第13話 この世界の根源

この世界は驚くべき世界だった。

まずここには労働が存在せず、皆自分のやりたいことを嬉々としてやっているだけなのに全てがうまく回っていた。

農業をしたい人は朝から晩まで土と戯れるように野菜を育て、料理が好きな人は食べてくれる人の健康と幸せを祈りながら鍋をかき混ぜる。

子供と共に居たい人は子供達のその無邪気さと深遠さに心打たれながら、子供達が自ら学ぶ手助けをする。

家を造りたい人は自然と対話しその調和を考え、魅せられたように家を造っていた。

皆が自分の好きと才能を惜しみなく発揮し、そしてその恩恵をまた惜しみなく分かち合う。

この世界に足りないという現象と幻想は存在しなかった。


そして皆が全てを分かち合うため、お金も必要なく存在しなかった。

ここでは皆がお金という向こうの世界の大きな基準を軽々と超えていた。

物や行動を交換し合うのは、その物だけでなくその裏にある気持ちを交換するためでもあった。

互いに温かく穏やかな思いやりを物や行動という形で交換し合った。

そしてその思いやりが交換され巡り続ける限り、物が無くなることや足りないと感じることがないことを皆が理解していた。

 

「でも全ての人が興味の向くままに行動して、それで全てがうまくまわっているなんて奇跡ですよ。」

案内役をかってでたエバンズにヒカリはそう言った。

ヒカリとツバキはエバンズにあらゆることを教えてもらいながらコミュニティの中を巡っていた。

「そうかい?」

エバンズが不思議そうな顔をした。

「はい、皆がやりたいことを好き放題やりだしたら秩序が無くなって、国がめちゃくちゃになるというのが向こうの世界の常識ですから。」

「あぁ向こうの世界ではそうだね。皆役割があったり義務があったりするんだったね。しかし私なんか本当に向こうの世界の人達を尊敬するよ、毎日責任感や義務感だけで生きるなんて相当な精神力が必要だ、私は五時間で音を上げる自信があるよ。」

そう言って声を上げて笑った。

「いやいや冗談を言っている場合ではなかったね、ここの、ヒカリの言葉を借りて言えばシステムの根底には何があると思う?」

ヒカリは迷わず答えた。

「信頼。」

「そう。」

「しかも一片の疑いもない。」

「そう。」

エバンズは嬉しそうに頷いた。

「この世界は全て信頼が根底にある。他者への信頼はもちろん、自分の価値への信頼、自然の恩恵への信頼、世界への信頼。私達は豊かに幸せに生きられるかどうか、疑いを持ったことも心配をしたことも無い。」

「全てを信頼するなんてとても難しいことに思えるけど。」

ツバキが何かを考えているような顔でそうつぶやいた。

「今はそう思うかもしれないね。でも大丈夫、すぐに君達もそう生きるようになる。」

子供達が数人、笑いながら三人の横を駆け抜けていった。

「信頼と言っても相当深いレベルの信頼ですよね。ここの人達の深い精神の中に、不安という要素を一切感じない。もちろん人間だからその器は持っているけど、見事にすっきりとカラのような。」

ヒカリが表現を迷いながらそう言った。

「その通りだよ。皆自分の中に不安という器を持っていて、その存在を知っているけど、そこが満たされることはない。満たされることがないということは不安は無いのと同じだ。」

「不安の無い世界か。」

ツバキはそうつぶやいて、駆け抜けていった子供達を真似するように深く深呼吸した。




三人は美しい街並みの中を、目的地に向かって歩いていた。

「エバンズさん、信頼についてもう一度お聞きしたいのですが。」

ヒカリがまたおもむろに話しかけた。

「いいよ、なんでもこいだ。」

「さっきの、他者への信頼はなんとなくわかります、ありのままを受容し、その人の本当の可能性を知っていること。そして自分の価値への信頼というのも、自分のありのままを受け入れるということでいいんですよね?」

「その通りだ。しかし少し補足する部分があるかな。他者への信頼にしろ、自分への信頼にしろ、その信頼を生み出す大元がある。そこを実感したら、自分を含めたこの世界の全てを信頼できる。」

