第4話

「さあ本日もこの時間がやって参りました皆様お馴染みデブさんぽ。本日のコースは衛士島の学園敷地内の知らん道です。ユクゾー!」

 と、意気揚々いきようように歩みだせども、行き先はない。

 この島で生きていくうえで必須の電子生徒証も突然なことだったので所持していない。

 未だに机の上で充電中である。

 観光地とはいえ衛星通信のできる情報端末が一人に一台普及している古今ここん、わざわざ案内図なんて設置されているわけもない。

 その辺で時間を潰そうにも無一文。できることはない。

 そうなればもう、学園周辺を彷徨うくらいしか選択肢は残されていなかった。

「うーん、デブキャラなのに食べ物を常備していないとはこれ如何に。アイデンティティのためにせめて飴ちゃんくらいは装備しておきたい拙僧であった」

 モノローグと共に学園周辺を探索する。

 明日から暫く通い詰める場所なのだから景色を覚えるのが早いに越したことはない。

「普段の外出ではヘッドホンで般若心経を聴きながら歩く拙僧ですが、こういった環境音を聴くというのもたまには乙なもんですな……おや、踏み慣らされた獣道をハケーン」

 学園の南側に回ったところ、林の一部に雑草の折れ曲がった部分を見つけた。

 その先には何もなく、島の端に出るだけのはずだった。

 そんな所に向かう理由はいかなる状況でも思いつかない。

 身を投げるにしても雑草に折り目がつくほど往き来することはない。

 そうなるとなんだろうか、頭を捻る。

「ま、まさか伝説の、カップル御用達なアオカンスポット……っ!」

 覗きの趣味はないがそこは青少年。

 心の中の出歯亀ピーピング・トムが突撃サインを出して尻を叩く。

「ダイジョブダイジョブ、スニーキングミッションならもう八作品もやった。拙僧ならできるできるバレないバレない。それにもしかすると彼氏側が倒錯的な性癖を有していてタナボタ展開が待っている可能性が無きにしも非ず……!」

