付けていた力場が消滅する。

「ふう、危ない危ない来迎らいごうがちょろっと見えてしまいましたぞ…………拙僧、入寂にゅうじゃくする時はライバルの息子を庇って覚醒を促しながら死ぬと決めておりますので」

「まあ私としてはご主人の御魂を拉致って情欲まみれの退廃的後宮ライフにしけこめるので一向に構わないのですが……まあ、肉の悦びというのもありますし」

 今のも聞かなかった事にして食事に集中する。

 パスタオカズに白米。炒飯オカズに白米。酢豚オカズに白米。白米オカズに白米。

「づがれ゛だよ゛お゛〜! もうお酒飲んでいいでしょいいよね!?」

 冬薙の頭を抱えたまま顔を擦り付ける赤髪の女性。

(はて、見覚えのあるような────ああ、暁。思い当たった、あかつき秋水しゅうすい。猫のひたいほどに狭い燕氏の交友に座る幼馴染の方でしたな)

 幼い頃、冬薙が連れ帰ってきた事があったのを思い出す。

 その時になんやかんやとありもしたが、遠い記憶。

「……私は勤務中に酒を飲むなと言ったんだ、仕事を終えたのならとやかく言う筋合いはない」

 その言葉に暁はパア、と光り輝きそうなくらいの笑みを咲かせて駆け足に酒を買いに行った。

 そんなに酒が飲みたかったのだろうか。

「つーちゃん氏はお酒飲まなアアーッ!! 殺さねえでけろ殺さねえでけろ締め付けないでとは言ったけど圧し潰しにシフトして欲しいって事じゃないでやんすいでででで轢かれたカエルになっちゃうwww三元豚のパラパラ炒飯が美味しいwww食いながら死ぬwwwヒィwwwこれはおそらく出来合いの調味料で工程を短縮せずに、中華鍋で米を炒めるのと同時に醤油をまぶして味を付けた物かと推測されますね、米も無洗米を炊飯器で無造作に炊いたのではなくわざわざ手洗いしてかまどで炊いたのかと思います。ふっくらとしていて噛むほどに旨味が滲み出てくるのがその証拠。日本人好みなジャポニカ米のもちもち感を残したまま、されど米同士がくっつくほどベタつかない。卓越した技術による調理。グレートですよ、こいつは」

「急に口調を変えるな気色悪い!」

「つーちゃんも飲もー!」

「飲まん! 抱き着くのもやめろ!」

 抱き着いた暁を振り払うのにのし掛かっていた重力が消える。

 あやうく内側から爆発する人みたいになって戻らないところだった。

「フォス…………お早いお帰り感謝いたしますぞ暁氏w」

「ん…………もしかしてきょーくん? 久しぶりー、おっきくなったねぇ!」

「この体たらくが大きくなったで済むか」

「そーお? 男子三日会わざれば刮目せよって言うし八年も会ってなければそんなものじゃない?」

「いっそ清々しいくらいアバウトなのにインテリっぽい言葉を使っているせいでキャラが迷子。明日はどっちだ」

「いやー、でもめでたいねぇ。つーちゃんもここ数年忙しくて帰れてなかったから久々の再会でしょー? うーんめでたい、お酒も進んじゃうなー!」

 抱えていた一升瓶の王冠を指で引き剥がし、大吟醸だいぎんじょうをラッパ飲み。

「膵臓への被害をかえりみないムーヴに親近感湧いちゃうなあ」

 西に争いの種あれば火消しに、東にあればそのまま本初子午線突っ切って消しに行くような多忙な立場。

 そのうえ学園で教鞭を振るっているというのだから帰省できないほど忙殺されたってしかたない。

 つい先日まで京太郎たちが暮らしていたのは内陸部の山間にある交通網の不便な小さな町。

 そんな所、足を運ぶのだって一苦労なはずだった。

「おーっと、拙僧とした事がペース配分を見誤って白米を切らしてしまう痛恨のミス。これはまた買ってくるしかない。ということで暁氏、なにか食べます?」

「んー? そだねーぇ、おつまみが欲しいかなーぁ?」

 一升瓶から口を離した暁の顔は上気してほんのりと赤く、完全にいた。

「うーむ、十把一絡げにつまみと言っても多岐に渡りそれぞれ役割が異なりますからね、酒の味に飽きが来ないようにアクセントになる辛味処、酒が進む味付けの甘辛処。食べ合わせの大事さが顕著けんちょな例ですからな。本来なら酒の傾向を加味して考えなければいけないんですが暁氏の飲んでいる酒がどんな風味なのかわからない。となるとどんな物にも対応できる王道が堅いか? ありきたり、定番と言えば聞こえは悪いが、定番に変わる安定性もまた無い。となるとやはりツマミといえば枝豆……いや、先ほどまで仕事していた様子、つまりは夕食がまだ……それなら腹を満たす事も兼ねた方が……?」

 自分が食べるわけではないが食事を一任されたのなら、どれだけ食へ真摯しんしか、知悉ちしつしているかというデブの問いどころ。妥協は許されない。

 悩みつつも、残りの料理が冷めぬよう迅速に券売機へ向かう。

「……一応言っておきますけど、あなたがご主人の身を案じて帰らなかったことくらいご主人だって承知しています」

 京太郎が席から離れたのを尻目に湯呑みを傾け、口腔を整えたツイナが独り言のように漏らす。

「貴女が帰らなくなってから、ご主人は大変おいたわしい日々を送ってまいりました。都の技をお祖父様に本腰を入れて享受するよう頭を下げて、血が滲むような思いをしながら鍛錬に身をやつして大童おおわらわ。右腕の包帯だって毎日毎日遮二無二巻藁を突いていた生々しい傷を隠すためにございます」

 ツイナの独り言に冬薙は箸を止めて聞き入る。

「それもこれも貴女に心配をかけぬため。この学園に来たのだって元を辿れば貴女に守ってもらわなくても大丈夫だと見せるために、わざわざ平和な生活を蹴ってきたのでございます。それなのにご主人に恨まれているんじゃないかだの嫌われていないかだのと、うじうじ悩んでいるのは失礼千万。終いには頭からぱっくりいきますよ?」

 ギラリ。ツイナが到底人間のモノとは思えない牙を冬薙に向けて鈍く光らせた。

「………………そう、か。あいつが、な」

 複雑に感情の絡まった表情で、冬薙は笑う。

 何故笑ったかのなんて、自身でもわかっていない。

 それでも、喜びに類する感情が大きい事だけは確かだった。

「おおっと何やら剣呑けんのんとした空気、これは拙僧を巡ってキャットファイトが起こったと見て然るべきか?」

「まさか、ご冗談を。私は人間とは違ってご主人の死後も付き添えるのです。現世限りの付き合いしかできない小娘共なんて相手にすらなりません」

「聞こえなーいwwwデブだから耳に肉詰まってて聞こえなーいwwwwww」

「それに私、ネコ科イヌ目ですのでどちらかといえばドッグファイトでございます」

「それ別物では?」

 戻ってきた京太郎がツイナと軽い漫才を交わしながら机に大盛りライスと考え抜いた結果のツマミ、手羽先の皿を置く。

 机に項垂うなだれながら酒を煽っていた暁が目の前に置かれた手羽先の山に目を輝かせる。

「わーいありがとーぅ! 私が手羽先好きなの教えたっけーぇ? まーいいやぁ、きょーくん大好きーぃ!」

「ご主人退いてくださいそいつ殺せない」

「さっきまでの余裕は何処いずこ?」

 知己と戯れている間にも夜はけていく。

 月光が夜桜を照らす島で、健やかに。

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