第17話 意思の可能性

「じぃちゃん、連れてきたよ~」

そこにはいかにも聡明そうな老紳士がゆったりと椅子に腰掛けていた。

この日、ヒカリとツバキはまた樹の図書館を訪れたが、着いたその足で子供達にこの老紳士の家まで案内された。

「やぁ、いらっしゃい。ゆっくり話せる時を心待ちにしていたよ。」

立ち上がった老紳士は握手しようと手を差し出した。

ヒカリも笑顔で手を差し出し言葉を発しかけたが、意外な爆音でかき消されてしまった。

「あー!じっちゃんっ!またちゃんとご飯食べてない!」

子供達の元気すぎる叫びの振動で、老紳士の豊かな髭がたなびいた気がしたヒカリだった。

老紳士がハッとしたかと思うと、急にしどろもどろになった。

「えっと、いや、すまない…なんというか、忘れておった。」

威厳のある老紳士が子供達相手に急におたおたし始めた姿を見て、なんだか微笑ましくて噴き出しそうになった二人だった。

「忘れてた!?ありえないよ…ご飯を忘れるなんて…」

子供達が心の底からありえないと思っていることが、まんまるになった目から伝わってきた。

子供達のご飯への情熱はさておき、ヒカリとツバキはこの老紳士と無邪気な子供達のやりとりをかなり楽しみ始めていた。

老紳士が本当に申し訳ないと言うように肩を落として説明し始めた。

「いや、その、何というか考え事をしていてね、調子が良かったのかいつのまにか深い瞑想になってしまって。」

いやはやという様子で頭を掻く老紳士。

やれやれまたかと老紳士をたしなめるような目をした子供達。

二人は噴き出したいのをこらえすぎて唇が震えていた。

「じっちゃん今でも細すぎるのに、これ以上やせたら軽くなりすぎて風に飛ばされちゃうよ!」

「いや~本当にその通りだな。いや、ありがとう、心配してくれて。」

最後にそう優しく言うと、子供達は納得した様子で出ていった。

老紳士は二人に向き直りちょっと照れたような顔をした。

「いや、なんともいつもこの調子で子供達に叱られていてね。」

その言い方はとても楽しんでいるような温かい言い方で、子供達を本当に愛しているのが伝わってきた。

「ここに掛けておくれ。」

そう言って二人を古い樹の椅子へ促した。

 

ヒカリはこの老紳士と向き合って座りその目を見た時、ゆったりとした穏やかさと深い愛情の奥に、鳥肌が立つ程の威厳を感じた。

そしてヒカリは思った。

『あぁ、これが威厳というものなのか、決して前に出さないのに、奥深くから溢れ出てくるもの。』

ヒカリは父親のことを思い出していた。

『彼のは威厳ではなく威圧だったんだ。毛を逆立てて牽制するような。』

そんなヒカリの思考をわかっているかのように老紳士は深く頷き、ゆっくりと声をかけた。

「今お茶を淹れよう。カモミール、レモングラス、マロウブルー、たくさんのハーブが入った特製のお茶でね、あったまるよ。」

そう言って、老紳士はポットに水を入れ火にかけた。




「大国の若い王だって実は君達となんら変わりない。」

三十分も経たない内にすっかり打ち解けた三人は、初対面であるにも関わらずとても深い話しをしていた。

向こうの世界に原爆が落ちたことから始まった話しは、なぜアマネの国王ヨウが原爆を落とすに至ったかというところにまで進んでいた。

「いや、君達が原爆を落とすような人間ということではないよ?」

老紳士は慌てて付け足したが、二人はその意見に納得していた。

「いえ、そうだと思います。彼と私に大きな違いはない、むしろ似た者同士でした。実は私は前に一度彼に会ったことがあるんです。」

ツバキのこの言葉に二人は驚いた顔をした。

「私の国…私は黒の石の国の人間だったのですが、大国アマネとは友好関係にありました。といってもお互い利益があるので手を結んでいたにすぎませんが。」

「私は母である女王と共に一度アマネに行き国王に会いました。その時はまだ先代でしたが、現国王のヨウにもその時に会いました。会ってすぐに思いました、あぁ私と同じだって。」

