12/25 プディングに願いを

 いつもよりきつめにエプロンの紐を締め、気合を入れた。


 ストーブの上の鍋でプディングは温めてある。搾りたてのミルクからホイップクリームも作った。準備に抜かりはない、はず。


 そうだ、あのカレンダーは。今日は何て書いてあるんだろう?

 なんてったって、今日はのクリスマス。特別なことが書かれているかもしれない。ちょっと期待して、壁にかけられたお馴染みのカレンダーに目をやる。


「あれ?」思わず声が出た。


 25日のところには、相変わらず♡が描かれていたけど、なかには何のメッセージも書かれていない。代わりに♡の内側が、濃いピンクで塗りつぶされていた。


(それだけ……?)


 完全に肩透かしをくらった気分。それでも、その色づいた♡から何故か目が離せなかった。今まで意味のないメッセージは無かった。そう、昨日だって。だから、きっとコレも——。

 けど、それを考え始めた矢先。彼女がやってきた。


「お待たせ!」

 颯爽と入ってくる白黒ストライプのドレス。金の柔らかそうな髪の隙間から、こちらをやや挑戦的に見つめるグリーンの瞳。


 即座に、部屋の空いたスペースに木製のテーブルと2脚の椅子が生える。テーブルの上には、火が灯った真っ赤なキャンドルまであった。


 「あら、素敵。ムード満点じゃない」とからかうように言って、レディは生えたての椅子に座る。でも実のところ、結構緊張しているようだ。座る背筋が、いつもより妙にピンとしている。その様子が何だか可笑しくて、ついつい笑いそうになってしまうのを必死で堪えた。


「じゃあ、プディングの用意をはじめるよ」


 レディに声がけして、鍋からプディングを型ごと取り出し【銀色のお皿】の上に逆さまにして置く。曲げた指の関節を数回強めに打ち付けると、カパッという気持ちの良い音。湯気をまとった熱々の【クリスマス・プディング】が姿を現した。


 十分に寝かせられたプディングは、テラテラとした深い飴色。その頂上に青々とした【ヒイラギの葉っぱ】を飾る。


 ——さあ、ここからが本番だ。


 さっと目配せをすると、部屋のカーテンがシャララと一人でに閉まる。


(わかってるじゃないか)


 最後の最後に、この場所とも連携が取れて何だか嬉しい。


 暗くなった部屋で、厨房に置いてあったレードルにブランデーを注ぎ、底をキャンドルの炎で熱していく。ジジジ。琥珀色の液体の縁が泡立ってきたところでレードルを少し傾ければ、アルコールに火が燃え移った。

 

 これを、一気にクリスマス・プディングの上に注ぐ。


 ボワッ!!!!! 

 たちまちプディングは、メラメラと燃え盛る青白い炎に包まれた。


「わぁーお!!!」歓声をあげて、レディがパチパチと大きく拍手をする。期待通りの反応。僕も思わず頬が緩んだ。


 火が収まったところで、ホイップクリームをこれでもかというくらい、たっぷりと乗せていく。

 プディングの熱でふわっふわのクリームが倒れ込むように溶け、タラリタラリ。表面を緩やかに白く伝っていった。


 辺りに立ち込める、発酵したフルーツにスパイス、洋酒の華やかさとミルクの甘みが入り混じった、複雑かつ重厚な魅惑的な香り。


 ゴクリ。レディの喉が鳴ったのが聞こえる。


 向かいの椅子に腰掛けた僕は、ツツッと皿をレディに寄せ、【素敵なスプーン】を差し出した。


「はい、召し上がれ」




 ◆




 プディングをじーーーっと、穴が開くんじゃないかと思えるほど見つめたあと、レディは勢いよく一口ほおばった。


 小さな口が、舌が、探るようにゆっくりゆっくり咀嚼する。それを、僕は祈るような気持ちで見守った。


(自信はある。けれど大切なのは、食べた人がどう思うかだ)


 息をつめる。永遠かと思える時間。

 心臓の音に、自分が飲みこまれそうだ。


 コクっとプディングが飲み込まれる。レディは、ほう、と息を吐き

「——おいしい」と、満足げに目を細めた。


 良かったっっっ……! 安堵で緊張がとけ、僕はガッツポーズをしながら背もたれにだらしなく体を預ける。


 やだ、大袈裟ね。笑ったレディは「これならサンタも気にいるわよ、アタシが保証するわ」と、スプーンを即座に戻そうとしてきた。


(そうだ、呆けてる場合じゃない!)


