第12話 第2章 新たな世界

遠くから人が会話する声が聞こえてきた。

そして体がなんだか温かく、心地いいことに気づいた。

ヒカリはだんだん意識がここに戻ってきていた。

『なんだかいい匂いがする。…お腹すいたな。』

そう考えながらゆっくりと目を開けた。

ヒカリが目を開けたことに気づいた近くの優しそうなおじさんが声をかけた。

「やぁ、目が覚めたようだね。気分はどうだ?起きれるかい?」

そう言いながらヒカリに近づいてきて、起き上がろうとしていたところを背中を支えて手助けした。

「ありがとうございます。」

なんだか頭がボーっとしていたヒカリは曖昧にお礼を言って、辺りを見回した。

そこにいる全員がなんとも温かい視線をヒカリに向けていたが、すぐに食事の準備と思われる作業に取り掛かった。

『ここは…天国ってやつか?天国にこんなリアルなおじさんが居るなんて知らなかったな。もっとこう…天使とかじゃないのか……いや、それか天使っておじさんなのか?』

ヒカリはまだボーっとしていて、さっき起こしてくれたおじさんを見ながらそんなことを思っていた。

その時、隣に動くものがあることに気づいた。

ツバキも意識が戻りかけていた。

まどろみの中で何度か瞬きをしたツバキは、ゆっくりとヒカリの存在に気づいた。

ヒカリは微笑んで声をかけた。

「やぁ、気分はどう?」


二人はまだ足元がおぼつかなかったが、誘われるままに席に着いた。

目の前には色とりどりの野菜や穀物、豆でできた数種類の料理が白い大きなお皿に盛られ、隣には湯気が立つあつあつのスープが置いてあった。

そのカラフルでイキイキとした野菜達がヒカリとツバキの空腹感を誘った。

二人はとても疲れていたが、この新鮮で穏やかな料理達はそんな疲れを優しく包んでくれる気がした。

その時、さっきヒカリを起こしてくれたおじさんがヒカリの隣に座り、疲れを察知し気遣いながらも明るく話しかけた。

「やぁ、私はエバンズだ。よく来たね、皆が君達を歓迎しているよ。」

そう言って手を差し出した。

ヒカリはその手を取り、握手した。

おじさんの手に触れた瞬間、その温かさで疲れが和らいでいくのを感じた。

「はじめまして、ヒカリといいます。彼女は…ごめん、名前知らなかったね。」

今更ながら二人はお互いの名前さえ知らなかったことに気づき驚いた。

なんだかずっと一緒にいた気がしていたからだ。

「私はツバキといいます。よろしくお願いします。」

ツバキはヒカリとエバンズを交互に見ながらそう自己紹介した。


「子供達がもうすぐ来るはずなんだが、君達は先に食べ始めるといい。元気が出るよ。」

「子供達が来るんですか?では待っています。」

ヒカリは爽やかに遠慮してみせたが、エバンズの温かい配慮の方が一枚上手だった。

「いやいや、じゃあせめてスープだけでも飲んだらいい、美味しいよ。」

そう薦められた二人は、じゃあ…と顔を見合わせてスープを手に取り口へ運んだ。

その瞬間、温かいスープが全身を満たすような、全ての力が抜けて開放されるような言い様のない安心感が二人を包んだ。

ヒカリもツバキもうっかり涙が出そうになった。

「…美味しい。」

「だろう?」

エバンズが少し得意げに悪戯っぽくそう言った。

ヒカリは心底ほっとしたような顔をして言った。

「それにしても、死んだらこんなに温かい場所に来られるなんて。」

その時、そこにいるみんなが優しくにこにこし始めた。

「君達は自分達が死んでしまったと思っているのかい?こんなにもリアルにここにいるのに?」

二人は驚いた顔の見本のような顔をして、固まった。

その顔を見てその場の全員が声を上げて温かく笑った。

「え!?…え?僕達死んだんじゃないんですか?てっきりここが天国だと思っていたのに。」

ツバキもその通り!と言いたげに激しく頷いた。

「…本当に、天国じゃないんですか?」

ヒカリはかなり驚いていたが、すぐに冗談交じりの「残念!」という表情をしてみせた。

「はは、そうだよ、ここは天国じゃない。」

エバンズもヒカリに答えてわざと大げさに肩をすくめてみせた。

「ならここはどこなのですか?地球…ですよね?」

「あぁここは正真正銘、地球上に存在する、普通の…コミュニティだ。」

エバンズはコミュニティの部分を少し迷って答えた。

「コミュニティ?国ではなく?」

ヒカリが不思議そうに聞いた。

「そう、ここは君達の言う国でもなく村でもないから、どう表現していいかわからなくてね。」

「国でも村でもない?…形態…システムの話しですか?」

「あぁ形態の話でありシステムの話しだが、システムという概念もここにはないんだけどね。それはここに居るうちに徐々に実感していくよ。」