ヒカリはツバキが黒の石の国の女王の娘だと知ってまた一瞬驚いたが、すぐにどこかで納得した。

「同じ孤独を抱えていることが、その目を見てすぐにわかりました。」

ツバキはヨウについて続きを語り始めた。

「私だって彼になりえた。なにが違って今に至っているのかはわからないけど、私だってどこかで何かが少しでも違っていたら、世界に原爆を落とす程の破壊衝動に駆られていたかもしれない。もちろん、気が狂う程の孤独と怖れを抱えていたとしても、原爆を落とす理由にはならないけど。でも私は彼の心にヒビが入り、割れてしまった様子がありありと浮かぶんです、どうしても責めきれない自分がいるんです。」

ツバキはヨウの孤独に共感し少し苦しそうな表情を浮かべた。

静かに話しを聞いていた老紳士が、そんなツバキを優しく見てから口を開いた。

「そうだね、私も彼を責めきれないよ。」

そこで言葉を切った老紳士は少し考え込んだ。

「じゃあ、なぜ今回の出来事が起きたのか、一つの可能性の話しをしようか。」

「可能性の話し?」

「そう、これが真実かどうか検証することもできないが、とりあえず一つの考え方としてね。」

二人が不思議そうな顔をしたのを見て老紳士は微笑んだ


「物事には三つのレベルがあると仮定しよう。人間で言うと、体のレベル、心のレベル、そして意識(エネルギー)のレベル。物事で言うと現象のレベル、原因のレベル、意味づけのレベル。」

二人は興味深げに「ふんふん」と頷いた。

「ヨウは現象で言ったらただの暴君と言われていた。しかし心のレベル(原因のレベル)だと、さっき君が言ったように孤独に苛まれ多大な怖れと戦ってきたのかもしれない。そして意識のレベル(意味づけのレベル)だと、ヨウの深い意識は自ら悪役をかって出ることによって、人類全体の怖れを浮き彫りにし、皆に人類はこんな怖れを持っているよと伝える役をしてくれただけなのかもしれない。」

二人は一瞬、老紳士のこの考え方に目が点になった。

しかしすぐに、その考えの深さと客観性、何かを超越したような俯瞰的な見方に感嘆した。

「わかるかい?結局ヨウが本当にただの暴君だったのか、それとも傷ついたことによってどうしようもなく行動に出てしまったのか、それとも怖れの存在を皆に知らせるために役割をまっとうしただけなのか、それはわからない。」

「しかし、ここからが重要なのだが、実は起きる物事に善悪なんてない。」

「確かに起きること自体に善悪はありませんよね。」

ヒカリもツバキも真剣な顔で話しを聞き、必死に理解し、自分の中にこの老紳士の考え方を落とし込もうとしていた。

「あぁ、向こうの世界の人達は、良い出来事、悪い出来事の分類は最初から決められていると思い込んでいる。例えば出世する、お金持ちになる、などは良い事で、事故、災害、病気、老い、死は悪い事と思い込んでいる。まぁ人それぞれ価値観は違うけど、それでもだいたい皆一緒だ。特に今あげた悪い出来事の方は、疑う人なんていないというぐらい悪い出来事として無意識に勝手に分類されている。」

二人も「そうですそうです」と激しく頷いた。

「しかし、その分類は社会的通念や私達が過去の経験から勝手に作り上げたにすぎない。物事自体に良し悪しはない。良し悪しを判断し決定づけているのは、物事そのものの素質ではなく、常識や慣習でもない、私達個人個人の意思だ。それにまず気づく必要がある。」

「例えば突然自分が事故にあったとしよう、その事故を災難だと捉える人もいれば、何かのサインか?捉える人もいる、またそのおかげで久々に休養がとれて良かったと捉える人もいるかもしれない。この捉えるというのがさっき言った意味づけのレベルのことなのだが、大抵の人達がこの意味づけの作業を自分でも気づかない無意識の中でやっている。」

「本当にそうですね、皆無意識に過去の経験や慣習に沿って自動的に物事の意味づけをしている。」

「そうなんだよね、でもそれはとてももったいないことだと私は思う。私達はもっと私達の意思の可能性に気づいてもいいんだよ。」

「意思の可能性?」

頭が混乱しかかっているツバキは自分の思考を整理するようにつぶやいた。

「私達の意思には限りない自由がある。一つの物事を一つの偏った意味づけだけで終わらせるのはもったいない。あらゆる意味づけの可能性を考えて、いくつもの意味を見出して、その上で自分の意思で意味づけを選択するんだよ。」

「ナチの件でわかったと思うが、死が悲劇だと誰が決めた?死にもっとたくさんの可能性を見出してもよくないか?死は本人にとっても周りの人間にとってもいのちの学びになる。また本人には解放であるかもしれないし、新しい世界との出会いの瞬間かもしれない。」


