第15話 教育

ヒカリとツバキがこの世界に来てから数日が経っていた。

この日も二人はエバンズに連れられてコミュニティ内をゆっくりと見て周りながら、あちこちで歓迎を受けていた。

ある洋服屋(しかし買うのではなく、気に入ったものを持って帰っていい)ではお店の元気すぎるおばさんに捕まって、二人は散々試着させられた挙句、似合うからとほぼ無理矢理たくさんの洋服を持って帰る羽目になった。

「あはははっ!いや~君達の顔は最高だったね!」

二人が何も言えずされるがままおばさんに服をとっかえひっかえされている様子を、距離を取って見ていたエバンズが道端で爆笑していた。

「エバンズ…もうちょっと早く間に入ってくれても良かったんじゃない?」

ヒカリが蒼白な顔で大量の洋服が入った袋を抱えながら言った。

「いやいや、すまない。君達とレミさんの絡みが面白くてさ~いや~ヒカリなんか途中から魂抜けたような顔しちゃって!」

そう言ってまたお腹を抱えて笑い出した。

「ありがたいのはありがたいんですけど、なんか…どっと疲れましたね。」

そう言うツバキの声がなんとなく聞こえたが、横を見たヒカリとエバンズはツバキの姿を確認出来なかった。

それもそのはず、小柄なツバキは大量の洋服が入った袋を両手で必死に抱え、二人より遅れをとってだいぶ後ろの方を歩いていたのだ。

ヒカリとエバンズは振り返って、大きな袋が歩いているのでは?という状況になっているツバキの姿を発見した。

ツバキはまったく周りが見えていないようで、横にいると思い込んでいる二人に普通に話しかけていた。

「ツバキ…」

ヒカリは複雑な憐れみの混ざった気持ちを感じていたが、エバンズはその姿にさらにツボに入ってしまったようで呼吸困難になる程笑い転げた。


「いや~…明日絶対腹筋が筋肉痛だ。」

やっと笑いのツボから抜け出したエバンズが、五歳は老けたような疲れた顔でそう言った。

二人はもう洋服達をどうしようもないということで、一度洋服を置きに帰ってまた出かけてきたところだった。

「いい人なんだけどね、レミさん。勢いが猛烈なだけで。」

そこがあれなんじゃ…という思いがよぎったヒカリだが、その思いを慌てて振り切って質問した。

「あの洋服達はレミさんの手作りなんですか?」

「いや、彼女は人に洋服を見立てるセンスが抜群でね、作っているのは彼女の妹さん。」

「へ~妹さんが作ったものをお姉さんが売って…じゃない、見立てているんですね。」

「そうだよ、レミさんは洋服を作ることは出来ないが、どの洋服がその人に似合うか見極める目はすごいからね。肌の色や性格、好み、その時の気持ち、あらゆることを考慮して最良の一枚を選んでくれるんだ。」