ツバキもエバンズの話しの続きに興味があって、二人に近づくように二、三歩小走りした。

風が吹き抜けて、それに答えるようにエバンズが微笑んだ。

そして続けた。

「それは、いのちへの畏敬の念だ。」

ヒカリもツバキも、このエバンズの言葉にスッと真面目な顔になった。

二人が神妙な空気になったのにエバンズも気づいていた。

そしてゆったりと続けた。

「いのちとは、私達の心の底で静かに呼吸する、全ての生き物に内在する光。そして先人達が内なる神と呼んだものかもしれない。」

「私達全ての人間の中にそれが存在する。」

二人はこのエバンズの言葉に全身に鳥肌が立った。

ヒカリとツバキのいのちが、その存在を訴えるように。

「そのいのちの存在を実感した者は、そこから目を逸らすことなんてできなくなる。その儚くも全てを凌駕する神聖さに、ただただその前に立ち尽くす。」

「そして理解する、この世界の全てはいのちから始まり、いのちを根源に存在しているのだと。」

「それに気づいてしまえばもう、いのちに背くことなんてできなくなる。だってそれが私達の本質なんだから。」




「向かっているのはあの樹の向こうさ。」

そう言ってエバンズはなだらかな丘のちょうど頂上にある大きな樹を指差した。

その大きな樹は一本だけ悠然と、まるで丘を、そして世界を支えているかのように立っていた。

その樹はただそこに在った。

三人はなだらかな丘を登り、樹の側まで来た。

ツバキとヒカリは少し前から、自分の胸が妙にドキドキしているのを感じていた。

この先はどうなっているのか…


「さぁ、ここが私達が平安の庭と呼んでいる場所だよ。」


二人は目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。

そこは、風に揺れて輝く黄色の花が一面に広がる世界。

風が二人の心を一掃するかのように、強く、誇り高く吹き抜けた。


ツバキは黄色の花の海へと駆け出した。


ヒカリは樹の下で立ち尽くしていた。

『ここは…』

まばたきするのも忘れ、ただ見渡す全てのものが優しく輝くこの世界に、静かに打ちひしがれていた。

ヒカリの目に涙が滲んだ。


ツバキが振り返り、満面の笑顔で手を振った。

それに答えるように大きく手を振り返し、ヒカリもまた、黄色の花の世界へ飛び込んでいった。


世界の全てが、この上なく美しかった。

【エネルギー】


たっぷり休息した三人は、心も体も軽くなって平安の庭を後にした。

ツバキもヒカリも、今までの人生で一番開放された気分だった。


エバンズはまた二人に見せたいものがあると言って、楽しそうに次の場所へ案内した。

「よし、着いた。」

エバンズはそう言ったが二人は何に着いたのかわからなかった。

そこは廃墟になっている小さな建物と、周りに鮮やかな紫の花が点々と咲いているだけの場所だった。

ツバキが訝しげに聞いた。

「ここが目的地ですか?」

エバンズは「そうだよ」と少し誇らしげに言った。

「ここにある建物は百年以上前の建物でね、大事に保存しておこうということで今は使われていないんだ。」

そう言いながらエバンズは廃墟になった建物を見上げて大事そうにそっと触れた。

「この建物を大事に保存。」

二人はまだ理解できずになんとなく建物を見ていた。

エバンズはちょっと笑って続けた。

「まぁ、そりゃこんなボロい建物を何でって思うだろね。でも何か気づかないかい?」

「気づいたことは屋根の形が向こうの世界の屋根の形と全然違うということですかね、なんであんなにいびつなんですか?」

ヒカリはなんとも複雑な形をした屋根を指差してエバンズに聞いた。

エバンズは微笑んで頷いた。

「それはね、この建物はこの紫の花からインスピレーションを受けて造られたからなんだよ。」

エバンズはそう言って紫の花の横にしゃがんでじっと花を見つめた。

しかし二人はますますわからないというように首を傾げて複雑な顔をしていた。

エバンズはそんな二人を楽しそうに見て、何も言わずにジェスチャーで花を見るように促した。

その鮮やかな紫の花に吸い込まれるように、二人は注目した。

そして、突然二人同時にわかった!という顔をした。

その顔のまま建物と花を交互に何度か見た。

「その花って、一日を通してずっと太陽の方を向き続ける花ですよね?」

エバンズは満足気に深く頷いた。

「この建物のあのいびつな屋根は、どの時間でも建物の中に光が入るように角度と反射を計算してあんな形になっている…とか?」

ヒカリが嬉しそうにエバンズに向き直って聞いた。

「その通り。どの季節、どの時間でも必ず太陽の光がまんべんなく室内へ入るように設計されている。」

「へ~どの季節、どの時間でもですか。」

ヒカリは頭で季節ごと、時間ごとの太陽の傾きを考えながら屋根を見た。

しかしどんな計算で屋根の角度や形を決めたのか到底解明できそうにない気がした。

「最初にこの建物を造った人は、本当に自然を尊敬していたんだと思う。さっきの話しじゃないが、自然への揺るぎ無い信頼が伝わってくる。この花にインスピレーションを貰い、太陽や地球の動きを観察して造りあげたんだよ。」