 身を屈めて草むらを行く姿は四股しこを踏んだ力士、あるいは四足歩行中の熊そのものだったが生憎と周囲は無人。

 まったくもって忍べていない事を指摘する者はいなかった。

「……………………」

 忍び足で牛歩を重ねて数分。

 人の気配はおろか鳥の声さえ聞こえない。

 誰もいそうになかった。

 夕時とはいえ流石に学生時分でも外で盛るような不届き者はいなかったらしい。いささか残念な気持ちがあったのは否定しない。

「ふぅ…………あでででで、デブは寝転がってないと体にダメージが発生するのがネックですな。まあ首は無いんでござるがw」

 立ち上がると腰に押し寄せる乳酸に身をよじる。

 キラリと突如視界に入った光を手で遮る。

 光の正体は夕陽、気づけば空はあかね色に染まっていた。

 そろそろ帰ろうか、と思いつつもせっかくだから水平線に沈む太陽を見たいなんて感傷的な考えが浮かぶ。

 なにせ四方を尾根に囲まれた山育ち田舎育ち。

 磯の香りで鼻腔びこうを満たしながら煌めく海を見るのは味わえない体験だった。

 夢想するとより経験しておきたいという思いに拍車がかかる。

 そうと決まれば急げや急げ、衛士島の端を目指して行軍。

 全方位似たような景色で迷わずに帰れるようにと足元の草を踏み慣らして目印を付けておく。

 ────と、


 バキンバキンバキン。


「デュワァァァァーーーーッ!?」


 突然耳元で炸裂した破砕の音に光の国の戦士みたいな叫び声が出てしまった。

 瞬時に転身。意識を戦闘態勢シリアスモードに切り替えて身構える。

 しかし待てども待てども周囲に変化の訪れる様子はない。

「…………んもーなんでございますの、おっかないでございますわよ!」

 なんだか引き返すのもしゃくなのでポケットから数珠を取り出し誦経じゅきょうをしながらも進む。

 そうして足を止めず、唱えたお経が五周ほどしたころ。拓けた空間に出た。

「ほわ…………」

 衛士島はその性質上、テロ組織などに狙われる事が多い。

 そのため島周辺の海底から上空までに魔術的な防壁が張られているために攻撃の一切が島に辿り着くことなく防壁に弾かれている。

 とは言っても防壁が阻むのは一定の速度以上で飛来したもの、魔力を帯びた物体に限るので人や物は通過することができる。

 そして防壁をくぐってから繰り出された攻撃には反応しない。

 あくまで大規模な攻撃に対する防衛策なので上陸されてしまえば無力なのだ。

 そのため衛士島は海上からの侵入を阻むために円錐を返したような形になっていて、島の端はどこもせり出した崖ばかりになっている。

 そんな、衛士島南の端。切り立った崖にそれは在った。

 見る者全てに畏敬の念を抱かせる巨体。

 白桜の衣を纏い、枯れる姿なんて想像できない生命力を匂わせる大樹がそこに鎮座していた。

 捻れながらも天へと伸びる枝々からは生命の奔流といった意匠を感じる。

 幹は巨人の脚が如く太々としていて、雨風など何のそのとたくましい。

 間違いなく樹齢三桁では済まない、相当の力を溜め込んで霊木に至ったものだ。

「昔の映画で見た……子供にしか見えないのが住んでるやつ…………」

 一端の神主として畏れを抱きつつも根元に大穴が空いてたりドングリが落ちてないものかと期待して、その太い幹の周りをぐるぐると周回する。

「いやしかし、これなら紙垂しでで括って御神木に祀っていてもおかしくない代物なんですがなぁ……科学の側面の強い学園とはいえ魔術も取り扱っている学園がこれを放っておくのは不思議不思議。我が家の樹齢百と二十余年の御神木と交換して欲しいくらいでござる。祀った所でなにか御利益があるわけではないにしろこれほどのモノを放置するのはちょーっと頂けない」

 かじった程度とはいえ神道に身を置く人間として看過はできない。

 もし学園側が把握していないだけだと言うのなら出雲あたりの立派な神職に清めた縄を締めてもらい紙垂を折ってもらうが、もし承知の上で捨て置いているのなら自分でやるしかない。

「それはそうといくら探しても穴が見つからん。トロロはどこでい!」

「そないにくるくる回っとるとバターになってしまいはるよ?」

 ふと顔を上げると枝に腰をかけた少女が脚を宙に放って愉快そうに見下ろしていた。

 髪は真っ赤な夕焼けを受けて黒曜こくようの色を放ち、逆光で黒く見えた服装に違いはなく。

 この学園には似つかわしくない、黒のセーラー服。

 白磁の裸足を宙に投げる少女は幽世かくりよからでも現れたようなおぼろな雰囲気を纏っていた。

「ホホッwご心配には及ばず、拙僧この通り虎というより豚ですので」

「ほなバターじゃなくてなにになりはるん? 背脂?」

「コポォwww初対面なのに容赦ねえwww」

「ほんで、こないな所になにしに来たん? この通りなにもあらへんよ」

「そのようですな。しかしまあ、これだけご立派な桜と夕焼けがあれば足を向けるには十分でしょうや」

 同意の念があったのか、少女はそれ以上なにも言わずにじっと水平線を見つめていた。

 黄昏た少女の視界に入らないようにと数歩下がって夕陽を見る。

「──────」

 だがしかし、ああしかし。

 当初の目的なんて忘れてしまうほどに、その情景は美しかった。

 かすかな少女は弱々しく、力強い太陽との対比でより儚く見えて透けてしまいそうなくらいだった。

 単純に言ってしまえば、その光景に見惚れていたのだ。

 百万ドルの夜景、というモノがあるのなら、こちらは百億円の夕暮れ。

 まるで絵画のよう、なんて称賛もちんけに思える。そんな、一時いっとき

「…………」

 呆然と立ち尽くしてどれくらい経っただろう。

 どれくらい経った、なんて大袈裟な言い方をするほど長い時間は経っていないのかもしれない。

 ほんの一瞬。欠伸を食むほどだろうか、それとも本当に何時間も経過したか。

 事実はどれにしたって、塵点劫じんでんごう。体感ではとても長く、ながい時間だった。

 ふと、彼女の視線が游いだかと思うと、まだ居たことに少し驚いたのか見開かれて、すぐさまたおやかな笑みに変わった。

「写真、撮らなくてええん?」

「え、ええまあ。拙僧は景色に意味はなく、景色を見る事に意味があると思ってるタチなので写真を撮る事は少ないですな。チェキは別として」

「へえ、みやびやねぇ」

「拙僧の体型からは一番遠い言葉ですなwww」

 それからまた静寂。とくに気まずさもなく、ただ二人して海に呑まれる太陽を眺めていた。

 太陽が隠れるまで瞬きほどといったところで、少女はまた口を開いた。

「ん、そろそろ帰りぃ。ここらん夜道は慣れてんと危ないで」

 確かにここへ来るにはどうやっても通らないといけない林は、生い茂った葉の傘が空からの光を遮り、足元が見え辛かった。

 土地勘もなくふらふらとしていたらうっかり傾斜を踏み外して海へドボン、になんてことになりかねない。

「それでは忠告を聞き入りまして、不肖都京太郎お先に失礼いたしもうす!」

「ん、ほなまたね」

 手を振って見送る少女に振り返して林道に突入する。

 飛び出た枝が腹を引っ掻いてミミズ腫れを作っていた。

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