それまで驚きすぎてまた意識を飛ばしていたツバキがやっと戻ってきて話しに加わった。

「ここはカソリより西にあるということですか?でもカソリが一番西の国で、それより西は海のはずだけど。」

「いや、間違っていないよ。カソリより西は完全に海だけだ、向こうの世界ではね。」

「向こうの世界では?」

二人は声を揃えて訝しげに繰り返した。

エバンズとその場にいた全員、二人のコロコロ変わる反応が新鮮でかわいいのか皆がそわそわし始めた。

「あぁ、向こうの世界では。ここは確かに地球上に存在しているが、向こうの世界とは次元が異なっているんだ。」

二人にとっては世界がひっくり返るようなことを、まるで軽く挨拶するような調子で言った。

「次元が違う…」

そうつぶやいたヒカリはなにか深く思考を巡らせていた。

「ん~…エネルギーの波長が違うというだけのことなんだけどね。」

エバンズは爽やかにそう付け足した。

「…なんだか難しくて頭ではよくわからないけど、でも私はここがあることを知っていたような気がする。」

「そうなの?」

ヒカリはツバキに向き直りそう聞きつつも、自分もどこかでそんな気がしていた。

「うん。ずっと、心の奥深くにこの世界があった。」

ツバキがそう言って真っ直ぐ前を見た横顔を、ヒカリは静かに見ていた。

「うん、そうだね。」

「君達がこの世界を知っていたのは不思議なことではないんだよ。向こうの世界の全ての人の中に、この世界の片鱗がある。ただそこに気づく人と気づかない人がいるだけなんだ。」

「この世界の片鱗…」

「そう、そして私達もまた向こうの世界の片鱗を持っている。しかし向こうの世界の人達と違う所は、その片鱗をいつの瞬間も実感し、自分の中に向こうの世界があることを知っていて、その上で愛し、共にいる。」

「…」

二人の頭の中が?の宇宙になりかけていることを察して付け加えた。

「でもそれも、ここに居るうちに徐々に実感していくよ。」


「…では、全ての人がこの世界へ来ることができるということですか?」

「もちろん。ただ選択しないだけで、全ての人が今すぐにでもこの世界へ来ることができる。しかし皆それを選んでいないだけだ。」

ヒカリは真剣な顔をしてエバンズを見た。

「選べない、ではなく?」

エバンズは優しく微笑んだ。

「そう、選べないんじゃない、彼等は自ら来ないことを選んでいるんだよ。」

エバンズは続けた。

「この世界に全く気づいていない人、心の底ではこの世界に気づいているけど意識では気づきたくない人、意識で気づきかけてもそれを自ら否定している人、この世界へ来たいけどその方法がわからない人。しかしこの人達は真に願ってはいない、やはりどこかで来ないという選択をしている結果、方法がいつまでも見つからない。」

「そしてやっと、君達だ。」

エバンズはそう言って両手を広げて二人を交互に見た。

君達がここへ来るまでの過程を知っているよ。この世界に気づき、でも自分を疑い、願い、裏切られ、それでもまた信じ、一人になり、打ちひしがれ、しかし諦めなかった。諦めない者には、いつか必ずこの世界は開かれる。」

二人はエバンズの労うような優しい言い方に涙が滲んだ。


その時、どこからともなく子供達が楽しげにじゃれ合いながら入ってきた。

子供達はヒカリとツバキの姿を捉えるとはたと止まったが、すぐに人懐っこい笑顔で近づいてきた。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんどこから来たの?遊びに来たの?」

二人は微笑んで顔を見合わせた。

ヒカリが小さく頷いたのを見て、ツバキは子供達に向き直り目線を合わせて答えた。

「向こうの世界から来たの。遊ぶためではなくて…そうだな…何のために来たんだろう…ん~ごめんね、お姉ちゃんもまだわからないんだ。」

「ふ~ん、そっかぁ。」

子供達はそう明るく言った。


その時ツバキは気づいた。

『ここの子供達の目は、なんて深く澄んだ目なんだろう。』

その目を見つめるだけで、心が溶けて自然と涙が流れた。

突然泣き出したツバキを見て子供達が少し慌てた。

「お姉ちゃん、どうして泣くの?」

ツバキは涙が止まらなかったが、笑顔で答えた。

「ごめんね、どうしてか涙が溢れちゃった。みんなの目を見ていると、ただ、あぁ良かったなって思ったの。」

ツバキはカソリの西の、虚ろな目をして自分を見ていた女の子を思い出していた。

子供達は深い瞳でツバキを真っ直ぐ見ていた。

「あなた達が、あなた達としてただ生きていてくれることが、なんだかたまらなく嬉しい。」

また涙が溢れたツバキを、子供達は深遠な微笑みで見守っていた。

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