 僕は姿勢を正すと、その手を押し返した。


「そのことなんだけど……。その……もし良ければ……このクリスマス・プディングを、僕からレディへのプレゼントにさせてもらえないかな……?」

「え……?」


 パッチリと大きく見開かれた眼には、驚きの色が浮かんでいる。


「ほら、あの手紙には『美味しいクリスマス・プディングを完成させてね』とはあったけど、それを誰にあげるか、誰に食べてもらうか、までは書いてなかっただろ? けれど、僕はやっぱりあげる相手のことを想って作りたいって思ったんだ。お菓子って、本来そういうものだと思うから」


 言いながら、告白をしているみたいな気持ちになる。今まで、やったことなんて無いけど。でも、実際コレはそうなのかもしれない。口にしているこの想いに、嘘偽りはないんだから。


「……それで、レディ。その相手は君以外、考えられなかった。ここに来て、君がいなかったら、僕はなんにもできなかった。材料を探すのは大変だったけど……でも楽しかったんだ。会えて、本当に良かったと思ってる。だから——このプディングは君を想って、君に食べてもらいたいと思って作ったものなんだ。勝手にごめん。でもどうか、受け取ってもらえないかな?」


 緊張で語尾が震える。


「……これ、アタシのもの? 全部?」

「そう、全部」

「アタシだけの?」

「そう、レディだけのものだ」


 しばらく黙り込んだ後、レディはたかが外れたように、凄まじい勢いでプディングを食べはじめた。ガツガツと、いつもの優雅さとは程遠い仕草。貪るように口に運ぶ。


 レディは泣いていた。


「……しい。アタシ、こんなにおいしいもの食べたの初めて」


 瞳から大粒の涙が次々と生まれて、テーブルに染みをつくっていく。思っても見なかった反応に、僕はどうしたらよいかわからなくなって、ただただ固まった。


 涙の隙間から、レディはポツポツと絞り出すように話す。


「————あのね。……アタシ、ずっとずーっと昔から橋を見守ってきたの。だれもかれもがアタシのことなんて忘れて、一人きりになってからも、ずっと。の幸せのために。それがアタシの義務だから。でも本当は凄く寂しかった。だって、そのの中に、アタシは含まれていないんだもの。……だからね、思ってたの。誰かがのためにくれるものがあったらな、って。そういうものが一つでもあれば、きっとこの先も頑張れるから」

「もしかして……プディングを作る時にしてた願い事って……」

 僕の頭には、一生懸命にプディングの生地をかき混ぜていた彼女の姿が過ぎる。

「ええ、そうよ」

 レディは頷く。

「ありがとう、コータ……。アタシ、願いが叶ったわ。こんな素敵なプレゼントを貰えるなんて、夢みたい」


 少し止みかけていた涙がまた流れる。僕は手を伸ばして、コックコートの袖でそれを受け止めようとしたけど、それもたちまちびしょ濡れになってしまった。


「ねえ、レディ。泣かないで。もっともっと沢山、美味しいお菓子を作ってあげるよ。そうだ! ここにある材料でもまだ——」


 椅子から立ち上がり、厨房を見回す。

 ああ、今までだって、いくらでも作ってあげられるチャンスはあったのに。なのに、なんで……! あまりの気の利かなさ、不甲斐なさに、自分で自分が恥ずかしくなった。


「……ふふ、それは素敵ね。————でも、もう時間が来たみたい」


 すっと腕を伸ばし、レディが僕の後ろを指差す。

 へっ? 振り返ると、薄暗い部屋の中であのカレンダーが浮き上がるように光っていた。


 驚いている間に、カレンダーは自分で壁からぴょいと飛び降り、トコトコと僕の横に歩いて来たかと思うと、クリスマスツリーの形をした扉に変わる。パカリと開いたその向こうには、眩いほどの光が満ちている。


「扉が開いてるうちに、行った方がいいわ。サンタは気まぐれだもの」


 そんな! 待って。こんな突然さよならだなんて嫌だ。まだちゃんとお礼も言えていないのに。必死で伝えようとするけど、なぜか声が出ない。


 レディは、戸惑う僕の手をとり、そっと握ってくる。


「コータ。いつか、いつかきっと会いに行くわ。だからその時は——」


  “最高のお菓子を食べさせて”


 いつもと同じ、ちょっと悪戯っぽい声。

 繋がれていた手は、そこで離された。


 光に引き込まれて、僕は扉のなかに落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて………

























「おい、シノ! シノザキ コウタ! 聞いてんのか?」


 気がつくと、僕は厨房にいた。それは、いつも働いていた場所。

 見慣れた洋菓子店のものだ。


「は、はいっ!」慌てて返事をする。

「お前、大丈夫かぁ? ここ何日かずっとそんな調子だろ」

 眉間に皺を寄せた先輩が、腰に手を当てて不審そうにこっちを見ている。

「何言っても反応鈍いし、心配してたんだぜ。まあ、疲れてんだろうな。後片付けも終わったんだし、お前も早く帰れよ。25日が済んだ明日からは、ちょっとはマシだろうから。——じゃ、お先っ!」

 早口でそう言うと、先輩はさっさとフロックコートを着込んで、出て行ってしまった。


 どうやら先輩の言葉に寄れば、今日は25日で、仕事はひと段落した後のようだ。すでに皆帰ったらしく、厨房にはもう僕しかいない。


 鈍いステンレスの光に囲まれて、考える。

 今までのは全部夢? 幻?