「私達には限りない自由意志が与えられている。もちろん物事の捉え方のあらゆる可能性に気づくのも気づかないのも個人の自由だが、本当の自由はそういうことではない。物事のあらゆる可能性を知った上で、どれを選ぶか判断する自由、判断した上で決定する自由、それが本当の自由意志だ。」 

老紳士はそう力強く言った後で、ふっと微笑み、「しかしその自由に伴う責任を我々は怖れるんだけどね」と静かに付け足した。


「ヨウも、暴君という側面だけでなく、孤独に傷ついた側面、役割をまっとうした側面、とあらゆる可能性が考えられる。君達は、彼の存在をどう意味づける?」

「ちょっと適切ではない言い方になってしまうけどね、本当は彼の存在は彼自身しか意味づけできないから。」

老紳士は後の方をなんだか申し訳なさそうに恐縮して言った。

「…」

ツバキは迷っていた。

『私はヨウを、どう捉える…』

しかし暴君という意味づけをしないことは決まっていた。

ヨウの孤独を近くで感じたことのあるツバキは、孤独に傷ついた人と意味づけするか、と思ったが、それでは上から目線になる気がして気持ち悪かった。

『彼は孤独に苛まれていたが、同情するような弱い人でもない。あの大国を背負う責任を覚悟した強い人。』

でもツバキはまだ、役割を果たしたという考え方をちゃんと咀嚼できていなくて、違和感を感じていたので、その意味づけも出来そうになかった。

「ん~わかりません、どうやって決めたらいいですか?」

ツバキがもうお手上げというように老紳士を見た。

老紳士は真剣に悩む二人を温かく見守っていた。

「迷ったら簡単だよ。」

そう言って老紳士はまた明るく微笑んだ。

「その選択に温かさを感じ、責任を持てるか、その基準のみだ。」

二人はこの言葉でスッと重荷が落ちたような気がした。

しばらく沈黙が流れた後、ツバキが観念したように口を開いた。

「私は彼についてはどの意味づけも今はできません。今すぐ結論を出せる程、彼は一面的で単純な人ではないと思うから。一つの意味づけをするのは難しいし…それに。」

ここまで言って言葉に詰まった。

そしてその後を受け継ぐように今度はヒカリが話し始めた。

「僕もです、彼を意味づけするのは難しい。それに簡単に人を意味づけしたくないという思いもあります。今はどの意味づけを考えてみても温かさを感じません。」

そう真剣な顔で言って老紳士を真っ直ぐ見たヒカリ。

「はっはっは、いや~君達は噂通り素直な子達だね。」

真面目に話していたのに老紳士が突然笑い出したので、二人は「え~」という表情で顔を見合わせた。

「は~いやいやごめんよ、悪かったね。予想以上に真面目で素直な反応だったから、つい。」

そう言ってまた笑った。

「ごめんね、ちょっとわざと結論を出しにくい質問の仕方をしたんだ。君達がどう考えてどう反応するか見てみたくてね。」

ツバキはキョトンとした顔をしていたが、ヒカリは素早く反応した。

「え~試してたんですか~?」

ヒカリは冗談半分に「勘弁してくださいよ~」という顔をしながらそう言った。

「ははは、いやホント、すまなかったね。でも試してはいないよ、ただ君達ならあることを体感できるかなと思ったんだ。」

ヒカリはまたすぐに真面目な顔に戻った。

「体感?何をですか?」

「わからなかったかい?君達は私が思う以上に素晴らしく体感していたけど。」

二人は少し前を思い出しながら考えてみたが、結局自分達が何を体感したのかわからなくて首を傾げた。

老紳士はゆっくり頷いてから話し始めた。

「それは、君達は結論を出せない、もしくは出したくない、という感情を体感したんだよ。」

二人はこの言葉を聞いてもまだ半分首を傾げたままだった。

「さっき話していた意味づけの件は、物事に対してしかできない。人に対してこの意味づけをしようと思った場合、まさにさっき君達が感じたような、葛藤や迷い、悩み、違和感を感じるんだ。」

「君達が言ったことは本当に正しかった。本当に、一面的で単純な人間なんてこの世にはいない。一概にこうと意味づけできなくて当たり前だし、意味づけできると思うのはある意味おごりだとも言える。」