エバンズがそう誇らしげに語る横顔を、二人は静かに見ていた。


「ん?今ふと思ったのですが、この世界に電気ってあるんですか?」

ヒカリが質問をした。

「電気…とは確かあの…あれだね、人工的に光を作る…」

このエバンズの反応でこの世界に電気が存在しないことがわかった。

「この世界には電気はないよ。というか必要ないからね。」

「必要ないんですか?でも夜とか暗い部屋とか…あとは向こうの世界で電気で動かしているものはみんなどうしているんですか?」

ヒカリは興味深々だった。

ツバキはなんとなく二人の会話を聞いていたが、半分は紫の花に心奪われままだった。

「この世界では光は全部太陽の光を直接もらっている。この建物は初期の建築物でね、その後画期的なものができてこのタイプの建物は必要なくなったんだ。」

「画期的なもの?」

「そう、この屋根の役割をしてくれるもので、ずっとコンパクトで設置も簡単な、ん~複雑な反射板と言ったらいいのかな。」

「どの角度からでも太陽の光がそれにあたるとその内部で何度も反射する。そしてその反射によって光が増幅して、向こうの世界の…電球?みたいに明るく光る。」

エバンズは上手く説明できたと小さくガッツポーズした。

「でも太陽が沈んだら真っ暗になりますよね?それに雨の日はどうしているんですか?」

ヒカリの頭の中はまだ?でいっぱいだった。

「太陽が沈んだら月の光があるじゃないか。」

エバンズ少し驚いて言った。

しかしすぐに何かを思い出したような顔になった。

「あぁそうだそうだ、向こうの世界とこっちの世界の太陽と月の明るさは違うと聞いたことがある。こっちの世界では月はとても明るく輝く、さっき言った複雑な反射板を通した月の光はとても明るいんだよ。…まぁそしてなにより私達は陽が沈めば寝る。」

『…』

一番最後の言葉が一番説得力があった。

「では雨の日は?」

「これも月と一緒で口では説明しにくいのだが、この世界は雨の日でも空は明るいんだよ。」

そう言われたがヒカリは明るい雨の日が想像できなくて首を傾げた。

「空は明るい?」

この話しでそれまで紫の花と戯れていたツバキが顔を上げてエバンズを見た。

「そう、いや私がなかなか上手く説明できなくて申し訳ないんだが…実際に見てみたらわかるさ。」

どう説明しようか一瞬悩んで諦めたエバンズだった。

「なんか向こうの世界とは空気や気候が違うとか違わないとか!」

『…どっち?』

頭ではちゃんと理解できなかった二人だが、確かにここの世界は向こうの世界と空気も気候も違うことを肌で感じていた。

空気は濁ることなく澄んでいたし、気候も穏やかな風がずっと吹き続ける最良の気候のように思えた。


「私が生まれ育った国ではこんな風に青い空を見られることなんて滅多になかった。でもここでは、この空が毎日あるってこと?」

ツバキが空を見上げて息を吸いながら、自分に話しかけるようにそう言った。

「そうだよ、いつでもこの青い空だ。」

ツバキはまた大きく息を吸って、空に手をかざした。




廃墟を離れて、帰りながらまた別の話しで盛り上がっていた。

「じゃあ、この世界にはガスもないんですか?」

「ガス?え~とガスとはなんだったかな?」

エバンズがガスを思い出せないで「ん~…」と唸っているので、ヒカリは教えようとした。しかし次の瞬間、エバンズの顔がパッと明るくなった。

「思い出した!向こうの世界の乗り物だな、あの、でっかいやつ!」

エバンズがわかったという顔をして、でっかいやつを子供のように無邪気にジェスチャーで表現した。

ヒカリはもうそのままにしておきたかったが、あえて鋭くツッコんだ。

「いえ、それはバスです。」

「…!」

エバンズはしまった!という顔をして少し顔が赤くなった。

「いや、すまない、ガスとは何だったかな?」

焦りながらヒカリに聞き返した。

「いえ、こちらこそすみません。ガスとは…火が点く気体のことなんですけど。」

エバンズはヒカリの話しを冷静に聞いていたが、まだ耳だけ赤いままなのをツバキは見てていた。


結局ガスも電気も、向こうの世界で人工的に作られているものはこの世界には何一つ無かった。

電気は太陽の光、ガスは火など自然のもので十分に事足りているようだった。

それどころか電気やガスを必要と感じたことさえないことが、エバンズの語り口調でわかった。

この世界では自然界に存在するもの以外使用しなかった。

なぜなら自然界に存在しているもので十分に生きていけると、誰も疑わなかったから。

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