「いや、君達には最良の何枚だったかはわからないがね。」

エバンズはそう言ってまた笑い出しそうになるのを必死でこらえているのか、頬がヒクヒクしていた。

ツバキはそんなエバンズの様子をあえてツッコまずキレイに受け流して言った。

「確かに勢いには完敗だったけど、選んでくれた洋服はどれも素敵だった。とてもワクワクするような、幸せな感じのする洋服達だった。」

ツバキがこんな女の子らしい笑顔を見せるのは何年振りか。

なんだか普通の女の子になれた気がしたツバキだった。


三人はまだレミさんとの絡みの話しで盛り上がりながら、コミュニティの中心地へと近づいていた。

「そろそろ今日の目的地、子供達が集まっている樹の図書館に着くよ。」

エバンズが建物の向こうに見える大きな樹を指差しながらそう言った。

「樹の図書館?子供達が皆集まっていると聞いたから学校だと思っていたのですが、学校ではないんですか?」

ツバキが不思議そうに聞いた。

「ん~まぁ学校なのかな。でも向こうの世界の学校とはまったく違うから、楽しみにしていて。」

エバンズはそう言って、二人を優しく促した。


樹の図書館はその名の通り、大きな樹に寄り添うように建っていた。

木造の建物だったので、樹から図書館が生えてきたようにさえ見えた。

近くまで来て三人は立ち止まった。

「すごく立派な樹ですね。」

天に両手を伸ばして堂々と立つその樹に、ツバキはまず魅了された。

じっと樹を見ていたツバキははたと気づいた。

『樹の上で寝てる子がいる。』

そこにいる子供達は皆、自由にやりたいことをやっていた。

樹の上でまどろんでいる子やボールを蹴り合って遊んでいる子、一人で絵を描くのに没頭している子、鼻歌を歌いながらぶらぶらしている子、いろんな子がいた。

その自由さにツバキとヒカリは一瞬驚いたが、そろそろこの世界で驚くことにも慣れてきていた。

「よし、じゃあ子供達のファシリテーターとしていつもこの樹の図書館にいるルイに話しを聞いてみようか。」

エバンズがそう提案したが、ツバキはまったく別のことに興味を奪われていた。

「どうしたんだい?ツバキ。」

そう聞いてツバキの視線の先を追った。

一人の女の子の小さな背中が見えた。

皆と離れて一人微動だにせず空をじっと見ているようだった。

その時。

「エバンズ!」

そう後ろから声がして三人は振り返った。

三十代ぐらいの長身の女性が笑顔で近づいてきた。

「やぁルイ、調子はどうだい?」

エバンズはそう言ってルイと呼ばれる女性と軽くハグした。

「ルイ、紹介するまでもないかもしれないが、ヒカリとツバキだ。」

「えぇもちろん噂では聞いてるわ。はじめまして、ルイです。」

女性はそうハキハキ言うと二人と握手した。

そして三人の様子を察知したようにすぐに話し始めた。

「あの子はユリ。もう何時間もああやって空を見てるわ。」

「何時間も?」

「そう、でも満足したらそのうち帰ってくるから大丈夫よ。」

まったく意に介さずルイはそう言った。

しかしヒカリが不思議そうな顔でユリを見ているのに気づいて付け足した。

「ああやって空と対話しているのよ。感受性が豊かなのね、いつもたくさんのことを自然から学んでいるみたい。」

「空と対話…」

ヒカリが感慨深げにつぶやいた時、ツバキがその女の子の方へと静かに歩き出した。

「あれ?ツバキ~」

エバンズが呼んだがツバキは聞こえたのか聞こえなかったのか、そのまま進んでいった。

「いいよ、エバンズ。彼女なら。」

ルイはそう言ってヒカリとエバンズを樹の図書館の方へ促した。


ツバキはユリの元へ真っ直ぐ歩いていって、横に座った。

ユリはチラッとツバキを見たが、またすぐ空に集中した。

ツバキも空へ集中した。


何分経ったかわからないぐらい、ツバキは空と同化した感覚でいた。

その時ゆったりと、まるで今までも会話をしていたような調子でユリがツバキに話しかけた。

「ねぇ、お姉ちゃんは空から何を感じた?」

ツバキは微笑んで、空を眺めながら答えた。

「ん~、ゆったりと呼吸すること、それに力を抜くこと。ユリちゃんは?」

「えっとね、穏やかな気持ちと、マイペースさ。」

ツバキはユリをチラッと見て優しい目をした。

「じゃあ風は?」

「ん~私は繊細な配慮と、戯れ。」

「たわむれかぁ~ユリはユーモアと優しさ。」

二人は互いを見て、微笑み合った。


ユリとツバキはそれからもしばらく二人で並んで空と対話していたが、突然後ろから音がして振り返った。

そこにはいつのまに来たのか、四人の大人がそれぞれ違う楽器を持って樹の下で軽快に演奏していた。

「ジョージだ!」

そう叫んだかと思うとユリは飛び上がって駆けていった。

「ジョージ?」

ツバキも後から付いていった。

どうやらジョージとはチェロに似た楽器を演奏している若い男の人だということが、ユリが真っ直ぐその人のもとへ走っていったことでわかった。

ユリは演奏しているジョージに飛びついて、ジョージの音を一瞬狂わせた。

その音楽家の四人は子供達に大人気で、樹の図書館から飛び出してきた子供達に今や四方を囲まれていた。

子供達の後からエバンズとルイ、そしてなぜかこちらも大人気、子供に両手を引かれながらヒカリも出てきた。

「今日は演奏会の日だったんですか?」

ツバキがルイにそう聞いた。

「いいえ、いつも彼らは突然来てくれるんです。子供達は彼等と彼等の音楽が大好きで、何をしていても弾かれたように飛び出してこうやって集まるんですよ。」

「へ~そうなんですね。でも確かに、すごく綺麗で楽しい音楽。」

彼等の音楽は向こうの世界の音楽と質がまるで違った。

彼等の生き方がその音楽に乗って溢れ出すように、穏やかでありながらユーモアを持ち、自由で優しい、なんとも楽しげな音楽だった。

ツバキはその音達が空気の中で弾ける様子を感じながら、全身で音楽を体感していた。

そして子供達がそれぞれに、音楽に聴き入ったり小躍りしたりしている様子を見て笑った。

「それにしても彼等の音もハーモニーもすごく素敵ですね。音楽ってこんなに心地いいものだったかなと思う程。」

エバンズが子供達と同じように、しかしちょっと重たく小躍りしながら答えた。

「彼等のハーモニーは最高の調和、毎回聴く度に心が踊りだすよ!」

「調和か~」

ツバキはそうつぶやいてもう一度子供達を見回した。

確かにそこには調和があった。

静かに聴いている子も、友達とじゃれながら小躍りしている子も、心地良い音に身を任せてこっくりこっくりしている子も、皆それぞれだが共にそこに居て、干渉することなくお互いの存在を認め合っていた。

そして彼等の音楽は更に、世界の調和や自然の摂理をも表現し、真っ直ぐに伝えているようだった。


「もう体験してわかったと思うけど、ここでは子供達に教え込むということは一切しない。子供達が自然や遊び、大人との関わり、音楽やそのほかの芸術の中からそれぞれ自由に学ぶことをただそっと見守り、時々援助するだけなんだ。だよね、ルイ。」