 チクリと太ももに違和感を感じて、エプロンのポケットに手を差し入れると何かが入っている。


 まさか。


 急いで取り出してみると、それはサンタクロースからのメッセージ……——ではなくて、自分が書いた退職願だった。


 そうだった。僕はもう、この職場も、パティシエの仕事も辞めるつもりで。



 ……


 ……


 ……


 ……


 ……


 ……


 (でも。)


 ビリビリッと僕は勢いよく封筒を破り、ゴミ箱に突っ込んだ。

 そのまま店を出て、イルミネーションに彩られた街へ足を踏み出す。



 瞼に浮かぶあの顔、耳下に刻まれたあの声。手に残る感触。袖に残る、確かな涙の跡。



 ——そうだ。あれは、けして夢なんかじゃない。


  

 凍てつく空気に、吐く息が瞬く間に白くなって混じっていく。

 でも、不思議と寒いとは思わなかった。


 感じる、確かな『熱』。

 思わず胸元に手を置く。


(そうか、色づくハートは……)


 …………ははっ。

 思わず笑いが漏れた。じわり、視界が潤む。


 良かった。僕はまだ、やれる。まだ、やりたい。

 楽ではないけれど……でもやっぱり、僕は自分のこの仕事が好きだ。


 一番大切な始まりの気持ち。

 “お菓子で人を幸せにしたい”


 そんな単純なことを、忘れようとしていた。

 自信のなさに押しつぶされて。


 でも自信が必要って言うなら、思い出せばいいじゃないか。この不思議な数日間のことを。一日中、お菓子の材料を追い回すなんて、したことあるのはきっとだ。



 知らず知らず口角が上がる。


 さあ、忙しくなるぞ。やらなきゃいけないことは山積み。

 もっともっと腕を磨かなくちゃ。

 帰ったら何する?

 明日は? 明後日は?


 時には休んで、でも最後まで決して諦めはしない。

 自分を信じて、前を向いて、歩く、駆ける。



 ——だって、決めたんだ。

 『いつかまた会うあの子に、最高のお菓子を』って。




 見上げた冬の夜空から、軽やかな鈴の音が聴こえた気がした。






 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*


『Christmas days』

(クリスマスの12日間)


  The first day of Christmas

  My true love sent to me

  A partridge in a pear tree.


  The second day of Christmas

  My true love sent to me

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The third day of Christmas

  My true love sent to me

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The forth day of christmas

  My true love sent to me

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The fifth day of christmas

  My true love sent to me

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The sixth day of christmas

  My true love sent to me

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The seventh day of Christmas

  My true love sent to me

  Seven swans a-swimming,

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The eighth day of Christmas

  My true love sent to me

  Eight maids a-milking,

  Seven swans a-swimming,

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The ninth day of christmas

  My true love sent to me

  Nine drummers drumming,

  Eight maids a-milking,

  Seven swans a-swimming,

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The tenth day of Christmas

  My true love sent to me

  Ten pipers piping,

  Nine drummers drumming,

  Eight maids a-milking,

  Seven swans a-swimming,

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The eleventh day of Christmas

  My true love sent to me

  Eleven ladies dancing,

  Ten pipers piping,

  Nine drummers drumming,

  Eight maids a-milking,

  Seven swans a-swimming,

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  The twelfth day of Christmas

  My true love sent to me

  Twelve lords a-leaping,

  Eleven ladies dancing,

  Ten pipers piping,

  Nine drummers drumming,

  Eight maids a-milking,

  Seven swans a-swimming,

  Six geese a-laying,

  Five gold rings,

  Four colly birds,

  Three French hens,

  Two turtle doves, and

  A partridge in a pear tree.


  クリスマスの一日目に

  あの人が私にくれたものは

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの二日目に

  あの人が私にくれたものは

  二羽の仲良しのキジバトと

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの三日目に

  あの人が私にくれたものは

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの四日目に

  あの人が私にくれたものは

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの五日目に

  あの人が私にくれたものは

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの六日目に

  あの人が私にくれたものは

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの七日目に

  あの人が私にくれたものは

  七羽の泳ぐ白鳥に

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの八日目に

  あの人が私にくれたものは

  八人のミルク絞り人形に

  七羽の泳ぐ白鳥に

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの九日目に

  あの人が私にくれたものは

  九人の太鼓たたきに

  八人のミルク絞り人形に

  七羽の泳ぐ白鳥に

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの十日目に

  あの人が私にくれたものは

  十人の笛吹き役者に

  九人の太鼓たたきに

  八人のミルク絞り人形に

  七羽の泳ぐ白鳥に

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの十一日目に

  あの人が私にくれたものは

  十一人の踊り子たちに

  十人の笛吹き役者に

  九人の太鼓たたきに

  八人のミルク絞り人形に

  七羽の泳ぐ白鳥に

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


  クリスマスの十二日目に

  あの人が私にくれたものは

  十二人の飛び跳ねる男たちに

  十一人の踊り子たちに

  十人の笛吹き役者に

  九人の太鼓たたきに

  八人のミルク絞り人形に

  七羽の泳ぐ白鳥に

  六羽のお母さんガチョウに

  五つの金の指輪に

  四羽のコリーバードに

  三羽のフランス鶏に

  二羽の仲良しのキジバトに

  梨の木にいたヤマウズラ


 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 fin.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クリスマス・プディング作りをめぐる冒険 コノハナ ヨル @KONOHANA_YORU

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