「だから君達ならヨウを意味づけしないだろうとふんであえて質問したんだ。人を意味づけしようとした時の違和感や気持ち悪い感じを体感してほしかった。」

老紳士はまだ少し申し訳なかったと思っているのか眉毛が微かに下がっていた。

しかし二人は老紳士が自分達を信じていたからこそ、その質問をしてくれたのだとわかっていた。

「人に対してはこの意味づけはできない。これは覚えておいてほしい。」

「はい。」


「君達は自分達が結論を出せなかったと思っているみたいだけど、そうではない。」

「え?」

「君達は立派な結論を出したよ。」

そう言って、二人を慈しむように交互に見た。

「真剣に悩み、それでも答えを出さないという結論を出したんだ。」

老紳士は続けた。

「答えを出さない方が苦しくはないかい?人は答えを出してスッキリしたいと思うものだからね。結論を出さないということの方が、誠実な時もある。真剣に悩んだけどわからなかったという方が、温かさの時もある。人に対してはその誠実さと温かさがあればそれでいい。」


三人は互いに顔を見て、微笑んだ。




「でもやっぱり向こうの世界の人達は、あんなにたくさんの人の命を奪ったヨウを史上最悪の人間と思って疑わないでしょうね。」

ヒカリが少し切なげな様子でそう言った。

「そうだね…そりゃそうだ、たくさんの人が亡くなったし、たくさんの人が愛する家族を失った。私だって今回の事で愛する家族を失ったら、ヨウを史上最悪の人間と呼んだかもしれない。」

「どんな人間でも、一人の人間がいなくなるということがどれ程の悲しみか実感する。愛する人間を失った、あのこの世の全てが終わる感じは、私だって気が狂う程のやりきれなさだ。」

この老紳士の言葉は二人には意外だった。

「今の言葉、正直驚きました。あなたもナチさんやこの世界の人達のように、死を旅立ちと思っていると思っていたので。」

ヒカリが冷静に老紳士にそう伝えた。

「そうか、意外だったか。」

老紳士は下向き加減に微笑んだ。

「私も今は死を旅立ちだと思っている。でも過去は違った。実は私も君達と同じように向こうの世界から来た人間でね、向こうの世界にいる時は死は私にとって絶望でしかなかったよ。十歳で母を失ったのだが、あの時の…あの耐え切れない絶望の感覚は今でも私の中にリアルに存在する。」

そう言って顔を上げて真剣な顔で聞いている二人の視線をしっかりと受け止めた。

「…そうだったんですね。」


「しかしね、そんな人間らしい部分と、この壮大な世界の一部として俯瞰的に人間を見る視野の両方を持って生きることが、本来の人間の姿であるのだと私は思う。両極を知り、両極に寄り添い統合して生きるのが、私達だ。」

【探求の答え】


ヒカリとツバキは昼過ぎにここに来たが、気づかないうちに窓から見える空がオレンジ色に染まっていた。


「なぜ自分達がこの世界に来ることができたかって?」

ヒカリが自分達がこの世界に来られた理由を老紳士に尋ねたところだった。

「答えは簡単だよ。君達は怖れや苦しみから逃げようとしたかい?孤独を紛らわそうとしたかい?自分の痛みを見ないようしたかい?」

老紳士はスッと深い目をして二人を交互に見た。

「世界から、自分から逃げないことは、どれ程の覚悟が必要であった?」

この老紳士の言葉に、ヒカリもツバキもハッとした。

「たった一人で、何よりも覚悟が必要な探求へと入っていった、そうだね?」


ヒカリの目から意に沿わず涙が流れた。

ツバキはその横で手の中に顔を埋め、声を押し殺して嗚咽した。

そんな二人を、老紳士は全て理解して優しく見守っていた。

そしてゆっくりと続けた。

「人とは何か、世界とは何か、いのちとは、その答えを切に求めてきた。」

「そして聡明な君達は、必ずその探求の先に何かがあるとわかっていたから、諦めることができなかった。ずっとずっと探し求め、苦しみ傷つき、しかしその間に君達は強く、そして優しくなっていたんだよ。」

「実はその過程で得たものこそ、答えなんじゃないかい?。」


老紳士は涙がとめどなく流れる二人の後ろに回り、慈しむようにそっと背中に触れた。

「自らの内的世界は、外の世界にも必ず反映する。自分が変われば、世界も変わる。」


「この世界は君達の精神そのものじゃないかな。豊かで繊細で、とても美しい。」

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