「はい、子供達は本当に独創的に自ら学ぶ方法を見つけて、自分に必要なものを学んでいきます。私達大人はそばにいるだけですね。というか私達がそんな彼等を見てたくさんのことを学んでいるぐらいです。」

そう言ったルイの目は子供達と同じぐらい純粋な目だった。

「ここの子供達はすごいことを学んでいますね、人間としての心の在り方とか、健全な考え方、自分の活かし方まで。」

ヒカリは自分が受けた心が死んでいく、家庭教師の詰め放題教育を思い出しながら感慨深気に言った。

「えぇ、彼等はこの世界の恩恵を真っ直ぐに余すところなく吸収し、人としてより豊かに、よりダイナミックに成長していきます。」

ヒカリもツバキも子供の成長をダイナミックと表現するのを初めて聞いたが、ここの子供達を見ているとピッタリだと思った。




樹の図書館の子供達に別れを告げて(しかし明日もまた絶対に来ると約束させられて)三人はまたコミュニティ内を歩きだした。

「どうだい?樹の図書館は面白かっただろ?」

「えぇ、子供達のパワーにも圧倒されましたよ。」

子供達に散々連れまわされ付き合わされた二人は、来る前よりちょっと痩せたように見えた。

「ははっ、子供が元気なのはなによりだ。」

「それにしても本当に子供達に何も教えないんですね。…でも少し腑に落ちない部分もあるんですけど聞いてもいいですか?」

「いいよ、なんでもこいだ。」

「ここの子供達は何も教えてもらってないにしては、生活習慣や人との関わり、知識も私から見たらとてもバランス良く備わっている気がするんです。樹の図書館ではあのような教育だけど、家庭ではしつけをしっかりしていたりするんですか?」

これはツバキにとっては普通の質問だった。

しかしエバンズははたと足を止めて優しく微笑んだ。

そしてツバキを労うような穏やかな目で見て言った。

「この世界にはしつけは無いんだよ、ツバキ。」

この言葉でツバキはハッとした。

『私はまだ、向こうの世界の基準でいる部分がある…確かによく考えたらしつけという言葉も行動もこの世界にはふさわしくない。…私の中でまだ、教育=しつけという考えが根強く残っているんだ。』

ツバキはこの世界の子供達と違い、自分がいかにしつけられてきたかを痛感した。

そしてこの二人のやりとりを見て、ヒカリもツバキに激しく共感していた。

「向こうの世界の教育は、本当に知識を詰め込むだけでした。学ぶ意味なんて考えずとりあえず覚えろ、とりあえずやれって。まっっったく面白くも楽しくもないし、その後その教育が役に立ったことも数える程ですよ。」

エバンズが真面目な顔でヒカリの話しを聞いていた。

「心をおいてきぼりにして、頭ばっかり肥大させる教育でした。まぁそれで向こうの世界は成り立っているからそれでいいなのかもしれないけど、僕はあの教育を受けながら心がどんどん腐っていく気がしていた。ツバキ、君もそうだったんだね。」

ヒカリの話しに目に涙を滲ませたツバキに気づいて、最後は優しくツバキに語りかけた。

ツバキはヒカリの目を真っ直ぐ見た。

『私と同じことを思っていた人がいたんだ。』

暗く長い孤独の中を一人で生きてきたツバキは、初めて自分と同じ人間に出会ったような気がした。

今ヒカリの目の中に、確実に自分自身を見た。

涙が一筋流れた。

しかし穏やかにヒカリへ微笑んだ。


「えっとなんだったかな、あぁ家では何か別に教育しているのかって質問だったね。」

三人はまた歩き出した。

「あ、はい、そうでした。」

ツバキは自分が質問したことをすっかり忘れていた。

「家庭でも特に何か教育をしているわけではないよ。ただこの世界の大人達は皆本当に自律していてね、いつでも真実を語り自分にも他者にも世界にも誠実で、起こること全てを嬉々として受容し、全てのものへの感謝を忘れない、その生き方で日々生活しているだけで、いつの瞬間も子供達に大きな教育をしているんだ。」

「生き方だけで?」

「そう、ただ自分らしく生きるだけで、そのバランスの取れた考え方や生き方を子供達に教えている。…というか教えていると思っている人なんて本当はいないんだけどね。皆子供達に教えてあげようなんて考えもしない。なぜなら子供達は大人の言うことは聞かないが大人の真似は天才的に上手い。それを皆わかっているからね。」

そう言ってはははと笑った。

「だから口で教える必要なんてない。感受性豊かな子供達は大人の生き方を、その深いニュアンスまで感じ取って真似できるんだから。」

そうあっけらかんと笑顔で語るエバンズを見て、二人は思った。

『ここにも深い信頼がある。大人達は子供達の自ら学ぶ力を信頼している。放任ではなく、信頼して信じているんだ。それをどこかで感じている子供達は、信頼されていることで安心でき、あんなにも自由に、そして可能性を最大限に発揮していろんなことを学べるんだ。』

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